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May 1, 2020
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カテゴリ:レース
5月1日は若井伸之さんの命日です

本当に、ものすごい人物で、人柄で。。。若井さんがいたから、ほかのみんなが活躍できた。。。


もう27年ですか。。。


坂田さん、上田さんとともに、125ccで世界で大活躍して、250で頑張っていた矢先でしたね。

当時は、γだったんだなぁ

ヘレスで、ピットロードに入ってきた観客をよけて、、、、


本当に信じられませんでした。。。


陽気で人気者で、フラミンゴという愛称で海外のレーサー、ファンにも慕われていました。


あの頃の日本人は、本当に強かった

その先駆者として、本当にがんばっておられました。

若井さんの速さと強さ、優しさは、ずっと忘れません。








若井 伸之(わかい のぶゆき、1967年7月25日 - 1993年5月1日)は、千葉県八千代市出身の日本のオートバイレーサー。かつてロードレース世界選手権(WGP)の125ccクラス・250ccクラスに参戦していた。細身で長身な体格と、その長い手足を折り畳むライディングスタイルから「フラミンゴ」の愛称で親しまれた。


1990年に全日本ロードレース選手権でランキング2位となった若井は、翌1991年から坂田和人・上田昇(当初はスポット参戦)とともにWGP・125ccクラスにフル参戦を開始。他の2人とともに、プライベート日本人ライダーの先駆者となった。当初はなかなか結果を残せずにいたが、最終戦マレーシアGPでは、トップ争いの末3位表彰台を獲得。

翌1992年開幕戦日本GPでも、雨の中地元で3位に入るなど、結果を残すようになる。またドイツGPでは、怪我により欠場したウィルコ・ズィーレンベルグの代役として、スズキから250ccクラスにスポット参戦、7位入賞を果たしている。

1993年、若井はスズキから型落ちのワークスマシンRGV250-γの貸与を受け、250ccクラスにステップアップ。しかし250ccクラスのマシンに馴染めず、同年から参戦した親友で弟分の原田哲也らが活躍を続ける一方で、結果を出せずにいた。



第4戦スペインGPの予選中、タイムアタックを行うべく、フル加速でピットロードから飛び出そうとしていた若井の前に、突然観客が飛び出してきた。この観客はロリス・レジアーニの招待客であり、本来パスがなければ入れない場所に無断でいたところを、オフィシャルに見つかり逃げ出したところだった。若井が回避を試みたため、接触こそしたものの観客は軽傷で済んだが、若井本人はバランスを崩してピットロードのコンクリートウォールに激突。頭部を強打した若井は懸命の治療の甲斐無く死去、25歳没。1986年に完成したヘレス・サーキットで初めての死亡事故となった。

若井の死を受けて、他の日本人ライダーは当初出走の辞退も考えたが、原田が出走を決意したのを皮切りに、最終的には「若井のために頑張ろう」と出場を決めた。250ccクラスの決勝では、原田がコースレコードをも更新する走りで、他に大差を付けて優勝。125ccクラスでも、坂田がラルフ・ウォルドマンを振り切り、WGP初優勝を遂げた。

レース終了後、原田はバイクにまたがったまま号泣し続け、坂田も表彰台で悲壮な表情と涙をみせた。また、このレースで5位に入賞した上田はレース後、若井の事故現場まで自身のマシンで近づき、コンクリートウォールを軽く叩いて若井に別れを告げた。原田はこのときの優勝トロフィーを、若井の遺族に送ったという。



2012年に、サンスポに若井さんを惜しむ記事がありました

若井伸之を偲んで建てられたフラミンゴ像

 4月27~29日にMotoGP第2戦が開催されるスペイン・ヘレスサーキットの片隅に、ひっそりとフラミンゴの像がたたずんでいる。レースに造詣の深い人には、この像の由来を今さら説明する必要はないだろう。ただし、近年になってレースに興味を持ち始めたファンには、あまり馴染みがないかもしれない。これは、1993年にこのサーキットで命を落とした日本人選手、若井伸之を偲んで建てられた像なのである。

若井は、1990年に全日本選手権125CCクラスでランキング2位を獲得し、翌年から世界グランプリのフル参戦を開始した。この年には、坂田和人と上田昇も125CCクラスのフル参戦を果たしている。1991年のこの時、若井23歳、坂田24歳、上田23歳。開幕戦日本GPの舞台鈴鹿サーキットで上田は劇的なポールトゥウィンを達成。シーズン最終戦のマレーシアGPでは坂田が2位、若井は3位で表彰台を獲得した。身長の高い若井が、長い手足を折りたたむように小さな125CCマシンを操る様子はフラミンゴの姿にもたとえられた。

 1992年、上田はランキング9位、若井10位、坂田11位。93年に上田と坂田は125CCで継続参戦する一方、若井は250CCに転向する。この年、彼らのもうひとりの親友、原田哲也が250CCクラスに登場した。原田は開幕戦オーストラリアで衝撃のデビューウィン、第2戦マレーシアは2位、第3戦日本GPで優勝、と快進撃を続けていた。そして第4戦のスペインGPを迎える。

 土曜の予選で、若井がコースへ出ようとしたときに悲劇が発生した。ピットレーンに観客が飛び出し、この観客との接触を回避しようとした若井はピットロードの壁に衝突、頭部を強打した。懸命の治療の甲斐なく、25歳で逝去。翌日の決勝レースでは、125CCクラスで坂田が初優勝を達成。堪えていた涙が表彰台で一気に爆発した。5位でフィニッシュした上田は、自らのピットガレージへ戻る際、マシンに跨がりながら若井の激突したウォールに触れ、別れを告げた。250CCクラスでは原田が優勝。レースを終えてヘルメットを脱いだ後も、原田の涙は止まらなかった。若井の死を悼む意味から、このクラスの表彰式は行われなかった。

 そして1994年2月、ヘレスサーキットにフラミンゴの像が建立された。その碑文には、以下のようなことばが記されている。

「魂と肉体の翼いまだ衰えぬまま この地に止まりて挑むは 汝ら志ひとしき同胞 飽かず疾駆する勇姿なり」

 コース脇のフェンス内側に立つフラミンゴの像が選手たちの姿を今も見つめ続けるなか、ヘレスサーキットは若井の事故から20回目のグランプリを迎える。(モータージャーナリスト・西村章)






Last updated  May 1, 2020 12:31:28 PM
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