そうか、、、びっくり日本新記録では、本名の三浦 康一という名前で出てたんですよね。
そちらのほうが馴染みがありました。
子供の頃、ほんと、どんな競技でも出てくるヒーローでした
まだ65歳、、あんなに元気そうだったのに。。
御冥福を、お祈りいたします
轟 二郎(とどろき じろう、本名:三浦 康一(みうら こういち)、1954年8月19日 - 2020年8月2日[1])は、日本のコメディアン、タレント、殺陣師。
静岡県三島市出身。日大三島高等学校卒業。殺陣師(居合道三段)兼スタントマンから芸能活動を開始。
『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(日本テレビ)に出演したことでお茶の間の人気者となる。一方、『びっくり日本新記録』(読売テレビ)には本名でレギュラー出演し、“チャレンジボーイ”として毎週出演して活躍していた事もあり、自身の知名度も上がった。
バラエティー番組にも出演する傍ら俳優としても活躍し、『翔んだカップル』(フジテレビ)でレギュラー出演し、劇中で用いた「ボキ(僕)はね」という新語を使い流行させた。
1980年、水島びんとコンビを組み「コント百連発」を結成。お笑いスター誕生で銀賞を獲得する活躍ぶりだったが、このコンビも長くは続かず、翌年解散した。
その後は結婚式の司会から地方の番組のMCまで幅広く活躍していたが、脳梗塞を患い、静岡県に帰郷。治療と療養に専念した時期もある。
2014年より エフエムぬまづの朝の生放送「モーニングスプラッシュ」の木・金曜日を担当。2016年1月より静岡新聞にてコラムを執筆(同年3月まで)した。晩年までラジオ番組などでも活躍し、自身のオフィシャルブログに日頃の活動を掲載していたほか、総合情報ポータルサイトNiiicheにて、毎週水曜日の連載コラム執筆を担当していた。
2020年8月2日7時15分、大腸がんのため、神奈川県内の病院で死去[2][1]。65歳没。死去する1年半前から闘病生活を続けており[1]、今年2月に東京・新井薬師で行われた節分会への参加が最後の公の場になった。最期は妻と2人の子供にみとられ、息を引き取ったという[2]。
轟二郎さん死去 「翔んだカップル」「びっくり日本新記録」でお茶の間を笑顔に
轟二郎さん(c)ブログより
フジテレビ系「翔んだカップル」の織田隼人役で知られるタレント、轟二郎(とどろき・じろう、本名・三浦康一=みうら・こういち)さんが2日、大腸がんで亡くなったことが6日、分かった。65歳だった。この日、轟さんのブログで関係者が発表した。
轟さんは1年半ほど前から大腸がんで闘病していたとし、葬儀はこの日、親族のみで行った。「今後は、永遠のチャレンジボーイとして天国でも様々な挑戦をしてくれていることと思います」(原文ママ)と“代表作”ともいえる日本テレビ系スポーツバラエティー「びっくり日本新記録」のチャレンジボーイを引き合いに知らせた。
2月には医師から「手の施しようがありませんのでガンの摘出手術は出来ません」と告知されていたことを明かし、「ボキがガン?…が~ん!」などと記していた。
轟さんは静岡県出身。殺陣師兼スタントマンで芸能界入りすると日テレ系「金曜10時!うわさのチャンネル!!」で人気者に。「翔んだ-」で「ボキ(僕)はね」という“新語”をはやらせた。最近はネットでコラムを手掛けており、最後は7月15日、トライアスロンについてつづっていた。