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2021/05/22(土)11:05

5月22日は、ニッキー・ヘイデンの命日です

鈴鹿8耐(591)

2017年5月17日、自転車トレーニング中の事故で、5月22日、残念ながら、35歳という若さで、天国に旅立ちました。。。 もう4年。。。 2003年、OVERのオイル原因での2周目第一コーナーでの、トップグループが全て絡む事故。。。ヨシムラ、桜井、セブンスターと、あっけなく終わった夏。。。 2016年、鈴鹿8耐出場は、本当に驚いたし、すごく嬉しかった。。。きっと、そのあとも、鈴鹿8耐を盛り上げてくれると信じていたのに。。。 Jun 10, 2016 ニッキー・ヘイデンが参戦決定!ホンダ、2016年鈴鹿8耐チーム参戦体制を発表 Hondaは、三重県・鈴鹿サーキットにて、7月31日(日)に決勝レースが行われる「2016 FIM世界耐久選手権シリーズ第3戦”コカ・コーラ ゼロ”鈴鹿8時間耐久ロードレース第39回大会」に参戦する主なチームの体制を発表した。 中でも注目は「MuSASHi RT HARC-PRO.」のチーム体制。 JSB1000に参戦中の高橋巧、WSBで活躍中のマイケル・ファン・デル・マークの2連覇達成時コンビに加え、同じくWSBで活躍中の2006年MotoGPチャンピオン、ニッキー・ヘイデンの参戦が決定している。 ヘイデンにとっては、13年ぶりの鈴鹿8耐参戦。「MuSASHi RT HARC-PRO.」は、この強力布陣で2年ぶりの優勝を目指す。 「鈴鹿8耐のように歴史があるレースに出場することができて光栄です。ル・マン式のスタートやピットワーク、またチームメートとともに全員の一番良いセットアップを見つけ出す作業は、普段のレースとは全く異なります。長いサマーブレイクの間も、鈴鹿8耐というレースに参加して自分のスキルを維持できることをうれしく思います。多くの優れたチームとの長くタフな戦いになりますが、優勝して、鈴鹿8耐のトロフィーを自分のコレクションに追加したいと思います」 ヘイデン兄『オートバイに乗る幸せなニッキーを覚えていて』 朝から涙が止まりません。。。。。 ニッキー ニッキーの走りを忘れない。。。。 涙が止まらないし、言葉にならない。。。。 絶対に死なない、不死身なやつだとおもってたのに。。。 急ぎすぎた。。。 ニッキー・ヘイデン逝去 2017年5月23日 • SBK SuperBike, SuperBike 9 『ニッキー・ヘイデン逝去、2輪レース業界が喪に服す』 ★ニッキー・ヘイデン逝去。 ★チェゼーナのブファリーニ病院が次のように発表した。 《5月17日に深刻な多発性外傷によりチェゼーナ・ブファリーニ病院の集中治療棟に収容されたニコラス・パトリック・ヘイデンの死去が確認されました。》 (2017年05月22日『Corse di moto』記事参照) ヘイデン兄『オートバイに乗る幸せなニッキーを覚えていて』 2017年5月23日 • SBK SuperBike, SuperBike 1 『トミー・ヘイデン:オートバイに乗る幸せなニッキーを覚えていて』 ★5月22日(月)午後5時35分(イタリア時間)、ニッキー・ヘイデン訃報が伝えられた。 ★ヘイデン選手の婚約者ジャッキーさんは病院へ搬送された時から、また、事故直後にアメリカから渡伊したご家族も終始、徹夜で付き添いを続けていた。 ★ヘイデン選手の兄トミーさんがファンに向けて、下記の感謝メッセージを公開した。 《家族を代表して、そして、ニッキーの婚約者であるジャッキーに代わり、ファンの皆さんからいただいた励ましのメッセージに感謝します。ニッキーがこんなに多くの方々と、こんなにポジティブな形で繋がっていたことを知り、本当に大きな心の支えとなりました。 当然のことながら辛い時ではありますが、皆さんには幸せだった時のニッキーを、マシンに乗っていた時のニッキーを覚えいていただければと願っています。 子供の頃からプロライダーになるのが夢で、その夢を叶えただけでなく世界チャンピオンにまでなり、自身が選んだスポーツのトップへと上り詰めました。私達は本当にニッキーのことを誇りに思っています。 こうした公の場での思い出のほか、私達にはケンタッキーの自宅で家族の真ん中にいたニッキーの素晴らしい思い出がたくさんあります。これから堪らなく寂しくなることでしょう。 また、病院スタッフの皆さん全員にも心から感謝しています。信じられないほどのサポートをしていただき、本当に親切にしていただきました。 今後は当局の支援を受け、ニッキーを早々に自宅に連れて帰れたらと思っています。》 ニッキー・ヘイデン重体、自動車に轢かれる 2017年5月18日 • SBK SuperBike, SuperBike 10 『ヘイデン:自転車走行中にリミニで事故、重体』 hay.jpg ★5月17日(水)午後2時過ぎ(イタリア現地時間)、ニッキー・ヘイデン(36才)がミザノ・サーキット隣で4輪車に轢かれた。 ★ヘイデン選手は頭蓋および胸部に多発性外傷を負い、危険な状態。 ★ヘイデン選手は友人らと自転車トレーニング中、ミザノ・アドリアティコ市の『Ca’ Raffaelli』通りと『Tavoleto』通りの十字路で、『Peugeot 206 CC』と衝突し、まず、ボンネットの上に乗り上げてフロントガラスに衝突し、その後、アスファルトに激しく叩きつけられた。 incidente1.jpg incidente7.jpg ★ヘイデン選手の自転車は道路沿いの溝に転がっていった。 incidente2.jpg ★ヘイデン選手は事故現場での応急処置の後、レッドコード状態でリミニの『Infermi di Rimini』病院に救急搬送された。 その後、午後5時10分、チェゼーナの『Bufalini』の外傷センターへ移送され、おそらく、そこで意識不明に陥った模様。午後6時現在、手術が行われている。 ニッキー・ヘイデン容態および事故経緯 2017年5月18日 • SBK SuperBike, SuperBike 6 『ヘイデン:脳浮腫の抑制に向け頭蓋内を検査』 wsbk-phillip-island-february-testing-2017-nicky-hayden-honda-world-superbike-team.jpg ★5月17日(水)、イタリアの一般道でニッキー・ヘイデン(36才)が自転車トレーニング中に4輪車と正面衝突し、重体である。 ★ヘイデン選手はチェゼーナのブファリーニ病院で治療を受けており、広範囲にわたる脳浮腫が懸念されている。また、片足の複雑骨折により多量に出血もしている。背中にも複数の骨折を負っているが、さいわい、脊髄の損傷はない模様。 ★17日午後11時30分(イタリア時間)、ヘイデン選手の容態はいぜん重篤なままである。なお、頭蓋および胸部に負った多発性外傷により、現在は手術できない状態にある。 ★搬送先の病院にはPICプローブが設備されている。これは頭蓋内の圧をモニタリングし、浮腫を抑制するため切開の必要があるかどうかを検証するのに使用される。 ★警察の報告によれば、ヘイデン選手が乗っていた自転車はフレームは真っ二つに損壊し、4輪車の方はフロントガラスが粉々になっていた。 ★リッチョーネ警察のピエールパオロ・マルッロ警視長が事故の経緯について、次のように話した。 「本日16時50分、事故発生から約3時間後、部下らは現在も事故現場の検証を行っていますが、深刻な事故だったことが見て取れます。 部下らが現場に到着した際、救急隊員らが路上で負傷者に応急処置を施しており、その後、レッドコード状態でリミニの病院へと搬送されました。 初見によれば、4輪車の右前部と衝突しており、同車はリッチョーネ方面に進んでいました(※ヘイデン選手は『Ca’Raffaelli』通りから右側を海方向へ進行、『Tavoleto』通りとの十字路の出会いがしらで衝突している)。 また、負傷者はグループではなく、単独で走行していたようです。」 ★4輪車の運転手は30才男性、リミニ市民。ヘイデン選手と同運転手どちらの不注意運転が原因かは分かっていない。 ★ヘイデン選手の兄トミーさんと、母ローズさんは明日18日にチェゼーナに到着する予定。 ロッシ『ニッキー、頑張ってくれ。僕らが付いている』 2017年5月18日 • MotoGP, MotoGP category 0 『ロッシ:ヘイデンへ励ましメッセージ』 スクリーンショット 2017-05-18 12.08.43.jpg ★ニッキー・ヘイデン重体の報を受け、昨日よりホルヘ・ロレンソやマルケス兄弟、ダニ・ペドロサ、アンドレア・ドヴィツィオーゾ、マルコ・メランドリらモトGP関係者らがネット上に応援メッセージを出している。 ★ヴァレンティーノ・ロッシが18日午前11時30分頃(イタリア時間)、インスタグラムに以下の励ましメッセージを掲載した。 《ニッキーはパドックでできたベストフレンドの1人です。彼がルーキーだった2003年にホンダでチームメイトとなり…ニッキーはヨーロッパ初体験の新人ライダーでした。あの年、僕はタイトルを取り、ニッキーはフィリップアイランド戦で初表彰台を取っていました(※初表彰台獲得は茂木戦の間違いです)。 その数年後、2006年には最終戦まで2人でタイトル争いを繰り広げ、僕にとっては残念なことだけど、ニッキーの勝利となり、彼はモトGPチャンピオンになりました。レース後、僕らは握手を交わし、肩を抱き合いました。 その後、厳しかったドゥカティ時代、僕らはまたチームメイトになって、なんとかトップ5内に食い込もうと、何度も凄まじい戦いを繰り広げました。 ニッキーはよく僕の『ランチ(私設コース)』にも来てくれて…みごとな走りを披露する彼の姿から、なんらかの秘訣を読み取ろうとしたものです。なんと言っても、ロードレース参戦前、彼は世界でも一、二を争うフラットトラックの最速レーサーで、『Peoria TT』等、アメリカの難関フラットトラックレースで優勝してきているんだから。 ニッキーについての一番良い記憶は、2015年ヴァレンシアでの不幸なレースの後、クールダウンラップの時に握手をしに寄って来てくれたことです。彼にとってはモトGP最後のレースだったし、僕の方はタイトルを取り逃した直後でした。 ヘルメット越しに見えた励ますような瞳は、あの日、僕が覚えている数少ないポジティブな思い出です。 ニッキー、頑張ってくれ。僕らが付いているから。》 ヘイデン容態変わらず、手術できず 2017年5月18日 • SBK SuperBike, SuperBike 3 『ヘイデン:容態変わらず、手術できず』 nicky_hayden_grid-630x415.jpg ★5月18日(木)午後1時(イタリア時間)、ニッキー・ヘイデンの容態についてチェゼーナのブファリーニ病院より経過報告がなされたが、昨夜8時20分に出された報告以降、特に進展はなかった。 なお、本日午後遅くに再度、経過が報告される予定。 ★今のところ、ヘイデン選手はなんらの手術も受けていない状態である。 ★ヘイデン選手には現在、婚約者やホンダSBKチームのスタッフらが付き添っている。 ★18日午後の早い時間に、アメリカから母ローズさんと兄トミーさん(元プロレーサー)がボローニャ到着する予定。 父アールさんは最近、心臓に問題を抱えているため、長距離の渡航は医師から止められている。 【8耐を走ったGP王者たち!vol.14】 ニッキー・ヘイデン 2017-05-25 宮﨑健太郎 8耐を走ったGP王者たち!鈴鹿8耐"コカ・コーラ"鈴鹿8耐MOTORCYCLE歴史鈴鹿8耐2017 今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この日本一のビッグレースには、数多くの世界ロードレースGP(現MotoGP)王者が参戦しました。8耐を走ったGPチャンピオンを紹介する連載、今回は2006年にホンダでMotoGP王者になったニッキー・ヘイデンです。 今年も貴方の走りを見たかった・・・ ニッキー・ヘイデンは昨2016年の第39回大会、MuSASHi RT HARC-PROの一員として起用され話題を集めました。2015年、あのケーシー・ストーナーを擁しても防げなかったヤマハファクトリーチームを打倒することが、彼に課されたミッションでした。 彼の抜群のファンサービスぶりは、2016年の鈴鹿8耐のパドックやステージでも発揮されました。 パートナーは全日本で活躍する高橋巧とSBK(世界スーパーバイク選手権)を走るマイケル・ファン・デル・マーク。予選は5番手に甘んじますが、それまでに各ライダーたちが記録したタイムを考慮すれば、優勝候補の一角と誰もが認める強力なチームでした。 第2ライダー登録のニッキーは、ホンダCBR1000RRを駆り2'08.479のタイムを予選で記録しています。 決勝レースではニッキーの走行時にマシントラブルが発生! 残念ながら74周でリタイアという結果になりました。今年のホンダ系外国人ライダーのラインアップはまだ明かされていませんが、多くのファンが今年もニッキーの参戦を期待していたと思います。本当に、残念で仕方ありません・・・。 ニコラス「ニッキー」パトリック・ヘイデン(Nicholas "Nicky" Patrick Hayden、1981年7月30日 - 2017年5月22日)は、アメリカ合衆国、ケンタッキー州オーエンズボロ出身のオートバイレーサー。2002年のAMAスーパーバイク選手権チャンピオン、2006年のロードレース世界選手権MotoGPクラスチャンピオン。ニックネームは"The Kentucky Kid"など。アメリカで有名なレーサー一家に生まれた。兄弟のトミー・ヘイデンとロジャー・リー・ヘイデンもプロのオートバイレーサーとして活躍している。 生年月日 1981年7月30日 ケンタッキー州オーエンズボロ 死亡年月日 2017年5月22日(35歳) イタリア、チェゼーナ 現在のチーム レッドブル・ホンダ・ワールド・スーパーバイク・チーム ゼッケン 69 ウェブサイト nickyhayden.com MotoGP チーム:レプソル・ホンダ, ドゥカティ・コルセ, ドライブ M7 アスパーチーム, エストレラ・ガリシア 0,0 マルクVDS 車両:ホンダ・RC211V, ホンダ・RC212V, ドゥカティ・デスモセディチ, ホンダ・RCV1000R, ホンダ・RC213V-RS, ホンダ・RC213V デビュー戦:2003年4月6日 - 鈴鹿サーキット - 7位 初表彰台:2003年10月5日 - ツインリンクもてぎ - 3位 初勝利:2005年7月10日 - マツダ・レースウェイ・ラグナ・セカ 優勝回数:3 表彰台回数:28 ランキング最高位:1位 (2006) スーパーバイク世界選手権 チーム:アメリカ・ホンダ, ホンダ・ワールド・スーパーバイク・チーム 車両:ホンダ・VTR1000 SP-1, ホンダ・CBR1000RR デビュー戦:2002年7月14日 - マツダ・レースウェイ・ラグナ・セカ - 4位 初表彰台:2016年4月16日 - アッセン - 3位 初勝利:2016年5月15日 - セパン 優勝回数:1 表彰台回数:4 ランキング最高位:5位 (2016) AMAスーパーバイク チーム:アメリカ・ホンダ, HRC 車両:ホンダ・VTR1000 SP-1, ホンダ・RVF750 デビュー戦:1999年4月18日 - ウィロースプリングス・レースウェイ - 12位 初勝利:2000年6月11日 - ロード・アメリカ 初表彰台:1999年9月19日 - パイクス・ピーク・インターナショナル・レースウェイ - 3位 優勝回数:17 表彰台回数:30 ランキング最高位:1位 (2002) AMA 600スーパースポーツ チーム:アメリカ・ホンダ, エリオン・ホンダ, ハイパーサイクル・スズキ 車両:ホンダ・CBR600F3, ホンダ・CBR600F4, スズキ・GSX-R600 初勝利:1998年4月26日 - ウィロースプリングス・レースウェイ 優勝回数:6 ランキング最高位:1位 (1999) AMA 750スーパーストック チーム:ハイパーサイクル・スズキ 車両:スズキ・GSX-R750 初勝利:1998年4月19日 - マツダ・レースウェイ・ラグナ・セカ 優勝回数:5 ランキング最高位:4位 (1998) AMA フォーミュラ・エクストリーム チーム:エリオン・ホンダ 車両:ホンダ・CBR900RR 初勝利:1998年4月17日 - ウィロースプリングス・レースウェイ 優勝回数:7 ランキング最高位:2位 (1999) 自転車事故 2017年5月17日、ヘイデンはイタリアのリミニ近郊で自転車でのトレーニング中に車と衝突した。事故はミザーノ・アドリアーティコのvia Ca' Raffaelliとvia Tavoletoの交差点で発生した。ヘイデンはカ・ラッファエーリを西に向かい、タヴェレントへ向かう通りとの交差点に入ったところで車にはねられた。車の運転手は「ヘイデンが停止標識を越えて突然目の前に現れた」と供述しており、運転手は衝突を避けることができなかった。車のスピードは不明だが、ヘイデンは車のフロントガラスを完全に打ち砕いて屋根をへこますほどの衝撃であった。ヘイデンの自転車は近くの側溝で発見され、そのフレームは半分に割れていた。 ヘイデンは重傷を負いリミニ病院に搬送され、事故から4時間後の午後6時、リミニ病院のスタッフはヘイデンが外科手術を行うためチェゼーナのマウリツィオ・ブファリーニ病院の重傷ユニットに移されたと発表した。ヘイデンの父アールによると、ヘイデンは手術のため人工的に昏睡状態にされ、この事実はメディアによって広く伝えられた。ヘイデンは昏睡状態ではなかったが、病状が手術を行うにはあまりにも重症であったため手術は行われずにいた。ヘイデンの状態は外傷性の脳損傷、大腿骨と骨盤の骨折および複数の脊椎の骨折であった。5月19日、彼は生命維持装置に繋がれ危険な状態にあり、今後の治療等の展開が難しい状態にあった。そして、事故から5日後の5月22日に病院で死去した。35歳という若さであった。

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