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元バレー代表・迫田さおりさんが、今回のオリンピックで一番印象に残ったことを聞かれて
元チームメイト、代表でも一緒に戦った荒木絵里香のことを泣きながら語りました。 年齢のこともあるし、母親として、一度引退してからの復帰 その苦労と、周りの後輩たちを思いやる姿勢と。。。 荒木絵里香さん、本当にお疲れさまでした。 たくさんの感動をありがとうございました。 元バレー代表・迫田さおりを変えた、荒木絵里香の優しくて厳しい言葉 2020/9/9 6:00 (2021/3/17 18:25 更新) 西日本スポーツ 西口 憲一 荒木絵里香(1)の言葉を胸に刻み、一流選手への道を歩んだ東レ時代の迫田さおりさん(右端)=2013年撮影 元バレーボール女子日本代表の迫田さおりさん 【連載】つなぐバレー つながる想い コロナ禍で来夏に1年延期となった東京五輪。バレーボール女子日本代表は2012年ロンドン五輪以来のメダル獲得とお家芸復活を目指している。 そのロンドンでの銅メダルメンバーだった迫田さおりさん(32)=鹿児島市出身=は無名校の出身ながら、チームメートと「想(おも)い」をつなぎながら「日の丸」を背負う一流選手へと駆け上がった。惜しまれつつユニホームを脱いで3年。それでもファンを魅了した代名詞バックアタックの記憶は色あせない。バレーの魅力を「ボールと一緒に心をつなぐスポーツ」と言い切るアタッカーの歩みを振り返った。(聞き手・西口憲一) ◇ ◇ ◇ ≪迫田さんには忘れられない試合がある。入団4年目の2009年12月18日、舞台は東京体育館。この日が22歳の誕生日だった。東レは強豪対決となったJTとの皇后杯、準々決勝を3-0で制した。韓国人エースの金軟景(キム・ヨンギョン)を擁するJTを相手に躍動し、ストレート勝ちに導いた≫ 私の記憶では、東レで初めてスタート(先発)で出場した試合です。それまで練習試合を含めて、スタートは一度もなかったはずです。ですから自分の誕生日どころではありませんでした。とにかく、この試合を勝つためにどうしたらいいんだろうという思いばかり。緊張に押しつぶされそうだったのをよく覚えています。 JTにはキム・ヨンギョンさんだけでなく(女子日本代表セッターで司令塔の)竹下佳江さんがいらっしゃって、大会でも優勝候補筆頭と目されていました。試合の下馬評もJTが断然上でした。そんな中、セッターの中道瞳さんや他の先輩方からは「自分の誕生日はしっかり活躍して自分自身にとって最高のプレゼントにしなよ」と背中を押されました。前日からスタートを聞かされ、余裕のない私の姿を見て緊張をほぐしてくれた先輩方には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。 その結果、チームの勝利に貢献することができました。ミラクルが起きました。もともと試合にそこまで出ていなかったというのもあったのでしょう。JTに私のデータが全くなかったというか、「この子、誰?」というのもきっとあったと思います。試合が楽しかったというよりも、先輩やチームメートが一生懸命つないでくれたボールが回ってきて、絶対に応えたい一心でした。JTに負けたくない全員の気持ちが一丸となっていく中で、良好な流れができた感じでした。ラリーが続いたときほど1点にしたい、と思って必死に打ち抜きました。 ≪無名だったプレーヤーがJT戦でのパフォーマンスを機にシンデレラのように花開いた。アタッカーとしての成長はもちろん、内面での変化も大きかったかもしれない。その契機となり、今でも胸に刻み込んでいる先輩の言葉がある。年齢は迫田さんより3歳上で、現在女子日本代表の主将も務める荒木絵里香(現トヨタ車体)だった≫ あの頃の私は、どうやって話の輪に入っていいのか、何を話したらいいのか。コミュニケーションの取り方がよく分かりませんでした。バレーをやる上で私に欠けていた部分です。意図的に仲間と距離を置いたわけではなく、一人でいた方が楽だな、と感じていたのかもしれません。 私がレギュラーになれたときですから、入団4年目か5年目だったと思います。場所は(大津市にある)東レの体育館でした。「チームプレーは、一人にしたら駄目だし、一人にさせてはいけない。そして一人になっても成り立たない」―が荒木選手の言葉でした。この三つのフレーズには優しさの中に厳しさも込められていました。今後チームの一員としてやっていく中で、技術以外で必要なことを明確な言葉にして伝えてくださいました。大変心強かったですし、ずっと大切にしてきました。 荒木選手からいただいた「一人にしたら駄目…」の言葉は、全ての答えではありませんでした。本当に大切なのは「じゃあ、どういうふうにして一人にならないようにするのか」なんです。そのために、自分で考えなさいということ。だからといって、決してほったらかしにはしませんでした。ヒントは必ずくれます。バレーの技術以外に大事なことを学びました。 ≪08年の北京五輪では東レから荒木と木村沙織さんが女子日本代表として出場した。当時は「日の丸」を背負ってプレーすることなど想像もつかなかったという。初めて代表メンバーに選出されたのは10年だった≫ 荒木選手も木村さんも代表活動でチームにいない期間が長く、別世界にいる方のように感じることもありました。私が初めて代表に招集された時は東レに入った時と全く同じ。道しるべもない道に、不安だけを抱えたままぽつんといる感じでした。右も左も上も下も分からない。「(東レに)返されるかもしれない」「チャンスを無駄にできない」「全力で当たって砕けろ」―。いろんな感情が激しく交錯していました。(随時公開) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Aug 10, 2021 12:10:01 PM
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