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カテゴリ:レース
いまだに、サーキットに、ノリックがいないなんて、信じられません。。。
ひょっこり、ピットとかにいるんじゃないかと。。。 もう、あれから14年ですか。。。 ロッシが、あれから14年トップで走り続けたこと、引退を、どうねぎらったでしょうね。。。 天国で、大ちゃんと、一緒にほめたたえてるだろうなあ。。。 H/K AGESの10周年記念LIVEを終わって、朝方メールを見ると。。。 本当に、ショックで、鳥取から京都まで、無事帰れたのが不思議なくらい ふらふらしていました。。。 自分たちが、心動かされた人々が、応援してきた人々が まだ、志半ばで、もっとやりたいこと、たくさんあったのに 大切な家族がいて、その人を待っている人がいて、 昨日までは、まったく想像もしていなかった別れ。。悲しみ。。。 本当に辛いです。。。 自分たちは、そのぶん、生きていくしかないのですが 誰からも、愛される人 必要とされる人 そんな人たちが、早く旅立って。。。 私のような人間が、また、もがいているのが。。。やっぱりつらいです。。。 2007年10月7日、18時30分頃に神奈川県川崎市川崎区大島1丁目のUターン禁止の片側二車線道路の市道においてオートバイで走行中、Uターンしようとしたトラックと衝突、直ちに川崎市内の病院へ搬送されたが、事故から2時間後に死去したと報道されている。享年33(32歳没)。 1998/03/07-08 モータースポーツキックオフデーでのノリック 1998/04/03-05 Marlboro Grand Prix of JAPANでのノリック 阿部典史-流星伝説-より 秋ヶ瀬時代やダートトラック時代の動画もありました。。。 Mar 8, 2008 Racingオートバイ (4) 1994年日本GP、あわや一位というところでのクラッシュ。。。 そして1996日本GP、涙の初優勝!! Nov 1, 2007 鈴鹿8耐DVD発売になりました。 (2) ヨシムラの優勝とノリックの元気な姿に、また涙しました 8耐最高!! ノリックも叫んでましたよ ニュース映像見ると、、、涙が止まらない。。。。 ノリックが交通事故死、トラックと衝突 死去した阿部典史さん(オートバイレーサー) 7日午後6時20分ごろ、神奈川県川崎市の市道で、2輪ロードレースの人気ライダー、阿部典史(のりふみ)さんが乗ったバイクがトラックと衝突、阿部さんは病院に運ばれたが間もなく死亡した。32歳だった。93年に全日本ロードレースにデビューすると、いきなり史上最年少の18歳で総合優勝を達成。世界選手権(WGP)でも通算3勝を挙げるなど「ノリック」の愛称でファンに愛され、日本に2輪ブームを再来させた立役者だった。 世界を舞台に活躍したライダーが非業の死を遂げた。川崎署によると、阿部さんは同市川崎区大島1丁目の片側2車線の市道の右車線をスクーター型の500CCバイクで北上中、前方の左車線からUターンしようとした4トントラックを避けようとしたが、衝突して対向車線に放り出された。当初は意識があったものの、午後8時52分、搬送された市内の病院で死亡が確認された。阿部さんは胸を強打し、ろっ骨骨折や臓器の損傷などもみられたもようだ。 現場はUターン禁止だった。トラックを運転していた51歳の男性は、道を間違えて引き返そうとしていたといい、同署が自動車運転過失致死の疑いで事情を聴いている。 阿部さんはオートレース選手の父光雄さんの影響で、5歳でバイクレースを始めた。93年に全日本ロードレースにデビューすると、いきなり史上最年少の18歳で総合優勝するなど、若くして才能を開花させた。95年から当時、WGPの最高峰クラスだった500CCにフル参戦。翌96年の日本GPで初優勝し、日本人としては14年ぶりの優勝を遂げた。後輪を滑らせながら必死に逃げる姿は、伝説のレースとして多くの2輪ファンに語り継がれている。 レース中になびかせる長髪がトレードマークで、気さくな性格から「ノリック」の愛称で親しまれた。WGPでは通算3勝、表彰台17回の実績を残し、岡田忠之、伊藤真一らとともに日本に2輪ブームの再来をもたらした。マイケル・ドゥーハンら世界を代表するライダーと対等に渡り合いながら突然、転倒することもあり、「速くて危険なライダー」とも言われた。 スーパーバイク世界選手権などを転戦後、今季から全日本に復帰。5月のレースでは3位に入り、復活をアピールした矢先の事故だった。 「伝説のライダー」阿部典史さんが事故死 川崎2007年10月08日00時07分 7日午後6時20分ごろ、川崎市川崎区大島1丁目の市道で、川崎市幸区、レーシングライダー阿部典史(のりふみ)さん(32)のオートバイと、横浜市鶴見区東寺尾1丁目、運送会社員千野智彦さん(51)のトラックが衝突した。阿部さんは午後8時50分過ぎに死亡した。阿部さんは世界GPで過去3度優勝して「伝説のライダー」と呼ばれ、国内のオートバイファンの間で人気があった。 川崎署の調べでは、現場は片側2車線の直線道路。千野さんがUターンしようとした際に、右後方から近づいた阿部さんのオートバイ(500cc)と衝突した。千野さんは「道を間違えたので戻ろうとした」と話しているという。現場はUターン禁止だった。 ◇ 〈阿部典史さん〉本人の公式ホームページなどによると、阿部さんは東京都出身で、オートレーサーの父・光雄氏の影響で5歳からバイクに乗り始め、中学卒業後の91年、15歳で渡米して技術を磨いた。帰国後の93年に全日本選手権500ccクラスを制覇した。その後、世界選手権に参戦。96年の世界選手権日本グランプリ(GP)で、オートバイレースの最高峰500ccで日本人としては14年ぶり3人目の優勝を飾るなど、計3度のGP優勝を果たし、「ノリック」の愛称で親しまれていた。ファッションリーダーとしても人気があった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 7, 2021 07:37:54 AM
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