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楳図先生が。。。
まことちゃん含め、絵がちょっと怖くて、あんまり見てなかったけど あのタッチでギャグ漫画という、ほんとうに、天才でしたね ご冥福を、お祈りいたします 楳図ハウスは、どうなってしまうのだろう。。。 漫画家の楳図かずおさん死去 中川翔子さんら続々追悼 2024年11月5日 21時39分 「漂流教室」や「まことちゃん」などホラーからSF、ギャグ漫画まで幅広く手がけた漫画家の楳図かずおさんが先月28日、亡くなりました。88歳でした。 楳図かずおさんは和歌山県に生まれ、小学生のころから漫画を描き始め、高校3年生のときに童話「ヘンゼルとグレーテル」を題材にした「森の兄妹」などでデビューしました。 その後、「へび少女」や「おろち」など人間の奥底にある闇を不気味なタッチで描いた作品がヒットし、“ホラー漫画の神様”と呼ばれるようになりました。 1972年から連載が始まった「漂流教室」では、荒廃した未来に小学校ごとワープしてしまった子どもたちが生き抜く様子をリアルに描き、映画化もされました。 また、ギャグ漫画「まことちゃん」は、幼稚園児の主人公が手の中指と小指を折り曲げる“グワシ”のポーズが大ブレイクし、社会現象にもなりました。 トレードマークの赤と白のボーダー柄のシャツや明るいキャラクターが人気を集め、テレビ番組への出演や音楽活動など、幅広く活躍しました。 SF漫画の「14歳」の連載が終了した1995年以降、漫画の作品はほとんど発表していませんでしたが、2018年にヨーロッパ最大規模の国際漫画祭で、「わたしは真悟」が「永久に残すべき作品」として「遺産賞」を受賞したほか、2022年には27年ぶりとなる新作として101点の連作絵画を発表して話題を集めました。 小学館によりますと、楳図さんは先月28日に亡くなったということです。 88歳でした。 中川翔子さん「救われた人が世界中に」 楳図かずおさんの作品のファンとして知られるタレントの中川翔子さんは自身のXで追悼のコメントを発表しました。 このなかで、「大好きな大尊敬する本当の神様、楳図かずお先生。もうお会いできないなんて信じられないです。2年前のこの時がお会いできた最後になってしまいました。とても純粋で優しくてあたたかくてあまりにも大きな存在です。楳図かずお先生の美しくて怖い漫画があったから絵を描く事が大好きになりました。翔子という名前の文字も大好きな漂流教室の翔ちゃんからいただきました。わたしの人生は楳図かずお先生のおかげで今があります。純粋な少年のような心と緻密で唯一無二の絵とイマジネーション。楳図かずお先生の紡ぎ出す世界に救われた人が世界中に居ます。素晴らしい作品たちは永遠にこれからもたくさんの人たちに届き続けます。楳図かずお先生、永遠に大好きです」とコメントしています。 漫画家 村田雄介さん「『恐怖』の原体験」 漫画家の楳図かずおさんが亡くなったことについて、「アイシールド21」などの作品で知られる漫画家の村田雄介さんは、「漫画における『恐怖』の原体験でした。幼稚園の頃、表紙ですでに怖くて仕方なかったんだけど怖いが故に思わず読んでしまう。そして夜トイレに行けなくなる。楳図先生エキサイティングなドキドキとゾクゾクをありがとうございました。謹んでご冥福を御祈り致します」と自身の「X」のアカウントで投稿しました。 日本漫画家協会理事長 里中満智子さん「唯一無二の存在」 漫画家の楳図かずおさんが亡くなったことについて、日本漫画家協会の理事長を務める里中満智子さんは「とても残念です。デビュー作の『森の兄妹』からほぼ全ての作品を読んでいて、恐ろしいけれど物悲しい独自の世界に惹かれていました。『へび少女』『ママがこわい』などはそれまでの少女漫画にあった『母親=絶対的善』という決まり事を根底から崩す名作でした。その後、少年誌、青年誌での『漂流教室』や『おろち』『イアラ』など哲学的な作品を生み続け唯一無二の存在となられました。多才で、エネルギーを出し惜しみしない見事な芸術家人生だったと思います。願わくば100歳までご活躍なさって新しい表現を見せていただきたかったです」などと自身のブログでコメントしています。 漫画家 伊藤潤二さん「人生最大の思い出」 漫画家の楳図かずおさんが亡くなったことについて、「富江」などのホラー漫画を手がける漫画家の伊藤潤二さんは、「以前、まことちゃんハウスで対談させていただいた後に、吉祥寺のイタリアンレストランでご馳走になったことが人生最大の思い出です。心からご冥福をお祈りいたします」と自身の「X」のアカウントで投稿しました。 小学館「漫画を超越した挑戦を続けていた」 漫画家の楳図かずおさんが亡くなったことを受けて、代表作の「漂流教室」などを出版した小学館などは「恐怖、ギャグ、SFと漫画の様々なジャンルで革命的な作品を残されたのみならず、映画製作や『楳図かずお大美術展』の101枚の連作に見られるように、漫画という表現手法さえも超越した挑戦を続けておられました。先生の生前のご功績に対して、心からの敬意と感謝とともに、謹んで哀悼の意を表します」というコメントを発表しました。 活動の拠点置いてきた東京 吉祥寺の書店に追悼コーナー 楳図かずおさんの死去を受けて、楳図さんが長年、生活や活動の拠点を置いてきた、東京 吉祥寺にある書店では、追悼のコーナーが設けられました。 吉祥寺の書店では、ことし8月から楳図さんの作品などを紹介する特設コーナーを設けていましたが、今回の訃報を受けて急きょ、追悼のためのコーナーを設けました。 コーナーには、「追悼 楳図かずお先生」と書かれたポップが設けられ、代表作の「漂流教室」や「こわい本」などおよそ20点が並べられ、訪れた人が立ち寄っていました。 ジュンク堂書店 吉祥寺店の三浦明紀店長は「吉祥寺の地元ゆかりの先生ということで知名度はとても高く、中には楳図さんの姿を見たこともあるという声もよく聞かれるほど、地元に密着した漫画家でした。最初にニュースを聞いた時は残念な思いもありましたが、改めて楳図さんや作品を再認識する機会になってほしいです」と話していました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 9, 2024 11:41:51 AM
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