|
カテゴリ:カテゴリ未分類
小倉智昭さんの訃報が。。。
この前も、闘病生活を語っておられたけど、元気で病気には負けないと言われていたと思ったが。。。 ご冥福を、お祈りいたします
小倉智昭さんが死去 めざましテレビは冒頭で報じる 伊藤アナ「遊びに来いよと言われたばかり」 2024年12月10日 05:43 フジテレビ朝の情報番組「情報プレゼンター とくダネ!」などでキャスターを務めた小倉智昭さんが9日、死去したことがわかった。享年77。 小倉さんは2016年に膀胱がんであることを公表し、2018年に膀胱全摘手術を行い、長らく闘病生活を続けてきた。「とくダネ!」は同一司会者による全国ネットのニュース情報番組」の放送回数最多記録を更新し、21年3月まで続き、フジテレビの〝朝の顔〟として活躍した。 10日のめざましテレビはオープニングでこの訃報を報じた。伊藤利尋アナは「10月にもお宅に邪魔をしてお話をして遊びにこいよと言われたばかり。めざましのあとのとくダネ!を22年務めました」と小倉さんの功績に感謝の気持ちを伝えた。 小倉智昭さん死去 「とくダネ!」元キャスター 18年ぼうこう、23年左腎臓をがんで全摘手術 [2024年12月10日6時10分] 小倉智昭さん(16年11月撮影) 小倉智昭さん(2023年2月撮影)小倉智昭さん小倉智昭さん(2022年4月撮影)アレグリア日本公演記者発表で笑顔を見せる小倉智昭さん(2022年10月11日撮影) フリーアナウンサーの小倉智昭さんが9日、亡くなった。77歳だった。1999年(平11)4月から21年3月まで22年間、キャスターを務めた「とくダネ!」を放送した、フジテレビ「めざましテレビ」が10日、報じた。伊藤利尋アナウンサー(52)は「10月にもお宅にお邪魔してお話をして、遊びに来いよと言われたばかり。『めざまし』の後の『とくダネ!』を22年務めました」と悼んだ。 ぼうこうがんで闘病中だった小倉さんは、昨年9月に大量に血尿が出たことで、同11月に左の腎臓の全摘手術を受けていた。その後、ステージ4の腎盂(じんう)がんであることが判明。今年1月に「余命は1年半。3年生きる可能性は8%ない」と宣告を受けたことを明かしていた。 小倉さんは16年5月13日に、司会を務めるフジテレビ系「とくダネ!」内で初期のぼうこうがんであることを公表した。同5月17日に手術を行い、同21日に退院、同23日には番組に復帰した。 1週間で番組に復帰したが、筋肉質まで入り込んだ浸潤がんは切除し切れず、医師から全摘を勧められていた。だが、小倉さんは、ぼうこうの温存を希望。免疫療法などを行った。当時、小倉さんは日刊スポーツの取材に、「主治医に全摘を勧められました。転移したら手遅れになると言われました」と明かしていた。当時は、全摘手術をしなかったのは「クオリティーライフが落ちるのがいや。ぼうこうにパック、ゴルフ場でお風呂に入れないのも。何とか温存する方法を勉強しました。その治療法で転移せず、落ち着いています」と話していた。 その後、18年夏に激しい出血があり入院して止血手術。ぼうこう炎を併発したことで「全摘しなければいけないのかな」と決意。同年11月5日の放送で公表して、同30日にぼうこうの全摘手術を手術を受けた。19年1月7日には番組に復帰し、21年(令3)3月26日の「とくダネ!」最終回までMCを務めた。 小倉さんは16年の最初のがん宣告をされた時に、日刊スポーツの取材に「しがみついて生きる生き方はしたくない。頑張って治したい。でも寿命は自分で決められない。だから考えがしっかりしてきた。何年、生きられるか分からないけど、充実した生き方をしたいと考えるようになりました」と話していた。 その後に、最初にぼうこうの全摘を勧められながら、拒んだことを「性機能が低下するので“男としての未練”があって、2年半先延ばしした。それが間違いだった」と明かしていた。 ◆小倉智昭(おぐら・ともあき)1947年(昭22)5月25日、秋田県生まれ。独協大卒業後、70年に東京12チャンネル(現テレビ東京)入社。故大橋巨泉さんの勧めで76年にフリーアナに。TBS系クイズ番組「世界まるごとHOWマッチ」の出題を担当し「1秒間に18文字の原稿を読める男」として知られて脚光を浴びる。99年から「情報プレゼンターとくダネ!」キャスター。高校時代は陸上部に所属。趣味はゴルフ。血液型B。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Dec 10, 2024 06:44:09 AM
コメント(0) | コメントを書く |