元近鉄のエルビラ氏、殺害される 2000年にノーヒットノーラン達成
2000年に6勝7敗、2001年は1勝1敗、記憶にはないなあ。。。メキシコでは農場経営されて、過去に誘拐もされてたのか。。。息子さんも一緒とは。。。御冥福を、お祈りいたします。。。ナルシソ・チチョ・エルビラ・デルガド(Narciso Chicho Elvira Delgado, 1967年10月29日 - 2020年1月28日)は、メキシコ出身の元プロ野球選手(投手)。NPB時代に、20世紀最後のノーヒットノーランを達成している。来歴・人物ミルウォーキー・ブルワーズ・メキシカンリーグを経て、2000年に大阪近鉄バファローズに入団[1]。6月20日の西武戦でノーヒットノーランを達成し、話題を呼んだ[1]。これが20世紀最後のノーヒットノーランになった。しかし、その後は成績を残せず、2001年に退団[1]。2002年の5月には、故障により退団したマット・ルークの代役として韓国・サムスン・ライオンズと契約し、同年は最優秀防御率のタイトルを獲得。だが2003年は不振でシーズン途中の5月に退団となった。韓国球界在籍時のシーズンオフはメキシカンリーグのカンペチェ・パイレーツでプレーしていたが、韓国球界退団後の2005年と2006年にも同球団でプレー。2009年にも同リーグのミナティトラン・オイラーズでプレーしていた。ノーヒットノーラン2000年6月13日に日本ハム戦(大阪ドーム)で先発して4回2/3を5失点で敗戦投手となり、防御率は8.10となった。続いて同16日・17日で共にロッテ戦(千葉マリン)で中継ぎ登板し、合計3回0/3で2失点。そして中2日で6月20日の西武戦(大阪ドーム)に先発登板することとなった。試合前、西武の東尾修監督は、それまで2度の対戦で4回6失点で防御率13.50とエルビラをカモにしていた余裕から、森進一の曲とかけて「冬のリビエラならぬ夏のエルビラだよ」と報道陣の前でエルビラをからかう発言をしていた。しかし、その日の試合ではエルビラは、3四球0死球9三振の打者29人でノーヒットノーランを達成した。なお、この試合ではサード後方に上がったフライを中村紀洋が背面ジャンピングキャッチするなどのプレーを見せ、記録達成に貢献した(このプレーには思わずエルビラもグラブを叩いて喜んだ)。味方の打線は二回と六回にそれぞれ2得点ずつを挙げ、4-0で勝利した。ヒーローインタビューでは、エルビラは「ベリーベリーハッピー」と心境を語った。もう1試合の完封は9月16日のダイエー戦(福岡ドーム)で挙げた(5安打)。ちなみに、前年の1999年にもメキシカンリーグにてノーヒットノーランを2度達成している。誘拐事件2015年6月16日、母国メキシコのベラクルス州でサトウキビ工場を経営していた彼は、従業員3名とともにトラックで出掛けた後行方不明になり、地元警察によると誘拐された可能性があると報じられた[3]。7月10日に同州カテマコ市で無事に全員救出された。射殺2020年1月28日、ベラクルス州メデジンにて子息と一緒にいたところを武装グループの銃撃を受けて殺害されたという。52歳没。元近鉄のエルビラ氏、殺害される 2000年にノーヒットノーラン達成2000年6月、西武戦でノーヒットノーランを達成した近鉄のナルシソ・エルビラ氏=大阪ドーム 近鉄で投手として2000年に無安打無得点試合を達成したメキシコ出身のナルシソ・エルビラ氏が同国東部ベラクルス州で殺害されたと28日、複数のメキシコメディアが報じた。52歳だった。武装集団に銃撃され、一緒にいた息子も殺されたという。 00年に近鉄入団。同年6月20日の西武戦でノーヒットノーランを成し遂げ01年までプレーした。1990年に米大リーグ、ブルワーズでプレーした実績もある。(共同)元近鉄投手、エルビラさん死去 「陽気でメキシコでは英雄」と元同僚。韓国では防御率のタイトルを獲得室井昌也 | 韓国プロ野球の伝え手/ストライク・ゾーン代表1/29(水) 19:282002年サムスン在籍時のナルシソ・エルビラ元投手(写真:ストライク・ゾーン)2000年から2年間、大阪近鉄バファローズでプレーし、ノーヒットノーランを達成。2002年からは韓国でも活躍したナルシソ・エルビラ元投手が29日に死亡したとメキシコメディアが伝えた。52歳だった。またそれを受けて韓国の各媒体も報じている。エルビラさんは武装集団の銃撃によって亡くなったという。エルビラさんは2002年にサムスンライオンズ入り。1年目は22試合に登板し13勝6敗の成績で、左の先発投手として活躍した。防御率はリーグトップの2.50を記録してタイトルを獲得。チームの公式戦1位に貢献し、この年サムスンは球団創設21年目で初めて韓国シリーズを制した。2002年当時のナルシソ・エルビラ元投手(写真:ストライク・ゾーン)2年目は5月までに6試合に登板。早い回での降板が続き、1勝1敗、防御率7.06という成績で韓国を後にしている。エルビラさんが在籍した近鉄でバッテリーコーチを務め、かつて自身もサムスンで選手生活を送ったことがある石山一秀さん(69)はエルビラさんの思い出をこう話した。「とにかく陽気な人だった。日本と馴染もうとして僕らともよく話した。みんなに『チーチョ』と呼ばれていて、若い選手からも慕われていました」石山さんはエルビラさんのピッチングについて、「テンポが良かった。背が大きくなくオーソドックスなピッチングで真っ直ぐはそんなに速くないけど、スライダーとチェンジアップを上手に使っていた。ノーヒットノーランをやったことも韓国から声がかかったきっかけになったと思います」と振り返った。石山さんは現役引退後のエルビラさんを、「メキシコではスター、英雄だと聞いた」という。「成功者だから狙われてしまったのか」とかつての仲間の死を悼んだ。エルビラさんが所属していた頃のサムスンには後に日本でプレーするイム・チャンヨン元投手(元ヤクルト)、イ・スンヨプ元内野手(元巨人など)が在籍していた。