巨人自由契約・村田、サンケイスポーツに心境明かす
毎年、毎年、自分は違うんだ!巨人の星になるんだ!ってFAで入ってきて、すぐにポイ捨て。。。自分は、違う!って思ってても、今までの選手見てたらわかるだろうに。。。巨人が選手を大切にするわけがない。。。生え抜きはトレード、FAで入れた選手は飼い殺しか放出。。。最初は、うまいことばかり言って、毎年のように、エースと四番をFAで入れてきて、旬を過ぎたらすぐにベンチ。。。巨人以外に行っていれば、名球会って名選手たくさんいたのになあ。。。清原だって、巨人に行ってなければ。。。まあ、巨人にFAってだけで、どんな選手でも、大っ嫌いになるので、ざまあみろ!としか言いようがない。。。番長には残れって言って、自分はさっさと横浜裏切ったのだから、他の球団で、守備固めくらいからやりなおしたらいいんでないですかね。。。巨人自由契約・村田、サンケイスポーツに心境明かす 巨人は13日、村田修一内野手(36)と来季の契約を結ばないと発表した。世代交代を図る上で、来季以降に十分な出場機会を与えられないと判断した。 村田は自由契約後にサンケイスポーツの取材に応じ、心境を吐露した。「今年よりも厳しい状況に置かれても、残ろうと思っていました。FA(フリーエージェント)権を使って出ていくという選択肢はなかった。若手を育てるチームの方針なので致し方ないこと」。当初は残留する意向だったが、球団の決断に理解を示した。 「体もまだできるし、故障もない。ハートも保てている。まだ(現役で)やろう、やりたいという気持ちはあります」と一線級で戦える自信を示した。今後については「拾ってくれた球団で、チームのために全力で野球がしたい」と移籍先を模索していく。若返りへG衝撃発表!村田を戦力外 鹿取GM「苦渋の決断」今季、東京ドームでファンの声援に応えた村田。球団が打ち出した世代交代の方針によって、来季は他球団でのプレーを目指す 巨人は13日、村田修一内野手(36)と来季の契約を結ばないと発表した。世代交代を図る上で、来季以降に十分な出場機会を与えられないと判断した。村田は他球団でのプレーを目指す。高橋由伸監督(42)は同日、東京・大手町の読売新聞東京本社を訪れ、渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役・主筆(91)、老川祥一オーナー(75)らに今シーズンの報告を行い、「若手の底上げ」を来季の目標に掲げた。 低迷する巨人が世代交代に大きく舵を切った。午後4時半、村田に来季契約を結ばないことを通知したと発表した。東京・大手町の球団事務所で取材に応じた鹿取ゼネラルマネジャーが、内情を説明した。 「まだ十分選手としては力があると思うが、チームの若返りを図るためにこういうことになった。苦渋の決断だった。(加入後は)3連覇に貢献してもらって、非常に感謝しています」 この日、東京都内のホテルで村田と話し合いの場を持った。プロ15年目の今季は開幕当初こそ新加入のマギーに三塁の定位置を譲ったが118試合に出場し、打率・262、14本塁打、58打点。通算2000安打に135本と迫っていた。 秋季練習初日の9日、村田は「(2000安打を)目標にやるのは当たり前。それを踏まえて球団と話したい」と語っていた。来季は十分な先発機会を与えられない方針が決まる中、「自由契約の方が彼にも選択肢が広がるということで自由契約に至った」と鹿取GM。村田は「はっきり言ってくださって、本当にありがとうございました」と答えたという。今後は自由契約となり、新天地でのプレーを目指すことになる。 長年の課題である世代交代に踏み切った。野手陣の高齢化が進む中、今季は11年ぶりの4位に低迷。導入11年目にして初めてクライマックスシリーズ進出を逃した。球団首脳は「古い幹があれば、芽は出てこない。古い幹を切るのは監督ではなく、球団の仕事だ」と話しており、改革への覚悟を示した形だ。マギーを三塁で固定することで、二塁で吉川尚を試すことができる。 この日正午、高橋監督は読売新聞東京本社を訪れ、シーズンの報告を行った。約1時間の会談で若手の育成やドラフト会議、補強戦略などについて意見を交わした。指揮官は「若手の底上げはここ数年の課題でもある。共通の認識だと思う」と前を向いた。村田にはロッテなど複数球団が興味を示しており、今後争奪戦となる可能性もある。 (長崎右)ロッテ・林球団本部長「いい選手。今は何ともいえないが、(獲得が)ないという話ではない。検討の対象になり得る選手です」村田 修一(むらた・しゅういち) 1980(昭和55)年12月28日生まれ、36歳。福岡県出身。東福岡高、日大を経て2003年ドラフト自由枠で横浜(現DeNA)入団。07、08年に本塁打王。12年にFAで巨人に移籍した。16年には通算4度目のベストナイン、同3度目のゴールデングラブ賞を受賞したものの、今季は規定打席未到達。08年北京五輪、09年WBC日本代表。1メートル77、92キロ。右投げ右打ち。既婚。年俸2億2000万円。背番号25。巨人、当初は自主退団要求か 山口俊の処分検討の話し合いに選手会参加 日本プロ野球選手会の森忠仁事務局長は29日、巨人・山口俊の球団による処分検討の話し合いに、選手会が参加していたことを明かした上で当初は自主退団を求められ、その後、複数年契約を短縮することになったと説明した。「解雇をちらつかせて契約見直しを迫ったことには問題がある」と改めて主張した。 前日28日には熊崎コミッショナーと実行委員会に対し、適切な調査を文書で要請しており「実行委員会で各球団に対応していただくようお願いをした」と見守る姿勢を示した。【巨人】片岡が現役引退を決意「悔しいけど諦めるよ」2017年10月1日5時0分 スポーツ報知 巨人・片岡治大(やすゆき)内野手(34)が、今季限りでの現役引退を決意したことが30日、分かった。近日中に正式表明する。08~10年まで3年連続50盗塁を記録。07~10年に4年連続盗塁王に輝くなど通算320盗塁。14年に西武から巨人にFA移籍したスピードスターは、度重なるけがにより今季は1軍出場なし。右膝などのけがが完治せず、満足いくプレーができなくなったことから、現役続行は困難と判断した模様。今後は未定となっている。 球界屈指のスピードスターが静かにスパイクを脱ぐ。片岡はスポーツ報知の取材に「(引退を)決めました。悔しいけど、諦めるよ」と胸の内を明かした。今季は開幕2軍スタート。4月末に右膝を故障して以降、地道なリハビリを重ねてきたがここまで1軍出場はなし。7月4日のフューチャーズ対巨人戦(G球場)で実戦復帰したが、翌日から再びリハビリ生活を送っていた。 7月末に心境を語った際には「FAで来て4年目だけど貢献できていない。みんなにも申し訳ないと思ってる。あまり時間はないけど、やるしかない」と決意を持って日々の練習に取り組んできたベテランだったが、大きな決断を下した。 05年、西武に“ポスト松井稼頭央”として背番号「7」を継承して入団。08年には167安打で最多安打と盗塁王で2冠を獲得した。同年の巨人との日本シリーズでは3勝3敗で迎えた第7戦で1点を追う8回に死球で出塁すると、初球に二盗に成功。三塁に進み、中島の三ゴロでギャンブルスタートから同点ホームを踏み、勝利に導いた。全7戦で安打を放ち5盗塁。日本一の「陰のMVP」となる活躍を見せた。09年には第2回WBCにも出場。スターへの階段を上った。 08年には2冠 一方でけがに泣かされてきた。西武時代は右足や左肩、右手首などを相次いで故障した。手術も経験しながらその度にはい上がってきた。13年には登録名を「片岡治大」に変更。東京ガス時代にも「保幸」から「易之」に変えており、2度目の変更だった。 FAで巨人に移籍した14年開幕戦の阪神戦(東京D)で移籍1号3ランを放ち、華々しいGデビューを飾るなど、持ち前のパンチ力と勝負強さでもファンを魅了した。 積み重ねてきた盗塁数は歴代25位の320。希代のスピードランナーが13年のプロ野球人生に幕を下ろす。