正田樹投手、山田真介外野手、伊代野貴照投手ありがとう
正田樹投手、山田真介外野手、伊代野貴照投手が戦力外通知を受けました。あまり活躍できなかった最近ですが、まだまだ若いので、これからもがんばってもらいたいです。出さなきゃ良かったって思われるくらい、活躍してください!!2008年10月02日 来季の選手契約について 阪神タイガースは、山田真介選手(29)、伊代野貴照選手(27)、正田樹選手(26)、に対して、来季の契約を結ばないことを伝えましたのでお知らせします。 阪神 正田ら3選手が戦力外 阪神は2日、正田樹投手、山田真介外野手、伊代野貴照投手と来季の契約を結ばないと発表した。 正田は群馬・桐生一高のエースとして1999年夏の甲子園大会で優勝し、日本ハムに2000年に入団。9勝11敗の02年に新人王に輝いたが、その後は伸び悩み、07年3月にトレードで阪神に移籍した。06年以降は1軍での登板がなかった。正田 樹阪神タイガース No.20 基本情報 国籍 日本 出身地 群馬県太田市 生年月日 1981年11月3日(26歳) 身長 188cm体重 85kg 選手情報 投球・打席 左投左打 守備位置 投手 プロ入り 1999年 1位 初出場 2000年8月6日 年俸 1,800万円 1999年夏の甲子園で桐生第一高校のエースとして、3完封の活躍をして群馬県代表としては初の優勝を飾る。同年のドラフト会議で日本ハムファイターズから1位指名を受けて入団。当時は日本ハムの商品「ナポリピザ」のCMにも起用されていた。一学年上のエースは小林正人、一学年下には一場靖弘、大廣翔治がおり、3年連続でチームメイトがプロ入りしている(小林と一場がエースの年も夏の甲子園に出場しているが、ともに初戦で敗れている)。1年目の2000年から一軍で登板機会を与えられ、同年のフレッシュオールスターゲームに出場。2002年には課題だった制球難を克服し、9勝11敗、防御率3.45の成績を残し、パ・リーグの新人王に輝いた。2003年は春季キャンプで発症した左肩痛の影響もあり5勝15敗に終わった。この年以降、再び制球難がぶり返し、一軍では四死球数が多くなった。2004年は8勝5敗と健闘したものの、翌2005年は2勝6敗と再び精彩を欠いた。2006年はダルビッシュ有、八木智哉の台頭もあって一軍登板なしに終わり、イースタン・リーグでも防御率5点台と結果を出せなかった。2007年シーズン開幕直前の3月20日、金澤健人との交換トレードで阪神に移籍したが、同年も一軍登板は無く、ウエスタン・リーグでは投球回数を上回る被安打を浴びて防御率6.00に終わった。直球と変わらないフォームから繰り出す落差の大きいカーブが最大の武器。しかし、立ち上がりが不安定なことが多く、2005年シーズンまでは主に先発投手として起用されてきた。山田 真介(やまだ しんすけ、1979年6月15日 - )俊足強肩がセールスポイント。妻はかつての読売ジャイアンツのマスコットガール(チームジャビッツ21)。阪神タイガース No.43 基本情報 国籍 日本 出身地 大阪府堺市 生年月日 1979年6月15日(29歳) 身長 178cm体重 70kg 選手情報 投球・打席 右投右打 守備位置 外野手 プロ入り 1997年 3位 初出場 2002年8月20日 年俸 900万円 経歴 上宮高等学校 読売ジャイアンツ(1998 - 2006) 広島東洋カープ(2006 - 2007年途) 阪神タイガース(2007年途 - 2008) 上宮高校で1997年の第69回選抜高等学校野球大会に投手として出場。同年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから3位指名を受け内野手として入団。プロ4年目の2001年から外野手にコンバートされ、2002年・2003年には貴重な右の控えとして活躍した。外野3ポジションを高いレベルで守り、広い守備範囲は巨人で1・2を争うものだったが、打力不足がネックとなり一軍には定着できなかった。2006年6月5日に木村拓也とのトレードにより広島に移籍。中堅手として出場、6月16日の日本ハム戦で移籍後初安打を記録。10月11日のヤクルト戦では自身初の1試合4安打をマークした。2007年5月18日に喜田剛とのトレードにより阪神に移籍。伊代野 貴照伊代野 貴照阪神タイガース No.67 基本情報 国籍 日本 出身地 静岡県伊東市 生年月日 1980年10月29日(27歳) 身長 180cm体重 82kg 選手情報 投球・打席 右投右打 守備位置 投手 プロ入り 2002年 ドラフト10巡目 年俸 630万円 経歴 沼津学園高等学校 ローソン 阪神タイガース(2003 - 2008) 静岡県伊東市出身。沼津学園高校(現:飛龍高等学校)から社会人野球のローソンに就職するも、2002年に所属していたローソン野球部が廃部になり、同年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから10巡目指名を受け入団。なお、同僚の新井智、萱島大介も9巡目、11巡目でそれぞれ指名され入団している。2003年4月26日の対広島戦で敗戦処理で登板するも、その後味方打線が爆発し逆転勝利。幸運なプロ初勝利をマークした。この勝利以降、阪神は1度も首位の座を渡さず独走し、18年ぶりに優勝した。