1月4日は、星野監督の命日です。
1月4日は、星野監督の命日です。もう8年になるんですね顔色も、阪神時代よりは、よくなったかなと思ってましたが。。。たかじんさんの命日の次の日でしたね。。。打倒巨人に燃えた50年でした。。。星野さんが、阪神に火をつけてくれて。。。本当に阪神の。。。日本野球界の救世主でした。。。星野監督を引きついた岡田監督が、とうとう日本一に!!!2年前は、岡田監督も、入院するほどに体調を崩され吉田監督も、とうとうそちらに星野監督の魂を引き継いだ藤川球児監督が初年度から最速リーグ優勝!!見守ってあげてくださいね星野仙一さん死去、70歳 「燃える男」「闘将」楽天で日本一達成星野仙一さん プロ野球中日のエースとして「燃える男」、監督就任後は「闘将」と呼ばれ、2013年に楽天を率いて球団創設9年目で初の日本一に導いた星野仙一(ほしの・せんいち)氏が4日午前5時25分に死去した。70歳。岡山県出身。楽天によると膵臓がんで闘病していたという。近親者で密葬を行い、後日、お別れの会を開く予定。 岡山・倉敷商高から明治大を経て、1969年にドラフト1位で中日に投手として入団。82年まで中日一筋でプレーした。気迫を前面に出す投球から「燃える男」がキャッチフレーズとなり、特に巨人戦で闘志を燃やした。現役時代の通算成績は実働14年で146勝121敗34セーブ。74年には沢村賞に輝いた。 引退後は87年に中日の監督に就き、翌年にリーグ優勝。96年には中日で2度目の監督に就任し、99年にも優勝を果たした。2002年から阪神を率いて03年に18年ぶりのリーグ優勝を果たしたが、ダイエー(現ソフトバンク)との日本シリーズで敗退。その直後に健康上の理由で退任した。11年からは楽天の監督に就任し、13年にチームを初の日本一に導いた。 08年の北京五輪では野球の日本代表監督を務めた。準決勝で韓国に、3位決定戦でも米国に敗れてメダルを逃した。17年にエキスパート表彰で野球殿堂入りした。星野仙一さん死去 東北の被災者ら感謝…日本一「夢をありがとう」 プロ野球楽天を初の日本一に導き、東日本大震災で大きな被害に遭った東北を勇気づけた星野仙一氏の死去を受け、被災者らは「夢をかなえてくれた」「ありがとう」と感謝の言葉を贈った。 震災の津波で自宅や店舗を失い、2013年の日本一を仮設商店街で見守った宮城県南三陸町の及川善祐さん(64)は「被災者やボランティアの人々が抱き合い、涙を流して喜んだ。われわれの希望が凝縮された日本シリーズだった。ありがとうと言いたい」と涙ぐんだ。 球団創設以来のファンという宮城県多賀城市の高1鈴木大喜さん(15)は「田中将大投手(現・ヤンキース)を最後に登板させて優勝を決めるなど、ファンを喜ばせる采配で被災地を盛り上げてくれた。とても悲しい」と悼んだ。星野仙一さん死去 名古屋で惜しむ声相次ぐ「愛ある人」「残念」 「愛がある人だった」「残念」。70歳で亡くなった星野仙一氏がエースとして活躍し、監督も務めた中日の本拠地・名古屋市では6日、「闘将」の早すぎる死を悼む声が相次いだ。 小学生のころからの中日ファンで、本人から直接サインボールももらったことがあるという名古屋市西区の自営業男性(52)は「熱い男で鉄拳制裁もあったけど、それでもみんなが付いてきたのは愛がある人だったから。ご冥福をお祈りする」と惜しんだ。 「もっと野球界で頑張ってほしかった」と言うのは同区の公務員柳原誠一さん(53)。「素晴らしい名監督。まだ若いし、非常に残念。怒っている姿が印象的だが、選手を鼓舞し結果を出していた」と往年の姿を懐かしんだ。【阪神】藤川監督、闘将イズム継承誓う 命日に星野仙一さんしのぶ「頭の中に存在自体は常にある」[2025年1月5日5時15分]02年9月、ヤクルト戦でプロ初勝利を飾り、監督の星野仙一さん(左)から握手を求められる藤川球児(阪神 右)阪神藤川球児監督(44)が闘将イズム継承を誓った。中日、阪神、楽天を率いた星野仙一氏(享年70)の7度目の命日となった4日、大阪市内で自身のトークショー後に取材に応じ、かつての指揮官をしのんだ。星野氏のような人情味、情熱、優しさを胸に、令和のナインをまとめ上げる。 ◇ ◇ ◇藤川監督がナインと向き合う時、頭に浮かぶ人がいる。「どんな時に選手にどうアプローチするのかというのは、一番は星野さんが出てくるかな」。1月4日は、18年にこの世を去った星野氏の命日。情熱にあふれた姿を思い返した。「頭の中に存在自体は常にある。本当に心優しかったですし、強かった」。藤川監督がプロ4年目の02年オフ、阪神を率いた星野氏は計24選手が退団する大幅な入れ替えを断行した。「ぎりぎり僕も(戦力構想に)入れてもらえた選手だったんですけど。残った選手はすごくパワフルに動き回れた。星野さんは『中途半端が多すぎるわ』とか普通に言っていたから」。厳しさと優しさを持ち合わせた闘将。「自分で信じた人間には、僕も『おい、球児』とか言ってもらって、人情味がありました」。同じタテジマの指揮官になった今、目指す理想の1つだ。星野氏の少年時代が書かれた本も、何度も読んだという。「ガキ大将だったけど、弱い子には優しかったとか、自分も投手なので、だから感じが似ているなと」。強いリーダーシップと胸に秘める温かみ。選手のまとめ方は、肌で感じ学んだ財産だ。「若手や中堅に対してメッセージが強いなというのは、星野さんの教えだなと思ってもらったら。これから助けてもらえる場面がどんどん出てくると思う」。星野氏、野村克也氏、岡田彰布氏(現オーナー付顧問)と3人の名将を知る藤川監督。「3名の恩師の方たちは自分にとっては大きな存在。本当にいい指導者に恵まれました」。それぞれのイズムを継承し、新たな監督像を作る。【磯綾乃】