宮じいさんの花紀行

ロシア旅行(43)

※ロシア旅行(43)<六日目>-2004.10.1-

09:10 バスは郊外のエカテリーナ宮殿に向かう。
サンクトペテルブルグの中心地から、南下して約30
分で、ツァールスコエ・セロ(皇帝の村)に到着する。
旧プーシキン市である。 

エカテリーナ宮殿と連結する形で、1811年に開設
された学習院がある。 第一期生として、詩人プーシ
キンが学んだ。 また、彼の作品の多くはここで書か
れた。

プーシキン(1799~1837年)

 ロシアの詩人、近代文学の創始者。 モスクワの
 貴族の子として生まれ、学習院(王立学校)で学ぶ。

 ロマン主義を経て、純粋にロシア的なリアリズムを
 拓き、また独自の平易だが格調高いロシア語と芸
 術形式によってロシア精神と社会の間の姿をとらえ、
 ヨーロッパ文学の模倣に過ぎなかったロシア文学を、
 真に国民的な文学に高めた。 

 1837年、妻ナターリャに言い寄るフランス貴族
 ダンテスと決闘して死亡した。

さて、プーシキンの像の近くでバスを降り、宮殿入口
に向かう。 途中、楽隊の歓迎があり、「さくら、さくら」
を演奏したのには驚いた。 季節外れではあるが、ロ
シアで、日本メロディを聞くのは嬉しい。

宮殿入口の門の所で暫く待たされる。 どうやら、人数
制限をしながら入場させているようだ。

門を入って、エカテリーナ宮殿の全貌を目にした時の
感動を忘れることが出来ない。 壁が空色、柱が白色
のツートンが、空に映えて何とも素晴らしい。

エカテリーナ宮殿

 エカテリーナ女帝の命により、ロシア・バロック様式
 を代表する建築家ラストレリの設計によって、1756
 年に完成した宮殿は、日本人と深いかかわりを持っ
 ている。

 1783年、伊勢国白子の船頭である大黒屋光太夫
 は江戸への航海途中に漂流し、アリューシャン列島
 に漂着した。 その後ロシア人に助けられ、帰国請願
 のため、1791年エカテリーナ女帝にこの宮殿で拝謁
 して、帰国の儀を聞き届けられている。

ロココ様式の宮殿正面が素晴らしいが、何といっても、
全長310mにも及ぶ建物全体が迫力がある。 建物
の内部には、有名な「琥珀の間」があるが、入る前か
ら期待に胸がはずむ。

エカテリーナ宮殿近くの公園

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セロ学習院の庭のプーシキン像

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楽隊の出迎え

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エカテリーナ宮殿入り口の門に向かう

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ピンクの建物はプーシキン記念館

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エカテリーナ宮殿入り口の門

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追加画像は下記をクリックして下さい

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