宮じいさんの花紀行

ロシア旅行(49)

※ロシア旅行(49)<六日目>-2004.10.1-

豪華な宮廷馬車に溜息をつきながら、次の間へと移動する。
部屋に入ってすぐ、玉座が目に付く。 「ピョートル大帝の間」
である。

ピョートル大帝の間

 「小さい玉座の間」とも呼ばれている。 実際にピョートル
 大帝(在位1682~1725年)がここに座ったことはない。
 玉座はアンナ女帝(在位1730~1740年)のために、
 1731年、イギリス人工芸家によって造られたものである。
 木製の基礎を持つ玉座は、金メッキされた大量の銀で枠
 付けを施され、背もたれにはロシアの国章が銀糸で刺繍
 されている。 

 この部屋は、ロシア帝国の創始者、ピョートル大帝の思い
 出を永遠に留めるため、1833年にフランス人モンフェラン
 の設計によって造られた。 両側の大理石で囲まれた壁の
 くぼみの中に、アミコーニの筆による絵画『ピョートルとミネ
 ルヴァ』が飾られている。 壁の至る所に、皇帝を象徴す
 る王冠と双頭の鷲の紋章が飾られている。

続いて、「紋章の間」へ入って行く。

紋章の間

 有名な建築家スターソフ(1769~1848年)の設計によっ
 て造られた。 ロシアの国家体制を物語っている。

 ここには、ロシアの戦士を表した彫像が置かれ、その手に
 はロシア帝国の各県の紋章が描かれた旗が握られていた。
 後世、残念ながら彫像の殆どは喪失した。

 眩いばかりに輝く、金色の柱が、まさに権威の象徴だろう
 か。

次に、「1812年戦争ギャラリー」へ移動する。 ここには、
多数の肖像画があるが、先ず目に付くのは、天井の明かり
とりである。 何とも、素晴らしい設計である。

1812年戦争ギャラリー

 ナポレオン戦争の勝利に功績をあげた軍人達の肖像画
 で、壁面が覆い尽くされている。 その数332枚とか。
 これらの肖像画は、アレクサンドル1世がジョージ・ドウ
 という画家に描かせた。 1819年から10年かかったと
 いう。

 1837年の大火の際、これらの肖像画は全て救い出され、
 スターソフによって復旧された時に、元の位置に戻された。

続いて、「聖ゲオルギウスの間」へと移って行く。

聖ゲオルギウスの間

 「大きな玉座の間」とも呼ばれている。 冬の宮殿で、最も
 重要なホールの一つとされている。 白い大理石の柱で
 支えられたホールの奥には、ツァーリの玉座があり、革命
 前まではこのホールで荘厳な儀式が行われていた。

 玉座の頭上に天蓋が設けられ、ここにモスクワ公国の守
 護聖人ゲオルギウスを描いた紋章が刺繍されていたので、
 この間の名前の由来となった。

ピョートル大帝の間

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紋章の間

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