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ハイネス・アイ
HT、2002年作出、岐阜県農業技術研究所。花色はクリーム
地で、基部は明黄、花弁の縁にかすかに紅がさすのが、何とも
愛らしい。 剣弁高芯咲き、花径は12cmで大輪、四季咲き性。
花弁が厚く硬いことから、貯蔵性に優れている。 あわせて、ト
ゲが少なく、切り花向きの品種である。
内親王殿下愛子さまのご誕生を記念して命名された。
ハイネス雅共々、岐阜県ブランドの有望品種として、今後の生産
が期待されている。
※イタリア旅行(16) -2002.11.22- <六日目>
昨日は最後のトレヴィの泉で雨が降り出したが、今日
のお天気は大丈夫のようだ。 午前中はフリーである。
07:30朝食後、午前中の行き先を検討する。
昨日システィーナ礼拝堂は見学したが、サン・ピエトロ
大聖堂はまだ見ていない。 そこへ行こうと衆議一決
(といっても家内と二人だけだが)する。 立派なホテ
ルだが、残念ながら地下鉄駅に遠い。
フロントでタクシーを頼む。 同じグループのご夫婦が
同乗を依頼される。 勿論OKである。 5分くらい待た
されたがタクシーがやって来た。 ガイドブックで目的
地を指させば、すぐスタートする。 09:10頃である。
少し渋滞した所もあったが、25分後にはサン・ピエト
ロ広場前に着いた。 割り勘ですんだのは有り難か
った。
サン・ピエトロ広場
バロックの巨匠ベルニーニが設計した「世界一の
広場」として名高く、1667年に完成した。 広場
は284本のドーリア式円柱が並ぶ回廊で囲まれ、
中央にはエジプトのオベリスクが立つ。 これは、
紀元後37年に古代エジプト都市へリオポリスよ
り運ばれてきたもので、後世の地震で唯一倒れ
なかった。 高さは25mある。
クリスマスになると、この広場にはイエス様誕生
の場面の人形が多数置かれ、大変賑やかとの
事である。 毎週日曜日の正午には、法王様の
姿を拝見出来るとか。 この広場はなんと、30
万人を収容出来る。
法王様を守る衛兵が入り口を警備している。 縞
模様のユニフォ-ムはミケランジェロがデザイン
したものを、現在も使用している。
衛兵はスイス人で、しかも代々ここを警備した子
孫でなければならないとか。 衛兵の交代を見学
出来たのはラッキーだった。
広場を一通り撮影したところで、いよいよ待望の
サン・ピエトロ大聖堂に入っていく。
サン・ピエトロ大聖堂
世界最大の規模と豪華さを誇る、カトリック教会
の大聖堂である。 現在の建物は16世紀以後
のものだが、その前身となったのは4世紀のコ
ンスタンティヌスの聖堂である。
紀元後313年にキリスト教徒となった最初の
皇帝コンスタンティヌスは信仰の証として、バシ
リカ(聖堂)の建設を命じた。 聖ピエトロに捧
げられたこの聖堂は、暴君ネロによって逆さ磔
(はりつけ)にされたというピエトロ殉教の地に
建てられた(349年)。
1546年に再建の命を受けたミケランジェロは、
彼独自のデザインで建設を始めた。 さらに、
デラ・ポルタやカルロ・マデルノらに工事は引き
継がれ1626年に完成した。 この間に様式は
ルネッサンスからバロックへと移り変わった。
最も有名なのは、ピエタの礼拝堂であろう。 ミ
ケランジェロが最初のローマ滞在中に制作した
若き日(25歳)の傑作、ピエタ像が安置されて
いる。 フランス人枢機卿フェツェンザックの依
頼を受けて、1499年に完成した。 この作品
によって、ミケランジェロは天才として世の注目
を集めるきっかけとなった。
1972年に像の一部が破壊されるという事件
があり、現在は防弾ガラスによって守られて
いる。 台座が高くて、イエス様の顔が見られ
ないのは残念である。
サン・ピエトロ広場
サン・ピエトロ大聖堂ドーム
※追加画像は下記をクリックして下さい。
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