柴田勝家と北ノ庄城
↑ 柴田勝家像(かつての居城、北の庄城跡に建つ柴田神社にて。2004年10月)2004年10月、新潟県中越地震が発生した直後でしたが、福井県、石川県を旅しました。主な目的地は、永平寺(福井県)、金沢(石川県)。まず、大宮から、夜行列車の急行「能登」にて金沢へ。さらに、翌朝7時3分発の特急サンダーバードにて、福井へ。初日は、えちぜん鉄道を利用し、永平寺、白山平泉神社などを訪問。翌朝はやく、宿からのバスを降り、福井駅に向かう途中で、時間が余っていたので、何とはなく柴田神社へ。戦国武将、柴田勝家を祭神とする神社で、お市の方も祀られている。居城にして滅びの地である北ノ庄城の跡地に立地している。柴田神社は、1890年の創建で、歴史は浅く、お社も新しい。そのため、関心を持てなかったが、ついつい、見とれてしまったのが、神社に建てられている柴田勝家の銅像。 横から眺めると、憂鬱そうな目をあたりを見渡しているかのように見える。像は、勝家が敗れた後、しばらくして当地に入った結城(松平)秀康の居城、福井城に背を向けている。自分が滅んだ後の支配者が居座った城に背を向け、何を見つめているのか。その結城秀康も、悲劇の人生を辿った。福井城の跡には、福井県庁が建っている。大きなお堀に囲まれ、本来なら天守閣や櫓、御殿などがあるはずのところに、現代のビルが建っている。その姿には、大きな違和感を覚える。まるで、主の首を切断して取り払い、まったく別の首にすげ替えたような錯覚さえ覚える。