ハイスクール編1 受験番号1番様。私の高校受験はひやひやだった。最終倍率が1倍を切ったのだ。つまり!定員割れ。ぼくも、あなたも、おいらも、あんたも。みんなもれなく合格さ! 新聞紙上で、定員割れを知ったこの私が、直前の大切な時期を、遊びまくったのも、無理のないことだろう。 しかし。後で高校の先生に聞くと、定員割れでも一定の水準に達してないときは不合格もあるという。入学してから聞けてよかったよ。。。。あぶねえあぶねえ。 そういや、受験番号が1番だった。それは、うちの中学が、出願を先生がまとめてして下さるのだが、必ず1番に窓口で手渡しで出しに行くからだそうな。当時は、なんとも思わなかったが、なかなか味なことをやる中学だな。 そいで、勉強しないで迎えた試験当日も、なんと、欠席がちらほらあるではないか。きっと私立受かって決めた子たちがお休みなんでしょ。 ますます、有頂天になったことは、言うまでもない。 あんた、よろこんでるけど、ギリだったぜ。なんて言われてたかも。返す返す、アブねえアブねえ。 今も昔もほがらかさんは、結果オーライ、事故も多し。 2 入学早々、ガラス割。 入学早々、休み時間に仲間と空き教室でぞうきん野球をしていたが、はずみでバット代わりのほうきが窓を直撃。4階の窓ガラスが、地上まで飛び散り、もし下に通行人がいたら大変なことになるところでした。 僕はちょうど、外野をやっていたので、直接の問題行動ではないにせよ、明らかに連帯責任。 備品担当の地学S先生(東大出身?)に謝罪に行く。どんだけ叱られるかと思いきや。 「今度からはあ~、きをつけてくださあい」 以上。 でした。拍子抜けしのを覚えています、なんせ、中学はビンタが普通でしたからねえ。今思うと、中学の体罰はすごかったですね。 3 文系か理系か。 高校前から医学部希望していましたが、学校では、とても言い出すことはできない状況でした。やはり同期にも医師や弁護士はおおいのですが、当時の私の成績と言えば・・・ 得意科目 国語、英語、社会、音楽、体育。 苦手科目 生物、物理、化学、数学。 誰がどうみても文系、一直線。 一番ひどかったのが、校内模擬試験で、数学がたったの12点 だんな、12点ですぜ。しかも、200点満点で、というからもう驚きでぇい! 白紙じゃなくて、書き込みまくりですぜ。 社会はおもしろいですぜ。地理、日本史、世界史、倫理政経。やっぱり社会派なんですよね、この人。高校3年の2学期に、理系は社会科の選択を1科目でいいのに、日本史をとってましたからねえ。とれる仕組みの学校も驚きだが、実際に理系科目を減らして、日本史をとってる、あなた。何者?て感じでした。 その日本史。高校3年で発症した糸球体腎炎の通院日時がいつも日本史の時間で、休みまくっていたら、日本史の先生から、 「あら、せいろうくん、あと1回休んだら、日本史単位ありませんので、おきをつけくださいな」 おーい、もっと早く教えてくれよー。理系で不要な日本史で留年するところだったじゃねーかー。うちの高校、1教科でも落ちたら即留年なんだよ。 アブねえアブねえ。 4 早朝ラッシュアワーの恐怖 自宅から学校は遠かった。毎朝6時半ごろ出かけていたと思う。 家→名鉄岩倉駅 自転車20分 雨の日も、雪の日も。 岩倉→名古屋駅 30分くらい 猛烈なラッシュ。ぎゅうぎゅう詰め。 名古屋→大曽根(JR、中央線)15分 ラッシュは逆向きなので空いている。 大曽根駅→高校 徒歩15分くらい。 接続がなかなかうまくいかないから、結局1時間半以上かかることも。今は、あのラッシュ、耐えられないだろうなー。俺の鞄はどこまでいっちゃってる? 見えないよー。揺れると転ぶよー。ドアに何かはさまってますよ、駅員さん。 スカートじゃないか。かわいそうだよ。 あけてやりなおすと、隣のドアで、今度はおっさんがネクタイを・・・・ みなさま、お疲れ様でございます。 |