私が派遣社員になるまでの事 1
平成10年4月まで、私は大阪府に本社がある建設会社に勤めていました。その会社はコンクリート構造物の調査・診断および施工を主たる事業としていました。またアスベスト除去工事や集合住宅の外壁改修工事、高速道路の橋脚や床板の補強工事もしていました。1996年頃が全盛で、年商70億円、利益3億円近くありました。株式の公開も検討するほどの勢いがあったが、97年にゼネコンや銀行・信組などが次々に倒れ、取引先も多く失いました。またその頃から指名競争入札から自由競争入札になっていき、補修工事は随意契約とかゼネコンとJV(受注共同体)での高値落札ができていたのが、談合が成立しなくなりました。新規公共工事が減少したため、大手も補修工事に力を入れ始め、急速に競争力を失い、利益率が落ちていったのでした。経理課長をしていた私は、精神的にまいっていました。私が○○建設の大阪支店に5000万円の手形をもらいにいってから半年後に、○○建設は会社更生法の適用を申請したのでした。負債総額は4000億円を超えていました。タッチの差は不渡りを食らわずに済んだものの、そんな倒産が一年に4~5回もあったら、たまりません。私は鬱病と不眠症になって、精神科で薬をもらうようになりました。他にも、いろんな理由があったんですが、建設会社を辞めた訳です。とりあえず1回目はこれでおしまいです。