【八幡塚古墳】 24
「古墳の縄張り」 せっかくだから、『八幡塚古墳』の周りさぐるっと歩いた。 風さなかったら、もっとゆっくり出来たんだどもなぁ。 さみ~ので、足早になっちまう。 あっつうまに巡れっかな、と思ったんだけど。 広すぎたな。行っても行っても、『外堤』が続いてるど。 まったく、よくこったらでっけ~もん、こしゃったな~。 それに形。 ぐるっと回って別の角度からみても、ちっともくずれてないんだよ。『墳丘』の脇にある『中島』も、真ん丸だな。 目でみた限りじゃ、歪みはないど。 いったいどうやって、正確な円さかいたんだろ? 本によると、コンパスのような道具があったみたいだな。 っつっても、真ん中に棒さ立てて、そっから伸した紐の先に、 も一本棒っこくっつけただけ、なんだどもな。 真ん中の棒を固定して、もう一方の棒っこで、 地面さがりがりやりながら引っ張っていくと… 正確な円がかける、って仕組みなんだ。 もう古墳時代にゃ、こったら技術があったんだな。知らなかったよ。 だども、こったら単純な技術が、古墳の形も決めっちまうんだよ。 古墳のつくりかたを簡単に説明すっと、 1:場所を決める。 ムラから見えるとこ、古墳の勇姿が映える場所をめっけるんだな。 2:設計図を描く。 古墳にも時代によって流行りがあってな。 こんな形がいいよ~、っていう基準があったらしいど。 で、その設計図にしたがって、 自分とこの王にあった大きさ、デザインをきめて、 地面に印さつけていく。『縄張り』って言われる作業だべ。 ん? ちょっとお城のつくりかたと似てるね。 おっきな建築物だかんな。 基礎んとこは、同じなんだな。 で、ここで活躍するのが、さっきのコンパス。 どうも古墳の形を決めるのは、この円らしいんだ。 中心点を決めて、円を1つ描く。 これが後方の円の部分。 そして、前方部分にあたるとこに、 同じ大きさの円を描く。 で、円内に収まるように、四角く形さ整えると、 前と後ろが1対1の比率になる『前方後円墳』ができる、と。『八幡塚古墳』の場合。基本になる円の大きさは、 半径が24メートルなんだと。 なので、円を基本に、古墳さ組み立てていくと、 前方部分が 24+24=48メートル。 後方部分も 24+24=48メートル、と 24で割り切れる形になんだって。 さらに、『墳丘』から『堤』までの距離も、24。 この辺のも、円を使った方法で、採寸したんだべな。 なるほど、なるほど。 だから、古墳はあんなにかっちりしてんだな。 ただ土さ盛ったんじゃなくって、 最初の段階から、細かい配置や形まで、きっちり計画してあったんだ。 古墳時代って、土木技術が発達してたんだな。 ところで、なんで基準の単位が24なのか、っつうとな。 この時代。中国に『晋』て国があったんだどもな。 そこで使われていた『晋後尺(しんこうしゃく)』によると、 1尺が24・25センチになんだって。 当時の技術者は、中国からの技術を学んだもんだから、 日本でも1尺=24メートル、になったんじゃないか、 って説があんだって。 そういえば『保度田古墳群』のあったあたりのムラにゃ、 中国から技術を伝えにきた人がいたとか、聞いたよ。 古墳のつくりかたを、教えにきたんだべか? 古墳は王の力を示す墓石だけじゃなく、 当時の建築技術の高さを示す、建築物でもあったんだな。 すげ~な~!《参考》 「よみがえる5世紀の謎 ~かみつけの里博物館・常設展示解説書~」 かみつけの里博物館の案内パンフレット************************************* 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村**************************************