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「大中寺の歴史」
『大中寺』はな。 久寿元年(1154)に、真言宗の寺として建てられたものなんだ。 だども、衰退しちまってな。 延徳元年(1489)に、『小山成長』が 『快庵妙慶』を招いて再興させたんだと。 16世紀半ばには、跡継ぎ問題がこじれて、寺は2つに分かれちゃったんだと。 一人は『無学宗ふん(「ふん」は「林」の下に「分」)』。 『小山高朝』がこさえた『大中寺(現在の大平町榎本)』へ移った。 さっきも小山氏の名前さ出てきたけんど。 昔はこの辺りを、小山氏一族が納めてたんかな? 『太平山城』が皆川氏の支城だったって聞いたから。 てっきり、皆川氏関連のお寺だと思ってたんだけんどな。 違うんだな。 さてと。 もう一人は『快叟良慶』。 この人はそのまま今の『大中寺』さ、残ったんだけど。 なんか問題でも起こったんだべか? どんどんと、衰退しちまったそうだっぺ。 そんだから『大中寺』は、、ちょこっと寂しい感じさすんのかな。 さてさて。 『山門』をくぐって、中さはいると お。ここは明るいな。 境内は木が茂ってないかんな。 しかし、本堂までたどり着くには、ちと、険しい道のりがまってだ。 階段だっぺ。 山ん中のお寺だかんな。しゃ~ないな。 ここの階段は表面が風化しちゃったんかな。 ぼこぼこしてて、登りにくいべ。 おまけに、幅させまぐねえけ? ころげっちゃいそうだっぺ。 そろそろと登って、背後さ振り返ってみた。 『山門』が、低い~。 さらに階段さ登って、やっと姿さ現したんがこれ。 『大中寺』の本堂だど。 だども、まだ、上にあんな~。 上さ登る階段は、どこだんべ? 16世紀にいったん衰退しちまった『大中寺』だけんど。 永禄5年(1562)『快叟良慶』の弟子『天嶺呑補』が、再興したんだと。 この人が、また、えらい人に繋がってくんだけど。 それは、また明日、な。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.08.01 12:29:07
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