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2012.11.28
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「信長公と玄宥と広照のつながり」






竪堀1への階段

 写真さ整理してたらな。やたらと道の写真が多いことに、気がついた。

 これは『竪堀1』へ登る階段。電雷神社の横にあんだよ。


 土塁好き→堀好き→狛犬さま好き、ときて

 次は、道・階段好きになんだべかw。


 どうなるか。これからのお楽しみ、だなw。






 さてさて。今日は、玄宥さんの勉強の続きさ、すんど。


 時代は、天正6年(1578)。『上杉謙信』が亡くなったあとの話だべ。


 このころ、皆川氏を始め下野国の武将たちは、

『上杉謙信』に従ってたらしいんだけど。

 謙信が亡くなっちまったもんで、あちこちで、騒ぎが起こったらしい。


 佐竹氏につく者と、北条氏につく者に分裂しちまって、

 騒動になった、って感じだな。




 んで、皆川氏は、っつうと。

 この頃は、宇都宮氏の配下になってたもんでな。

 宇都宮氏と共に、佐竹氏についてたんだと。


 だども『皆川城主・皆川広照』には、佐竹氏よりも、

 もっと興味がある武将がいたんだ。



 それが、『織田信長』だど。



 どうもこのころ、広照は、佐竹氏よりも、信長公の元へ行きたかったらしいんだ。

 けどな。当時の広照は、宇都宮氏の配下の小領主って立場だったから、

 勝手な行動を取る、って訳にゃ~いかねかったんだと。



 だども、信長公と、お近づきになりたい~。



 さ~て、どうすべか。



 ここで、広照は、信長に3頭の馬っこを、送ることにしたんだ。



 でもな。田舎の無名の小領主がな。

 いきなり信長公に、馬っこさ送っても、

 ま、受け取ってもらえないべな。



 そこで、2人の仲介さしたのが『玄宥上人』だったんだと。


 本には書いてないけど。もしかすっと。

 お弟子の『瞬秀』さんも、関わってたかもしんないな。


『瞬秀』は、皆川城の側の持明院にいたし、

 幼少の広照に指示した、って話もあるし。


 広照と玄宥の間を取り持った可能性は、高いんじゃ~ないけ?






 さて。話さ進めっと。


 当時は、紀伊の根来寺にいた『玄宥上人』は、

 まず、『堀秀政』に宛てて、文さ書いだ。



 『堀秀政』は、『玄宥上人』の文を見て、本物と信用し、

 また、玄宥の評判も聞いてたらしくてな。



 取り次いでも大丈夫だろう。



 って、判断したらしいど。

 
 んで。

 広照の献上した馬っこと、玄宥の文を、信長公の元へ届けたんだ。





 2頭の馬は、並み程度だったらしいけど。

 1頭は黒芦毛のすぐれものでな。


 この黒芦毛の馬が、

 信長公を大層喜ばした、一品だったらしいど。



 広照は、お礼として、

 織物100反、虎革5枚、紅緒50結び、

 あと、お礼状を貰ったんだと。




 んでな。このお礼状は、今も残っててな。

 昔、博物館の特別展示で、実物さ見たんだけどな。


 素人にゃ~、なんて書いてあんのか、わかんなかったっぺ。

 でも、確かに、信長公と広照の間に、

 馬っこの取引があったって、証拠だど!





 広照は、信長公の家臣『滝川一益』とも、繋がりさあったって聞いたけど。

 それも、信長公に馬っこさ送ったことが、効いたんだべか。


 
『玄宥上人』のおかげだべな。





 あとは、信長公が、もう少し長生きさ、してたら・・・



 もしかすっと、信長公の家臣に中に、『皆川広照』の名前が

 残ったかもしんない。



 って、いうのは、ちと、想像さしすぎかなw。









 《参考》


 下野戦国史~皆川広照の生涯~  大森隆司・大阿久岩雄  下野新聞社







 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。


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最終更新日  2012.11.28 22:35:59
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