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「大田原城の歴史」 階段を登ると広場にでだど。 ここは『北城』とか、『北郭』って呼ばれてるとこだど。 ややこしくなっから、ここじゃ『北城』で統一すんべ。 ちょっと、かっこいい呼名だな。 ええと。ここでちょこっと。 『大田原城』の歴史さ紹介すんべ。 『大田原城』は天文14年(1545)ごろに、 『大田原資清』が築いたって言われてるんだけど。 天文12年にこしゃった、って説もあんだって。 『大田原氏』の祖は『武蔵国』の生まれでな。 現在の埼玉県児玉群神川町辺りで『阿保』を名乗ってたんだ。 『阿保氏』は『武蔵七党』の一つ、『丹党』の一族なんだって。 これは初めて聞いたな。 なんだろ? 後で調べてみっぺ。 んで、明応3年(1494)。康清って人がいてな。 那須さ移り住んで、『大俵』と名乗ったんだと。 最初は『現在の大田原市町島』に 『水口(みなくち)城』を築いて、暮してたんだ。 『大田原城』からみっと、 『蛇尾川沿い』に500メートルぐらい、北上した辺りだど。 だども『水口城』は平城だったんで、守りの堅い城が欲しくてな。 今の『大田原城』を築いて、移り住んだらしいど。 そして名を、『大田原』に改めてな。 『那須七騎』と呼ばれるまでに、なったらしいど。 『戊辰戦争』のころは、新政府側について。 『白河城(福島県)』攻略の軍事拠点として、使われてな。 旧幕府側の会津軍に攻め込まれて、落城寸前までいったんだって。 『北城』の南は、どでかい崖! この上が『本丸』だど。 うわぁ~! すげ~な~。 こりゃ、登れねな。 っつうか、どっから登んだろ? どっかに『虎口』があるはずなんだけど。 どうやら裏口から、入ってきちゃったみたいでな。 『本丸入り口』が、わからない。 公園案内図があれば、すぐわかんだけんどな。 さあて。どっから攻め込むかな~。 わくわくしてきたべ。 《参考》
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最終更新日
2014.05.04 00:47:48
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