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鷲城 (栃木県小山市)

2012.04.11
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「鷲城の虎口」





『鷲城』には、虎口が3つあったことがわがってる。



 一つ目はここ。

鷲城の道 2

 小山総合公園側からくると、2つ目の入口に当たるとこ。

 城の位置でいうと、西側になるとこで、思川の崖に近い場所だど。

 崖の傾斜を利用した虎口で、中世の城址としては、状態がよく残ってるんだって。




 2つ目はここ。

虎口跡?

 現在は『鷲神社』の入口になってるあたりだべ。

 住宅地などの開発のため、土塁は無くなっちまったんだけんどな。

 昔はこの辺りにも土塁と堀があり、城へ通じる虎口があったことが、わがってる。


 こっち側は、思川の崖もなく、平な台地が広がってる場所なんだけどな。

 敵が攻めて来た場合、ちょっと防御に不安があってな。

 堀や櫓で、警備を固めてた可能性もあるらしいど。

 実際に、櫓台の跡もいくつか残ってるから、時間さあったら、周りを探索してみても、面白いべな。





 3つ目の虎口は、今回いけなかったとこ。

『鷲城』の見どころ、大きな堀の真ん中あたりにあるんだと。

 
 ここの虎口は、堀の中の曲輪と外の曲輪を結ぶ役割さ持っててな。

 堀の上を渡る木の橋があったんだって。

 ちょうど虎口の向かい側にあたる敷地に、橋を架けるために作られたと思われる、広い空き地跡が残っててな。

 研究者が、「橋があった可能性が高い」といってんだ。

 
 この広場は個人の家が建っててな。私有地だから、見学はできないけんど。

 土塁の底から見ることは、出来るかもしんないな。



 


『鷲城』が、現役で活躍していたころの、虎口はこの3つなんだけんどな。

 現在は、もう一つ、入口がこさえられてる。


 総合公園側から入って来ると、1個目の入口になるとこ。

 城の地図でいうと、南西のあたりかな。

江戸時代の入り口


 ここは、戦国時代にはなかった入口なんだ。




 んじゃあ、誰がこさえたか?

 それはわがんない。

 だども、江戸時代の頃に、開けられたものみたいだど。




 近所の村民が通る道だったんかな?

 それとも、災害があったときに、土塁の中に逃げ込んだとか?




 理由はわかんないけんど。

 これも、今んなったら、立派な史跡の一部、なんだべな。





《参考》

 『鷲城・祇園城・中久喜城 小山の中世城郭』 鷲城・祇園城跡の保存を考える会  随想社






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最終更新日  2012.04.11 23:17:49
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2012.04.10
「小山氏の戦乱時代」





 享徳の大乱がおこったころ。

 小山持政は、結城一族の山川氏から、養子を迎えたんだ。

 茂長っつってな。彼が跡を継いで、小山一族を率いていくんだ。



 さて。茂長の代に替わっても、戦乱は終わることはながったんだ。

 たとえば、1506年(永生3)の永生の乱。

 こんときは、宇都宮氏と対立したみたい。





 う、う~ん。難しいな~。

 この後も、まだまだ、戦乱は続くみたいだけんど・・・さっぱし、わからんべ。
 
 小山氏の歴史って、難しいべ~。

 こりゃ、すぐには、理解できないや。


 と、いうことで、申し訳なんだけんど、詳しい話はもちっと、勉強してからに、します。





 このあとは、後北条氏の勢力が、小山一帯に及んできたり、上杉氏の勢力が、迫ってきたりして、

 小山一帯は、戦乱に巻き込まれていくみたい。



 小山氏ん中でもな。
 
 家督相続に関して、騒動があったりして、落ち着いた時期はなかったようだべな。



 

《参考》

 『鷲城・祇園城・中久喜城 小山の中世城郭』 鷲城・祇園城跡の保存を考える会  随想社
   



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最終更新日  2012.04.10 22:49:38
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2012.04.09
「小山氏の復活」




鷲城の外観

(これは、思川の近くからみた『鷲城』だど。後ろの森ん中に、『鷲神社』さあんだ。)





 小山義政・若犬丸の反乱で滅びてしまった小山氏だどもな。


 お隣でもあり、親戚筋でもある結城氏の一人、結城基光が祇園城に入り、小山氏を再興することになったんだ。

 基光の次男・泰朝の代になってから、小山氏を名乗るようになって、幕府にも認められ、やっと、小山氏が再興されたんだど。




 そして、本格的に小山氏が活躍し始めたのが、1416年(応永23)におきた、上杉禅秀の乱だっぺ。


 城主は泰朝の子・満泰。

 満泰は鎌倉公方・持氏の味方さして、活躍したんだと。

 常陸の小栗満重を打ち取ったあと、満泰は亡くなり、子の持政が後を継ぐ。



 さて、こっからが、たいへんだ。


 1438年(永享10)。


 まずは鎌倉公方・持氏と、将軍・足利義教の対立。

 持政は将軍・義教側につき、持氏を追い詰めた。


 持氏は自害。これを、『永享の乱』っていうらしいべ。



 そして、1440年(永享12)。


 結城城に逃げた、遺児・春王丸、安王丸は、城主・結城氏朝と供に鎌倉公方再興を合作したんだ。


 こんとき。

 持政は氏朝に、味方につくように、説得されたらしいけんど、断った。

 小山持政は将軍側につき、結城城を攻め落としたんだ。



 2人の遺児・春王丸と安王丸は、捕えられ、美濃の垂井で処刑された。

 
 これを『結城合戦』っていうんだべ。



 さらに、1441年(嘉吉元)。

 将軍・足利義教が暗殺されちまった。

 

 そして、万寿王丸(成氏)が、鎌倉公方として、復活。

 
 さらに、成氏は幕府と対立して、反乱を起こす。

 
 関東全域を巻き込んだ反乱を、『享徳の大乱』という。



『享徳の大乱』で、小山持政は成氏側について、戦ったんだと。

 最後は、幕府と成氏は和解すんだけんどな。

 その頃には、持政の子も孫も、亡くなっててな。


 小山氏は再び、滅亡の危機を迎えっちまったんだべ。





《参考》

 『鷲城・祇園城・中久喜城 小山の中世城郭』 鷲城・祇園城跡の保存を考える会  随想社
   



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最終更新日  2012.04.10 00:41:07
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2012.04.05
「堀の中の坂道」



 謎は、すぐに解けた。

 っつうのもな。こんな道さ出て来たんだ。

登り口

 堀の上に通じてんだ。

 上を見ると、民家らしい建物が見える。

 お年よりは、ここさ上がっていったんだべな。



 上は町になってっけど、昔は曲輪だった場所。

 ちょこっと、いってみようかな?

 
 だども、堀の先も気になるべ。



 
 ・・・今回は、堀の勝ち! 

 

ってことで、坂は登らずに、先に進んだど。
 



倒木

 あんまし、手入れがされてないみたい。

 倒れた木が、たくさんあったど。

 自然の状態w。でも、安全面を考えると・・・ちょっと不安だべ。



 今度は、前回と違う意味で、どきどきしてきたど。

 これは、不安な状態。あんまし、体にいくないべ。

 や~な、予感さ、すっと~。


 って思ってたら、的中しちゃったっぺ。



障害物

 前方に、障害物、出現!

 車・・・かな? 青いシートが掛かってる。

 おまけに、堀を塞いでる。


 ぎりぎり、通れるような気もすっけど・・・なんか、怖い雰囲気さする!


 

 この先にあるはずの虎口、見たかったけんどな。

 安全第一。残念だけど。

 
 今回は、ここまでで、撤退しました。






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最終更新日  2012.04.06 00:09:49
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2012.04.04
「堀の底」




 堀の底を歩く。

 カーブさなったとこをすぎたら、こんなとこにでたど。

堀の底1


 藪んなかで、解りづらいかもしんないけんど、これって、遺構だべ?

 左っ側は高い崖さなってて、右っ側は、なだらかな坂道になってっと。



 同じもんを『黒羽城』の堀んなかでも、見だな。

 規模は『鷲城』のほうが、ちっこいけんど、同じもんじゃ~ないかな~。

 これ、なんていうんだろ?




『黒羽城』の場合は、確か、堀の入り口んとこにあったんだけどな~。

 そんじゃ~ここにも、入り口があんの? ここが虎口け?



 んで、ドキドキしながら、右っ側の坂さ、登ったんだけっとな。

 見た目よりも、キツい坂なんだ~。

 ほんとに心臓さ、ドキドキしちゃったっぺ。



 こりゃあ、敵さんも、ていへんだ~。

 


 登ったあとを、振り返ってみたら、こっちの崖も、見た目より高い

 草が生えてっとこが、崖の上。

 んで、土んとこが堀の底だど。

堀の底2

 ちと、写真さわかりにくいかな?



 だども、敵を迎え撃つには、有利だべな。

 戦国時代だったら、この辺の高台に柵とかこさえて、矢を射たんだべなぁ。




 しばし、空想の世界で楽しんだあと、辺りをよ~っく見ると、

土塁の切れ目さ発見したど。

外への出口


 表を覗いてみると、 

 ここは総合公園からきたとき、前を歩いていたご老人が、曲がったとこだった。



 ・・・え~と、ご老人、ここさ通ってどこいったんだべ?



 だって、周りは土塁の壁だど。

 先はず~っと、掘だど。



 
 足元の遺構も気になっけど、ご老人の行方も、気になるべ~。


 ・・・謎が、増えっちまったど。





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最終更新日  2012.04.04 22:57:20
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2012.04.02
「土塁・空堀」





 参道を戻る途中に、広い空き地があっだ。

 ここも、曲輪だったらしいど。


 鷲神社と隣合わせさ、なっててな。

 こないだの畑とは、土塁で仕切ってあるって聞いたけど、

藪だらけで見分けらんなかったっぺ。


 今は公園広場になっててな。遺構らしいもんは、発見できなかったべ。





『鷲神社』を抜けて『虎口』さ、かけ降りると、

最初に『鷲城』さ入った場所に戻ったど。


土塁の看板

 そごには、『土塁 ⇒』って書かれた看板があってな。

 そっから、南に向かうと、土塁のうらっ側さ、はいれんだ。



空堀

 幅が広いな。これは、空堀ってやつだべな。


鷲城の土塁1

 見上げっと、左右に土塁の壁がそびえてる。



 曲輪方向からみたときは、もっとちっこくみえたのになぁ。

 今じゃぁ、押しつぶされそうな脅威を感じるべ。


 う~んと。5mはあっかな? 高くて見当さつかないな~。

 しかし、よぐもまぁ~、こったらすげぇもん、こさえたな~。



 こんな感じは『黒羽城』の堀に入った時いらいだべ。

 おっかないけど、先さ楽しみになってきたど。




虎口の看板

 藪ん中を、さらに進と、こんな看板さ、でてきたど。



『虎口』だって。

 こりゃ~テンション、あがっちゃ~な~。




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最終更新日  2012.04.03 00:03:26
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2012.04.01
「参道」





鷲神社の参道

『鷲神社』からまっつぐ伸びる道。参道だっぺ。

 両脇に聳える木は、杉。

 いい感じだな~。


 杉並木を眺めながら、ゆるゆると歩いていると、気分もすっきりしてくんね。

 そろそろ、花粉症が気になる季節だけんど、今んとこ、ぜんぜん花粉と縁さ、ねえもんでな。

 みっちり生えた杉も、ぜんぜん平気なんだ~。




 だども、長いな~。どんぐらいあんのかな?

 それに、なんで、参道脇の木は杉なんだべな?


 この前行った『雄琴神社』も参道の横には、杉の並木があったしな。

 なんか意味があんのかな。



 なんて考えながら歩いていたら、入口に着いた。
 

鷲神社の入り口1

 こっちが、ほんとの『鷲神社入口』だど。



鷲神社の入り口3

『鷲神社』の隣に、『鷲城』の石碑。

 案内板もここにあった。


 城の案内板によると、一番東の端っこにあたる場所だな。




 ここは昔も、城の入口だったみたいでな。

 鳥居の横には『虎口』って表示がしてあったっぺ。


虎口跡?


 でも、よぐわがんないな~。

 どの辺が、虎口なんだべな。



 ちなみに。

 うらに見える畑は、昔、曲輪だった場所らしいど。


 あとな。案内板によると、な。

 道沿いに歩いていくと『櫓台跡』ってのがあるらしい。

 これも、城の遺構だべな。



 どうしようかな~。いってみっかな?



 迷ったんだけど、今回は、やめた。



 だって、この後、土塁探検するんだもん!

 体力温存しとかなくっちゃ、な。



 だがら、一通りぐるっと見回して、参道を戻ることにしたど。



《栃木弁:注》 うら=後ろ



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最終更新日  2012.04.01 23:58:49
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2012.03.30
「主郭? らしい」




 神社の横に『思川 ⇒』っていう案内板さ見つけた。

『鷲城』からも、思川がみれるんだど。


 さっそく、行くこうとしたんだけんど、こんな道なんだ。

思川への道

 
 実際はもっと笹がいっぱいで、獣道みたいになってたんだけどな。




 さあて、行くか、戻るか・・・ よし、行く!



 せっかくきたんだから、ちょこっとでも、思川さ見たかったんだ。


 城跡からでれば、いっくらでも見れるけど、

 上からみたんと、下からみたんじゃぁ、イメージが違うべ?

 城からみた思川が、見たかったんだ。




鷲城からみた思川 1

 藪を掻き分けていくと、先は広場みたいになってたど。

 そっから見た『思川』。



 うわ~。緑色だ~。

『祇園城』でみたんと、ぜんぜんちがうど~。

 水の量も多いし、深さがあんだな~。




『鷲神社』の西側にあたるこの辺は、主郭があったんじゃないかって言われてる場所なんだと。

 草や木が茂ってて、広さがよくわかんないべ。

 ちょっと主郭には、狭ような感じだけど。どうなんだべ?


 奥のほうは、案外広いんかもしんないな。

 草ぼうぼうで、広場の向こうには、いけなかったけんど。


 神社の裏に当たる場所は、木や草がたくさん茂ってる場所があったからな。

 そこらへんが、曲輪になってたんかもしんないな。

 

鷲城からみた思川 2

 最後に、木々の隙間から上流を見た。

 上流にも、水が並々と、流れてく。

 
 夏になったら、釣りもいいな~。

 なんてな。釣りはしたことないから、気分だけ、な。


 ・・・『鷲城』にいた兵たちは、ここで、釣りさしたんかな?




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最終更新日  2012.03.30 23:00:36
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2012.03.29
「鷲神社の狛犬」





 神社といえば、狛犬。

『鷲神社』にも、狛犬さまがいらしたど。



鷲神社の狛犬 1

 神社に向かって、左手の狛犬さま。

 足元には毬のようなもんが、ある。

 よ~く見ると、毬には綺麗な花のような模様が彫られてた。


 この狛犬さまの顎には、髭がもあるんだど。

 雄の狛犬さまなんかな。


 
 じ~っと、見てたら、ふと、ツイッター仲間さんのブログさ、思い出した。

 規模は違うけんど、そこで紹介されてた狛犬さまも、毬を持ってたんだ。

 そんで、対さなってる狛犬さまの足元には、子狛犬がいだ。

 (子狛犬が載ってる、りりさんのブログは こちら


 
 もしかして、ここにも、小狛犬がいんのかな~?



 わくわくしながら振り向くと、右手の狛犬さまの足元に・・・いたど~!

 小狛犬ちゃん!


鷲神社の狛犬 2

 はじめて見たど~。



 実は、小狛犬、みたかったんだ~。

 最初にブログさ見たとき、ちっと・・・いんや、すご~くうらやましかったんだ~。

 いや~!感動しちゃったな~!

 こったらとこで、小狛犬ちゃんがみれっとは、思わねがったもんな~。



 ここの狛犬さまは、色も付いてないし、地味。

 だけんど、いやいやいや~、なかなかいい味もってんど~。


 作られた年代とか、銘って気にしないから、見なかったんだけんどな。

 狛犬さまにも、なんか、つながりってあんのかな?


 
 や~。

 狛犬ファンに、なっちゃいそうだっぺw。

 狛犬さまの歴史ってのも、深いもんが、あんだべな。




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最終更新日  2012.03.31 00:36:29
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2012.03.28
「鷲神社」




 土塁の壁の反対側に目を向けると、神社がある。

鷲神社 1


『鷲神社』だど。

 小山義政が、武蔵国太田荘にある『鷲宮神社』から、歓進してきた神様がおられるんだと。

『鷲城』の名前も、ここからもらって付けたって話だよ。


 本家の『鷲宮神社』は、

 天穂日命(あめのほひのみこと)、武夷鳥命(たけひなとりのみこと)、大己貴命(おほなむぢのみこと)が祭神になってるんだ。

『鷲神社』も同じだったかな? 案内板さ、見逃しちゃったっぺ。





鷲神社 2

『鷲神社』の正面。

 飾りっけはないけど、荒れてもいない。今も大事にされてんだね。



 んで。

 今回も、神社の裏側さ、行ってみたど。

 本殿の横には、小さな建物が建ってた。

鷲神社 3

 ここにも神様さ、いんだね。




 そういえば、『鷲神社』の横に、神様の名前が刻まれた石碑があったっぺ。


 写真は撮らなかったんだけど、

 『鷲宮神社』と同じ神様の名前が入ってたみたいだど。


 他にも何人が、神様の名前があったんだけんどな。

 漢字さ難しくって、読み切れなかったっぺ。


 まだまだ、勉強さたんないな~。




 そうそう。

『鷲宮神社』には、小山義政ゆかりの品があるんだと。

 義政が神社に奉納したっていう、太刀だべ。


 刃の部分には表に『武州太田庄鷲山大明神」、裏には「永和二年卯月十九日 義正」って彫られてるから、間違いないみたい。

 南北朝時代の特徴が、よく残ってて、歴史的資料としても、貴重品なんだと。


 作者は平安時代から室町時代に活躍した、吉次という人。

 刀の茎に「備中国住人吉次」って銘があってな。

 そこからわかんだと。


 
 義政は刀を奉納して、何を願ったんだべな~?




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最終更新日  2012.03.28 23:45:45
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