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2012.10.01
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全15件 (15件中 1-10件目) 鷲城 (栃木県小山市)
カテゴリ:鷲城 (栃木県小山市)
「鷲城の虎口」
『鷲城』には、虎口が3つあったことがわがってる。 一つ目はここ。 ![]() 小山総合公園側からくると、2つ目の入口に当たるとこ。 城の位置でいうと、西側になるとこで、思川の崖に近い場所だど。 崖の傾斜を利用した虎口で、中世の城址としては、状態がよく残ってるんだって。 2つ目はここ。 ![]() 現在は『鷲神社』の入口になってるあたりだべ。 住宅地などの開発のため、土塁は無くなっちまったんだけんどな。 昔はこの辺りにも土塁と堀があり、城へ通じる虎口があったことが、わがってる。 こっち側は、思川の崖もなく、平な台地が広がってる場所なんだけどな。 敵が攻めて来た場合、ちょっと防御に不安があってな。 堀や櫓で、警備を固めてた可能性もあるらしいど。 実際に、櫓台の跡もいくつか残ってるから、時間さあったら、周りを探索してみても、面白いべな。 3つ目の虎口は、今回いけなかったとこ。 『鷲城』の見どころ、大きな堀の真ん中あたりにあるんだと。 ここの虎口は、堀の中の曲輪と外の曲輪を結ぶ役割さ持っててな。 堀の上を渡る木の橋があったんだって。 ちょうど虎口の向かい側にあたる敷地に、橋を架けるために作られたと思われる、広い空き地跡が残っててな。 研究者が、「橋があった可能性が高い」といってんだ。 この広場は個人の家が建っててな。私有地だから、見学はできないけんど。 土塁の底から見ることは、出来るかもしんないな。 『鷲城』が、現役で活躍していたころの、虎口はこの3つなんだけんどな。 現在は、もう一つ、入口がこさえられてる。 総合公園側から入って来ると、1個目の入口になるとこ。 城の地図でいうと、南西のあたりかな。 ![]() ここは、戦国時代にはなかった入口なんだ。 んじゃあ、誰がこさえたか? それはわがんない。 だども、江戸時代の頃に、開けられたものみたいだど。 近所の村民が通る道だったんかな? それとも、災害があったときに、土塁の中に逃げ込んだとか? 理由はわかんないけんど。 これも、今んなったら、立派な史跡の一部、なんだべな。 《参考》 『鷲城・祇園城・中久喜城 小山の中世城郭』 鷲城・祇園城跡の保存を考える会 随想社 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村
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2012.04.11 23:17:49
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2012.04.10
カテゴリ:鷲城 (栃木県小山市)
「小山氏の戦乱時代」
享徳の大乱がおこったころ。 小山持政は、結城一族の山川氏から、養子を迎えたんだ。 茂長っつってな。彼が跡を継いで、小山一族を率いていくんだ。 さて。茂長の代に替わっても、戦乱は終わることはながったんだ。 たとえば、1506年(永生3)の永生の乱。 こんときは、宇都宮氏と対立したみたい。 う、う~ん。難しいな~。 この後も、まだまだ、戦乱は続くみたいだけんど・・・さっぱし、わからんべ。 小山氏の歴史って、難しいべ~。 こりゃ、すぐには、理解できないや。 と、いうことで、申し訳なんだけんど、詳しい話はもちっと、勉強してからに、します。 このあとは、後北条氏の勢力が、小山一帯に及んできたり、上杉氏の勢力が、迫ってきたりして、 小山一帯は、戦乱に巻き込まれていくみたい。 小山氏ん中でもな。 家督相続に関して、騒動があったりして、落ち着いた時期はなかったようだべな。 《参考》 『鷲城・祇園城・中久喜城 小山の中世城郭』 鷲城・祇園城跡の保存を考える会 随想社 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村
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2012.04.10 22:49:38
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2012.04.09
カテゴリ:鷲城 (栃木県小山市)
「小山氏の復活」
![]() (これは、思川の近くからみた『鷲城』だど。後ろの森ん中に、『鷲神社』さあんだ。) 小山義政・若犬丸の反乱で滅びてしまった小山氏だどもな。 お隣でもあり、親戚筋でもある結城氏の一人、結城基光が祇園城に入り、小山氏を再興することになったんだ。 基光の次男・泰朝の代になってから、小山氏を名乗るようになって、幕府にも認められ、やっと、小山氏が再興されたんだど。 そして、本格的に小山氏が活躍し始めたのが、1416年(応永23)におきた、上杉禅秀の乱だっぺ。 城主は泰朝の子・満泰。 満泰は鎌倉公方・持氏の味方さして、活躍したんだと。 常陸の小栗満重を打ち取ったあと、満泰は亡くなり、子の持政が後を継ぐ。 さて、こっからが、たいへんだ。 1438年(永享10)。 まずは鎌倉公方・持氏と、将軍・足利義教の対立。 持政は将軍・義教側につき、持氏を追い詰めた。 持氏は自害。これを、『永享の乱』っていうらしいべ。 そして、1440年(永享12)。 結城城に逃げた、遺児・春王丸、安王丸は、城主・結城氏朝と供に鎌倉公方再興を合作したんだ。 こんとき。 持政は氏朝に、味方につくように、説得されたらしいけんど、断った。 小山持政は将軍側につき、結城城を攻め落としたんだ。 2人の遺児・春王丸と安王丸は、捕えられ、美濃の垂井で処刑された。 これを『結城合戦』っていうんだべ。 さらに、1441年(嘉吉元)。 将軍・足利義教が暗殺されちまった。 そして、万寿王丸(成氏)が、鎌倉公方として、復活。 さらに、成氏は幕府と対立して、反乱を起こす。 関東全域を巻き込んだ反乱を、『享徳の大乱』という。 『享徳の大乱』で、小山持政は成氏側について、戦ったんだと。 最後は、幕府と成氏は和解すんだけんどな。 その頃には、持政の子も孫も、亡くなっててな。 小山氏は再び、滅亡の危機を迎えっちまったんだべ。 《参考》 『鷲城・祇園城・中久喜城 小山の中世城郭』 鷲城・祇園城跡の保存を考える会 随想社 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村
2012.04.05
カテゴリ:鷲城 (栃木県小山市)
「堀の中の坂道」
謎は、すぐに解けた。 っつうのもな。こんな道さ出て来たんだ。 ![]() 堀の上に通じてんだ。 上を見ると、民家らしい建物が見える。 お年よりは、ここさ上がっていったんだべな。 上は町になってっけど、昔は曲輪だった場所。 ちょこっと、いってみようかな? だども、堀の先も気になるべ。 ・・・今回は、堀の勝ち! ってことで、坂は登らずに、先に進んだど。 ![]() あんまし、手入れがされてないみたい。 倒れた木が、たくさんあったど。 自然の状態w。でも、安全面を考えると・・・ちょっと不安だべ。 今度は、前回と違う意味で、どきどきしてきたど。 これは、不安な状態。あんまし、体にいくないべ。 や~な、予感さ、すっと~。 って思ってたら、的中しちゃったっぺ。 ![]() 前方に、障害物、出現! 車・・・かな? 青いシートが掛かってる。 おまけに、堀を塞いでる。 ぎりぎり、通れるような気もすっけど・・・なんか、怖い雰囲気さする! この先にあるはずの虎口、見たかったけんどな。 安全第一。残念だけど。 今回は、ここまでで、撤退しました。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村
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2012.04.06 00:09:49
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2012.04.04
カテゴリ:鷲城 (栃木県小山市)
「堀の底」
堀の底を歩く。 カーブさなったとこをすぎたら、こんなとこにでたど。 ![]() 藪んなかで、解りづらいかもしんないけんど、これって、遺構だべ? 左っ側は高い崖さなってて、右っ側は、なだらかな坂道になってっと。 同じもんを『黒羽城』の堀んなかでも、見だな。 規模は『鷲城』のほうが、ちっこいけんど、同じもんじゃ~ないかな~。 これ、なんていうんだろ? 『黒羽城』の場合は、確か、堀の入り口んとこにあったんだけどな~。 そんじゃ~ここにも、入り口があんの? ここが虎口け? んで、ドキドキしながら、右っ側の坂さ、登ったんだけっとな。 見た目よりも、キツい坂なんだ~。 ほんとに心臓さ、ドキドキしちゃったっぺ。 こりゃあ、敵さんも、ていへんだ~。 登ったあとを、振り返ってみたら、こっちの崖も、見た目より高い 草が生えてっとこが、崖の上。 んで、土んとこが堀の底だど。 ![]() ちと、写真さわかりにくいかな? だども、敵を迎え撃つには、有利だべな。 戦国時代だったら、この辺の高台に柵とかこさえて、矢を射たんだべなぁ。 しばし、空想の世界で楽しんだあと、辺りをよ~っく見ると、 土塁の切れ目さ発見したど。 ![]() 表を覗いてみると、 ここは総合公園からきたとき、前を歩いていたご老人が、曲がったとこだった。 ・・・え~と、ご老人、ここさ通ってどこいったんだべ? だって、周りは土塁の壁だど。 先はず~っと、掘だど。 足元の遺構も気になっけど、ご老人の行方も、気になるべ~。 ・・・謎が、増えっちまったど。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村
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2012.04.04 22:57:20
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2012.04.02
カテゴリ:鷲城 (栃木県小山市)
「土塁・空堀」
参道を戻る途中に、広い空き地があっだ。 ここも、曲輪だったらしいど。 鷲神社と隣合わせさ、なっててな。 こないだの畑とは、土塁で仕切ってあるって聞いたけど、 藪だらけで見分けらんなかったっぺ。 今は公園広場になっててな。遺構らしいもんは、発見できなかったべ。 『鷲神社』を抜けて『虎口』さ、かけ降りると、 最初に『鷲城』さ入った場所に戻ったど。 ![]() そごには、『土塁 ⇒』って書かれた看板があってな。 そっから、南に向かうと、土塁のうらっ側さ、はいれんだ。 ![]() 幅が広いな。これは、空堀ってやつだべな。 ![]() 見上げっと、左右に土塁の壁がそびえてる。 曲輪方向からみたときは、もっとちっこくみえたのになぁ。 今じゃぁ、押しつぶされそうな脅威を感じるべ。 う~んと。5mはあっかな? 高くて見当さつかないな~。 しかし、よぐもまぁ~、こったらすげぇもん、こさえたな~。 こんな感じは『黒羽城』の堀に入った時いらいだべ。 おっかないけど、先さ楽しみになってきたど。 ![]() 藪ん中を、さらに進と、こんな看板さ、でてきたど。 『虎口』だって。 こりゃ~テンション、あがっちゃ~な~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村
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2012.04.03 00:03:26
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2012.04.01
カテゴリ:鷲城 (栃木県小山市)
「参道」
![]() 『鷲神社』からまっつぐ伸びる道。参道だっぺ。 両脇に聳える木は、杉。 いい感じだな~。 杉並木を眺めながら、ゆるゆると歩いていると、気分もすっきりしてくんね。 そろそろ、花粉症が気になる季節だけんど、今んとこ、ぜんぜん花粉と縁さ、ねえもんでな。 みっちり生えた杉も、ぜんぜん平気なんだ~。 だども、長いな~。どんぐらいあんのかな? それに、なんで、参道脇の木は杉なんだべな? この前行った『雄琴神社』も参道の横には、杉の並木があったしな。 なんか意味があんのかな。 なんて考えながら歩いていたら、入口に着いた。 ![]() こっちが、ほんとの『鷲神社入口』だど。 ![]() 『鷲神社』の隣に、『鷲城』の石碑。 案内板もここにあった。 城の案内板によると、一番東の端っこにあたる場所だな。 ここは昔も、城の入口だったみたいでな。 鳥居の横には『虎口』って表示がしてあったっぺ。 ![]() でも、よぐわがんないな~。 どの辺が、虎口なんだべな。 ちなみに。 うらに見える畑は、昔、曲輪だった場所らしいど。 あとな。案内板によると、な。 道沿いに歩いていくと『櫓台跡』ってのがあるらしい。 これも、城の遺構だべな。 どうしようかな~。いってみっかな? 迷ったんだけど、今回は、やめた。 だって、この後、土塁探検するんだもん! 体力温存しとかなくっちゃ、な。 だがら、一通りぐるっと見回して、参道を戻ることにしたど。 《栃木弁:注》 うら=後ろ ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村
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2012.04.01 23:58:49
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2012.03.30
カテゴリ:鷲城 (栃木県小山市)
「主郭? らしい」
神社の横に『思川 ⇒』っていう案内板さ見つけた。 『鷲城』からも、思川がみれるんだど。 さっそく、行くこうとしたんだけんど、こんな道なんだ。 ![]() 実際はもっと笹がいっぱいで、獣道みたいになってたんだけどな。 さあて、行くか、戻るか・・・ よし、行く! せっかくきたんだから、ちょこっとでも、思川さ見たかったんだ。 城跡からでれば、いっくらでも見れるけど、 上からみたんと、下からみたんじゃぁ、イメージが違うべ? 城からみた思川が、見たかったんだ。 ![]() 藪を掻き分けていくと、先は広場みたいになってたど。 そっから見た『思川』。 うわ~。緑色だ~。 『祇園城』でみたんと、ぜんぜんちがうど~。 水の量も多いし、深さがあんだな~。 『鷲神社』の西側にあたるこの辺は、主郭があったんじゃないかって言われてる場所なんだと。 草や木が茂ってて、広さがよくわかんないべ。 ちょっと主郭には、狭ような感じだけど。どうなんだべ? 奥のほうは、案外広いんかもしんないな。 草ぼうぼうで、広場の向こうには、いけなかったけんど。 神社の裏に当たる場所は、木や草がたくさん茂ってる場所があったからな。 そこらへんが、曲輪になってたんかもしんないな。 ![]() 最後に、木々の隙間から上流を見た。 上流にも、水が並々と、流れてく。 夏になったら、釣りもいいな~。 なんてな。釣りはしたことないから、気分だけ、な。 ・・・『鷲城』にいた兵たちは、ここで、釣りさしたんかな? ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村
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2012.03.30 23:00:36
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2012.03.29
カテゴリ:鷲城 (栃木県小山市)
「鷲神社の狛犬」
神社といえば、狛犬。 『鷲神社』にも、狛犬さまがいらしたど。 ![]() 神社に向かって、左手の狛犬さま。 足元には毬のようなもんが、ある。 よ~く見ると、毬には綺麗な花のような模様が彫られてた。 この狛犬さまの顎には、髭がもあるんだど。 雄の狛犬さまなんかな。 じ~っと、見てたら、ふと、ツイッター仲間さんのブログさ、思い出した。 規模は違うけんど、そこで紹介されてた狛犬さまも、毬を持ってたんだ。 そんで、対さなってる狛犬さまの足元には、子狛犬がいだ。 (子狛犬が載ってる、りりさんのブログは こちら) もしかして、ここにも、小狛犬がいんのかな~? わくわくしながら振り向くと、右手の狛犬さまの足元に・・・いたど~! 小狛犬ちゃん! ![]() はじめて見たど~。 実は、小狛犬、みたかったんだ~。 最初にブログさ見たとき、ちっと・・・いんや、すご~くうらやましかったんだ~。 いや~!感動しちゃったな~! こったらとこで、小狛犬ちゃんがみれっとは、思わねがったもんな~。 ここの狛犬さまは、色も付いてないし、地味。 だけんど、いやいやいや~、なかなかいい味もってんど~。 作られた年代とか、銘って気にしないから、見なかったんだけんどな。 狛犬さまにも、なんか、つながりってあんのかな? や~。 狛犬ファンに、なっちゃいそうだっぺw。 狛犬さまの歴史ってのも、深いもんが、あんだべな。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村
最終更新日
2012.03.31 00:36:29
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2012.03.28
カテゴリ:鷲城 (栃木県小山市)
「鷲神社」
土塁の壁の反対側に目を向けると、神社がある。 ![]() 『鷲神社』だど。 小山義政が、武蔵国太田荘にある『鷲宮神社』から、歓進してきた神様がおられるんだと。 『鷲城』の名前も、ここからもらって付けたって話だよ。 本家の『鷲宮神社』は、 天穂日命(あめのほひのみこと)、武夷鳥命(たけひなとりのみこと)、大己貴命(おほなむぢのみこと)が祭神になってるんだ。 『鷲神社』も同じだったかな? 案内板さ、見逃しちゃったっぺ。 ![]() 『鷲神社』の正面。 飾りっけはないけど、荒れてもいない。今も大事にされてんだね。 んで。 今回も、神社の裏側さ、行ってみたど。 本殿の横には、小さな建物が建ってた。 ![]() ここにも神様さ、いんだね。 そういえば、『鷲神社』の横に、神様の名前が刻まれた石碑があったっぺ。 写真は撮らなかったんだけど、 『鷲宮神社』と同じ神様の名前が入ってたみたいだど。 他にも何人が、神様の名前があったんだけんどな。 漢字さ難しくって、読み切れなかったっぺ。 まだまだ、勉強さたんないな~。 そうそう。 『鷲宮神社』には、小山義政ゆかりの品があるんだと。 義政が神社に奉納したっていう、太刀だべ。 刃の部分には表に『武州太田庄鷲山大明神」、裏には「永和二年卯月十九日 義正」って彫られてるから、間違いないみたい。 南北朝時代の特徴が、よく残ってて、歴史的資料としても、貴重品なんだと。 作者は平安時代から室町時代に活躍した、吉次という人。 刀の茎に「備中国住人吉次」って銘があってな。 そこからわかんだと。 義政は刀を奉納して、何を願ったんだべな~? ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 このブログでよく読まれている記事
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