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鑁阿寺・足利学校 (栃木県 足利市)

2012.10.26
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「亀腹」





多宝塔

 これは、足利市の『鑁阿寺』にある『多宝塔』

 ここに、ちょこっと気になるもんが、あったんだ。



 どこか、っつうとな。

 土台の下なんだ。


亀腹

 これだど。

 たまたま下んとこさ、目についてな。

 なんだんべ~ って気になって、写真さ撮ってきたんだどもな。


 わかっかな?

 なんか白い盛り上がりがあんだよ。

 それも、わざわざこしらえたもの。

 
 何の意味さあんだべな?





 写真は撮ったけど。

 調べることさ、すっかり忘れててなw。


 そしたら、今日みたお友達のブログに、同じもんが載ってたんだ。

 (戦国ジジイ・りりさんのブログは こちら
 


 ああ~!これ! 鑁阿寺にあったやつと、おんなしだ~!


 
 って、心ん中で、叫んじゃったよ~!



 

 んでな。

 この建物の下にある白い盛り上がりの正体は何か、っつうと。

『亀腹』っつう、建物の基礎に使う技術なんだと。

 真ん丸くこさえたものは、『饅頭』って呼ばれることも、あんだって。



 ふっくらと膨らんだように、

 漆喰さ塗って、すべすべに仕上げてあんのは、

 水はけさ、良くするためでな。


 水をはじいて、基礎の柱が痛まないように、保護してんだと。




 へ~。知らなかったべ。

 この技法は、社寺建築に用いられる技術で、鳥居にも、似たような部分があるらしい。


 

 ええ~と。

 今まで撮った写真の中に、鳥居ってあったかな~?



 あ、あった!

 鹿沼の町で撮ったやつ。ここに、『亀腹』さ写ってる!


亀腹.jpg



 四角い石の上の、矢印で示したとこなんだけど。わかっかな?

 ちょこっと膨らんでっとこが、あんべ?

 あの部分を『亀腹』、あるいは『饅頭』っていうんだと。




 これは石の鳥居なんで、柱さ腐ることはないけんど。

 木の鳥居だったら、『亀腹』をこさえることで、

 柱さ腐る予防に、なったんだべな。





 さてさて。この『亀腹』なんだけど。

 まれに建物の屋根の部分に、こさえられることも、あんだって。


 
 ネットで調べてみたら、

 多宝塔の上下両層の間に、こさえることも、あるらしい。



 そんじゃ~『鑁阿寺の多宝塔』にも、あんのかな?




 改めて、写真さじっくり眺めてみたら・・・なんか、あやしい部分さ、あるど。

 ちょこっとわかりづらいけど。

 
 屋根の上に、白くて半円形のもんが、ある。


 これかな?
 


多宝塔2



 これは横からみた写真。

 やっぱり、屋根の上に白いもんが写ってる。


 
 変わったデザインだな~、って思ってたんだけど。

『多宝塔』には、みんなついてるもんなんだと。



 は~、そうなんだ~。

 また一つ。勉強になったっぺ。







 ところで、屋根の上にある『亀腹』も、

 やっぱし、水はけのためなんだべか?


 
 それとも、屋根から落ちてくる滴が、建物中さ入らないように

 予防してんのかな?



 どうして、思いついたんだべな~?



 昔の人の知恵って、すごいな。








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最終更新日  2012.10.27 22:52:11
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2012.09.10
「奥の院通り」






 前にブログで、ちょこっとだけ書いたんだけど

『鑁阿寺』散策んときみっけた、『奥の院通り』。

 覚えてっかな? 

奥の院通り2


 ここさまっつぐたどっていくと、『樺崎八幡宮』に行けるらしいんだ。

 調べてみたら『樺崎八幡宮』は、『樺崎寺』っつう寺の跡地でな。

 足利義兼に、縁のあるとこみたいなんだ。
 


 そんじゃ~、次のほげほげ散歩は、

『奥の院通り』さ、いってみっかな~。





 でな。調べてみたんだけんど。

『奥の院通り』っていうのはな。


 足利義兼が『鑁阿寺』から『樺崎寺』へ向かうときに

 歩いた道らしいんだ。
 

 その道を、北郷観光協会のかたたちが、

 ハイキングコースとして整備した道が、『奥の院通り』なんだって。




 どううやら、『樺崎寺』ってのは、『鑁阿寺』の

 奥の院の役目も、してたらしいんだ。


 それで、道の名前に『奥の院』って入ってんだね。






『奥の院通り』ハイキングコースは、どんな道かっていうとな。

 車道沿いの道があったり、車さ通れないような草道があったりすんだけど。


 道沿いには黒っぽい案内標識があんで、迷ったりしないらしいど。

 

 だたな。問題が一つあんだ。

 距離がな~。どんだけあんだべな。



 ネットに、地図さ乗ってたんだけど。

 かなりの距離がありそうだど。




 道路地図で見ると。

『足利学校』前を、293号っていう、4車線の大通りが通っててな。

『樺崎八幡宮』も、293号を北へ向かえば、着くみたい。



 その距離は・・・ん? 4キロメートル?


 ということは、ハイキングコースだと、どんぐらいなんかな~?




 で、思い出したんだけど。

『奥の院通り』の入り口。

 鶉ちゃんの下に、距離が書いてあったんだ。

 どれどれ~。

奥の院通り3


 あ・・・6キロメートル、だって。


 
 だみだ~。

 6キロメートル、歩けないや。



『太平記館』に車さ置いてあるいたら、往復で12キロメートル。

 道に迷ったりしたら、これ以上の距離さ、歩かなくっちゃ~なんないんだ。



 考えただけで、足が重くなってきちゃったっぺ。

 そんなに体力、ないし。



 ってことで。車で『樺崎八幡宮』さ、行くことにしたど。



 さて、どんなとこなんだべな~。

 楽しみだな。








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最終更新日  2012.09.11 00:03:09
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2012.09.08

「裏門」



 庭のへ歩いて行くと、『裏門』に出る。

 最初に『足利学校』さ着いたときにな。

 入り口と間違っちゃったとこだど。


足利学校の裏門3


 これは、裏側・・・っつうのかな?

 庭園内から見た『裏門』だど。


 表っかわもいいけど、裏っかわもいいべ。

 一般人や学生が、出入りするために使った門なんだと。




 あれ?

 ちょっと不思議なことに、気がついたんだけど。

『入徳門』は、ここさあったんじゃ~ないんけ?


 確か裏門を移築したって書いてあったんだけどな~。


『足利学校』の周りは、土塁と水堀に囲まれてっかんな。

 他に、出入り口になりそうな、土塁の切れ目は、ないんだけんど。



 門が2つ? あったんかな?




 んで、もう一度パンフレットの説明文を読み直したらな。

 ちょっと気になる文章さ、みっけたんだ。




『入徳門』の説明んとこにな。こんなことさ、書いてあったど。


 天保2年(1831)鑁阿寺安養院の火災により焼失。

 
 前に『入徳門』について書いたときには、ちっとも気づかなかったんだどもな。

『鑁阿寺』は『足利学校』の、北っかわにあんだよな。


 んで、今見てる『裏門』は、『足利学校』の南っかわにあんだ。





 安養院がどこにあったんか、知らないんだけど。

『鑁阿寺』の側にあったとしたらな。

『足利学校』の南っぱしまで燃えるほどの、大火事だったってことに、なっちゃうど。



 だったら、ほかの建物、『方丈』とか『庫裡』も、燃えたはずなんだけど、

 そったら話はどこにもみつかんない。




 う~ん、どういうことだべな~。




 そこで、もう一度パンフレットをじろじろと、隅から隅まで眺めていたら、

 またまた、いいもんみっけたべ。




『足利学校』の配置図だっぺ。

 現在の復元された状態の地図が載ってたんだけど。

 北のほうに、土塁の切れ目があったんだ。


 そういわれてみれば。あったべな、そったら切れ目が。



 だども、門は鉄だったかな?

 史跡跡っていうよりも、荷物の運搬用の出入り口みたいだったど。

 ふんだから、すっかり忘れてたんだべな。




 そこなら、『足利学校』の北っかわで、『鑁阿寺』の側だから、

『鑁阿寺』方面の火事が飛び火してきても、おかしくないべ。




 そうか~『入徳門』は、こっちの裏口門だったんだな~。



 は~、いかったな~。

 謎が一つ解けて、気分がすっきりしたど。





《参考》

 『足利学校パンフレット』 (足利学校内で、購入可能)







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最終更新日  2012.09.08 23:23:32
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2012.09.07

「方丈」






『孔子廟』の次は『方丈』っていう建物さ、見学すんど。

方丈

 これが『方丈』だど。

『足利学校』っていえば、この『方丈』の建物が、必ず紹介されっから、

 有名な建物だべな。



 おっきいな~そんでもって、綺麗だべ~。



 だども、日本最古の学校にしちゃ~、隣の『孔子廟』と

 差がありすぎないけ?

 ちと、綺麗すぎっつうか、新しい感じだべ。




 それもそのはず。

『方丈』の建っている、東っかわはな。

『足利学校』が、最高期だったころのまんまじゃ~ないんだ。




 明治6年(1874)に一度整地されて、小学校が建ってたことがあんだど。

 こんときに、南側の土塁と濠も破壊。

 裏にあった門は、移築されたんだけんど。

 それが今の『入徳門』らしいど。




南庭園

『方丈』の正面には、池がある。

『南庭園』っつってな。

 書院庭園の形態を持つ、築山泉水庭園なんだど。


 奥のぽっこりしてる山が、築山だべな。



 ここも、もちろん壊されたとこ。

 池もいったん、つぶされちゃったんだべな。

 もったいない。


 

 昭和40年ごろに、小学校は校舎の建て替えをかねて移転。

 その後、昭和57年~平成2年ごろに、発掘調査さしたんだと。


 で、調査の結果、『方丈』や『南・北庭園』『庫裡』『土塁』『堀』などが

みっかってな。

 復元されたらしいんだ。



 
 復元された建物は、江戸時代中~後期ごろの『足利学校』でな。

 古地図や発掘状況を、参考にしてるらしいんだけど。

 ちょこっと位置なんかが、ずれてる可能性もあんだって。



 だもんで、建物の形式は、江戸時代のもんなんだけど。

 建物自体は、最近こさえられたもんだから、新しい感じさすんだね。



方丈2


 『方丈』の正面にまわってみたど。

 なんだか、映画のセットみたい。



 お隣の『孔子廟』の木が、いい感じに黒っぽくみえるからな。

 こっちの『方丈』は、綺麗過ぎて、なんだか物足りないべ。





方丈の玄関

 こっちは『玄関』。


方丈の玄関2

 お隣には観音さまが、ずら~っとならんでてな。

 ちょっと、恐かった。

 
 当時はこんなふうに、ずらずら~っとならんで、お出迎えなんて

 なっかたよね?


 展示用だべな。



『玄関』の上の瓦んとこにはな。『學』の字が彫ってあんだけど。

 これは『上杉憲実』の筆跡を、模写したもんなんだと。



 細かいとこまで復元されてんだな~。



 建物がすばらしいだけあって、古さが残ってないってとこが、

 う~ん。とっても、残念だっぺ。



《参考》


 『足利学校のパンフレット』 (足利学校内で、購入可能)


 






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最終更新日  2012.09.07 23:42:22
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2012.09.06

「孔子廟」






杏壇門の扉

『杏壇門』の扉だど。

 なんの模様だべな?

 わかんないけんど、細かい細工が施してあんど。



 ちょっと触ってみようかなw。

 ぺたっ!


 や~、なんか、感激~!!




 扉も鋲が打ってあって、頑丈そうだべ。

 大事な場所なんだべな。

 緊張すんど。




 一歩踏み込むと、砂利さ敷き詰めた広場に出る。

 そんで、正面にあんのが『孔子廟』だど。

孔子廟


 寛文8年(1668)の建築で、明の古廟に倣った造りになってんだって。



『孔子廟』ってのはな。

 孔子さまの霊を、祀った建物でな。元々は、中国のほうの建物なんだ。

 
 江戸時代になってから、日本にも霊廟が建てられるようになってな。

 主に、儒学さ学べる学校の中に、建てられるようになったんだと。




 へ~。そう言われっと、

 屋根の辺りがなんとな~く、中国っぽい、かな?



 ここにも扁額さあって、文字は『大成殿』って書いてあんだ。


 そんで、中央奥に木造の『孔子坐像』。

 天文3~4年(1534~1535)の作。


 左奥に木造の『小野篁(おの・たかむら)』の像がある。

 こっちは江戸時代初期に、こさえられたもんだって。



 孔子さまは、儒教の祖でな。

 小野篁さまは、足利学校の創立者っていわれてる人なんだ。


 そこで、2人の像さ祀ってあんだね。



 写真も撮ったんだけど、あんまし上手く写ってないんで、

 やめとこっと。

 是非足さはこんで、実物をみとこれね。




 さてと、次いってみっかな~。

 振り返ると『杏壇門』の裏っかわが目にはいったっぺ。

杏壇門の裏

 これはな。『四脚門』っていう造りなんだって。


 表からだとわかんないけんど、裏からみっと、四つの柱がはっきりわかる。

 表に劣らず、迫力満点!立派な柱だべ~。


 裏だからって、手抜きはないど。

 これこそ、いい仕事ってやつだね~。




《参考》








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最終更新日  2012.09.06 22:35:07
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2012.09.05

「三門と扁額」





 
『足利学校』に入って、まっつぐに進むと、

『孔子廟』さ、たどり着くんだけんどな。


 
 廟さ行くまでには、3つの門を通んなくっちゃ~なんないんだど。


 
 一つ目は、これ。入り口んとこの『入徳門』

足利学校の正門

『入徳門』は寛文8年(1668)にこさえられたんだけんど。

 天保2年(1831)鑁阿寺の火事で焼失。

 天保11年(1840)に修築されたもんなんだって。


 昔は別の場所にあったのを、明治時代に移築してきたらしいど。




入徳

 門のとこに『入徳』って文字の、扁額がかかってる。

 これは、紀伊徳川家・11代藩主・徳川斎順(とくがわ・なりゆき 1801~1846)

 の書なんだそうだど。





 2つ目の門が『学校門』

 
学校門

 この門の前までは、広場みたいになってるから、

 ここさ通ると、『足利学校』の中さ入ってきたな~

 って感じがすんな。


 寛文8年(1668)創建。

 扁額は『學校』って書かれてんだけど。

 あれ? 写真さない。撮りわすれちゃったっぺ。


 ええ~と。これはな。

 蒋龍渓(しょう・りゅうけい)って人の書を、

 狛高庸(こま・たかやす)って人が、縮模したもんなんだって。





 ここで、ちょこっと、疑問なんだけど。

 この扁額ってやつは、どやってこさえんだんべな?


 よく、だれだれの書、とか説明に書いてあんだけど。

 墨書きじゃ~なくって、木彫りになってるやつは、書いたもんじゃないべ!

 って、思っちゃうんだけど。



 紙だとか板に文字が書かれたもんがあるけど。

 あれは、わかんだ。


 文字さ書いてほしい人んとこに、持って行って、

 直接、板や紙にかいてもらえば、いんだかんな。


 だども、木彫りになってんのは、どうすんだ?



『足利学校』の扁額は、木に彫ってあるど。

 偉い人が書いた文字を元に、木に転写して、

 彫ったってことなんかな?
 


 あ、『學校』の扁額は、肉ぼりって書いてあるど。

 文字が浮き上がるように彫る、技法だべな。



 誰が彫ったんだべな。

 書を書いた人の名前は残ってんのに、

 彫った人の名前は、残ってないんけ?


 
 なんてな。

 くだらないことさ考えてるうちに、最後の門さ到着したど。
 


 最後の門は『杏壇門』。孔子廟の門も兼ねてんだ。

杏壇門

 寛文8年(1668)に、こさえたもんなんだけど。

 明治25年(1892)の火事で、屋根と門扉が焼失。

 その後再建さたんだと。



杏壇

 扁額は『杏壇』

 紀伊徳川家・第10代藩主・徳川治宝(とくがわ・はるとみ 1771~1852)

 の書だと。



 どの門も、木の古さがいい色合いになっててな。

 どっしりとした、落ち着いた感じが、どっか懐かしい気がすんど。


 ちょっと小さい感じがすんのは、昔の人の身長にあわせて、

 低めに作ってあんのかな?





《参考》


 足利学校のパンフレット(学校内で購入可能)










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最終更新日  2012.09.06 00:16:11
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2012.09.04

「孔子像と中国獅子」





 覚悟さ決めて、門さ潜ると、受付があった。

 こっから先は、入場料が必要らしい。

 
 お金さ払って、中さ入る。


 そうそう。昨日紹介した、正面の門は『入徳門』つってな。

 学校の敷地に入る、最初の門だったんだ。


 
 次の門『学校門』さ潜ると、足利学校のメインの建物さ見えるんだけど。


 その前に。

 なんだか、素敵なものが、目に入っちゃった。





孔子象

『孔子像』だど。

 手前に見えるのは、龍だったかな。


 
 そして、これ。これ!『獅子さま』だど。


 『獅子』は『狛犬』の祖先、っていうんかな。

 中国から、日本さやってきた時の、最初の形なんだど。

 

足利学校の狛犬1

 こっちは、右側の『獅子さま』

 頭が大きいのかな。

 あ、たてがみが、立派すぎんだな。


 今まで見た狛犬さまと、ちょっと雰囲気さちがうべ。



足利学校の狛犬2

 こっちが、左側。

 足さぶっとい! 爪もくっきりと!


 2体で、孔子像の左右を護ってんだ。

 おっかね~な~www



 あれ?、どっちも口さ開けてんど。

 狛犬さまは、『阿』と『吽』で、片っぽは口さ閉じてるのにな。


 それに、首んとこに、鈴みたいな玉みたいなもんが、くっついてる。



 これも『獅子さま』の特徴なんだ。

 正確には『獅子さま』ではなくって、『中国獅子』っていうんだけどな。



 日本の『狛犬さま』だと、左右で、狛犬と獅子の組み合わせなんだけど。

『中国獅子』の場合は、どっちも、獅子なんだ。

 阿吽の区別も、ないんだど。

 

 だども、『獅子さま』も『狛犬さま』も、お役目は一緒。

 大事な神さまさ、護ってんだ。


 ここの神さまは、孔子さまってことだね。



『中国獅子』は、珍しいって聞いたど。

 や~、いいもん、みたべ。



 おかげでな。学校さ入った緊張感が、薄れたべw。


 


 

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最終更新日  2012.09.04 22:57:46
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2012.09.03

「入り口?」






『鑁阿寺』の後は、やっぱし『足利学校』さ、よんなくっちゃ~な。

 場所は『鑁阿寺』の、目の前なんでな。

 のんびりと、植木や水堀さ眺めながら、歩いていったっぺ。




 水堀沿いに歩いていくと、目の前に門がみえてきたど。

足利学校の裏門1

 
 歩道橋からも、見えてたな。

 きっとあれが、入り口だべな~。




 土塁の間から見える屋根さ、眺めながら近づいていったらな。


足利学校の裏門2

 ありゃ? 行き止まり?

 なんで? 



 きょろきょろと辺りさ見回すと、あ、案内板さ、みっけ!


足利学校までの道のり



 どうやらここは、入り口じゃ~なかったみたいだな。


 だども、道路からよくみえたし。

 他に入り口らしい門さ、め~なかったんだけど。

 

 違うんけ~。がっかり。

 日差しも、強くなってきたし・・・

 なんか・・疲れが、倍増してきた・・・べ・・・




 しゃ~ないな~。

 もうひと踏ん張り! い、行くど~!



 電柱の案内板に従って、細い裏通りを歩いて行く。



 あ、古本やさん、みっけ!

 こういう古いとこって、意外なお宝があったりすんだよね・・・


 いやいや、今日の目的は、『足利学校』だから・・・

 さ、先さ、進まないと、な。




 本の誘惑さ振り切って、前に進むと・・・
 
味噌屋?

 涼しげ~。

 大きな岩・・・触りたい、な。


 確か、味噌屋さんだったかな?

 この石は、看板代わりだべな。


 とくに、謂われはなさそうだけど、

 や~、素敵だな~。 




 いやいや、だから。

 岩っこさ、見とれてる場合じゃ、ねんだって。

 肝心の『足利学校』の入り口は、どこなんだい?
 



 この辺り・・・の、はずなんだよな~。

 行き過ぎてなければな~。


 暑いもんだから、倒れないようにゆっくりと、辺りさ見回した。

 すると、味噌屋さんの正面に、昔風の建物があった。



 あ、これか~。

 や、なんか、普通っぽくて、気がつかなかったw。


足利学校の正門


『足利学校』の入り口だっぺ。


 ここまでの裏道にも、古い感じの塀があったんでな。

 周りの風景に溶け込んじゃって、気がつかなかったど。




 立派だな~。入りづらいな~。

 学校って、小学校んときから、苦手なんだよな~。


 あっ。お腹さ、痛く、なって・・・きたかもw。

 帰えんべかな~。



 行きたいような・・・

 行きたくないような・・・


 ど、どうすっか、な~。






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最終更新日  2012.09.03 21:48:13
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2012.08.31

「逆さ藤天神」


 
 


足利屋敷の堀

『足利源氏屋敷跡』の水堀に沿って、外周散歩さしてみたど。


『仁王門』を出て、東へ進む。

 まっつぐに伸びた水堀と、横を通るまっつぐな道。

 この辺は、昔も道路だったんかな?


 

 二つ目の角さ曲がったとこで、こんなめんこいもんをめっけたw。

 場所は『鑁阿寺』の『北門』近くだど。


奥の院通り

『奥の院通り』。この道の名前だべな。




 上にちょこっんと乗っかってんのは、なんだべな。

うずら

 背中に線があって、お腹さ、ぽちぽちと、点が刻んであったから、

 鶉、だべな。



 なんで、こったらとこさ、鶉なんだんべ?



 柱さよぐみたら、横に『樺崎八幡宮』ってかいてあるど。

 ここさ、ず~っと進んでくと、『樺崎八幡宮』行けるって、案内板だったんだ~。




 
 今回は、時間の都合で、いかなかったんだけど。

『樺崎神社』には、『足利義兼』のお墓があるんだと。


 それにな。

『奥の院通り』は蔵が建ち並ぶ、静かな散歩道でな。

 のんびり散歩に、ぴったりなんだって。



 夏場は暑くて、熱中症さ心配だがら、山散歩さ控えてんだけど。

 ここなら、いけるかな。


 よし!行きたい場所リストさ、入れとこっと。



 でも、なんで鶉なんだべな? 気になるべ~。





 
 鶉に、後ろ髪さ引っ張られながら、のろのろと進む。
 
 おんや? 道の横っちょに、神社さあんど。

『逆さ藤天神』だって。

逆さ藤天神1


 小さな神社だべ。

 人んちの敷地みたいな雰囲気だけど。入っていいんかな?



 おっかなびっくり、進んでいぐと、奥に御堂らしき建物さあったっぺ。


逆さ藤天神2


『逆さ藤天神』は足利守護として、古くから祀られた神さまでな。

 祭神は『菅原道真公』だって。



 案内板によると。

 建久7年(1196)。『足利又太郎忠綱』って人が、無実の罪をはらすために、

 祈願さ来たらしい。


 忠綱は『源平盛衰記』や『吾妻鏡』にも、名前さ残ってる人物でな。

 武勇に優れた人物だった、みたいだど。
 
 


 
 んでな。忠綱の無実の罪って、なんだと思う?

 これがな。『鑁阿寺』に関係すっことなんだ。



『蛭子堂』って覚えてっけ?

『蛭子堂の伝説』んなかに、不貞の罪さおっかぶされて、

 自害しちまった『北条時子』って人がいたんべな。


 時子の不倫相手と噂されたんが、忠綱だったんだ。



 忠綱は、神社さ祈願したんだけんど、

 その後、足利義兼に追い詰められて、自害したって話だど。



 このあたりは言い伝えなんで、ほんとかどうかわかんないんだけど。

 なんだか、悲しい話だな。

 事実じゃないと、いいな~。




 さてと。悲しい話は、ここまでだべ。

 神社の話さ、すっぺな。


逆さ藤天神3

 これは、神社の隅っこにある藤なんだけど。

『逆さ藤天神』の由来になった、藤なんだ。



 祈願さ来た忠綱が、鞭代わりにしてた藤だって。


 地面にさしたまんま、置いてっちゃったもんだから、

 枝から根っこさ生えできて、大木さなっちまったもんなんだと。





 なんだべな。どっかで聞いたような話だど。


 突き刺した藤の枝から根っこさ生えて、

 大木になるって話は、あっちこちで聞くような・・・


 あ!こないだいった『大中寺』にも、

 そったら話さ、あったべな。




 で、なぜかみんな、『逆さ藤』なんだよね。

 上に伸びた枝が、くねくねして根っこみたいだから、って

 聞いたような記憶があんだけど。



 さて、これは、どこの『逆さ藤』の伝説だったかな。

 
 誰か知ってっけ?







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最終更新日  2012.08.31 23:04:54
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2012.08.29

『鐘楼と多宝塔』




 土塁を降りて、てくてくと。

 林の中を歩いて行くと池にでた。

鑁阿寺の池

 古いというよりは、寂れた感じさすんな~。


 足利氏が屋敷として、使ってたころのもんじゃ~ないっぺな。

 再現したもんかな?

 それにしちゃ~、寂しいな。

 

 池といえば。

 昔は『不動堂(中御堂)』の前んとこ『大御堂』沿いに、

 5メートルぐらいの池さあったらしいど。

 こっちの池は本物で、浄土式前池の痕跡、っていわれてたんだと。

 
 なんで埋、めっちゃったんだべな。もったいない。
 

 

 池はみっとこなかったんで、素通りして。

 たどり着いたんが、『鐘楼』だど。
 
鑁阿寺の鐘楼

 んっと。こっち側は、裏っかわなんかな?

 
 正面さ、探して、ぐるっと回り込む。

 参道側から見上げても、あんましかわんねな~w。

 っつうか、木の枝さ邪魔っけで、写真さ撮れないど。


『鐘楼』は鎌倉時代初期の建久7年(1196)に、

 足利義兼が、こさえられたらしくてな。

 入母屋造り本瓦葺、袴腰をつけている・・・



『袴腰』? ああ、裾んとの広がりんことかな。

 建物の下半分が、スカートの裾みたいに、外っかわに広がってんだ。


 これは、なんのためにあんだべな?

 泥棒除け? 



鑁阿寺の鐘楼2

 見上げると、奥のほうに鐘らしき形がうっすらと、みえたど。


 屋根や瓦、基壇の周辺は修理されててな。

 鎌倉時代当時のもんじゃ~ない部分も、あるらしいけど。


 当時の様式で再現されてっから、全体の雰囲気は、鎌倉時代のまんまなんだと。

 きれいな状態で残ってんのは、めずらしいみたいだど。




 そして、もう一つ。変わった建物さあんだ。

『足利源氏屋敷跡』の西側にある『多宝塔』だど。


多宝塔

 2階部分っていって、いいんかな。

 上の階んとこが、ま~るい円形になってんだ。


 変わってんべ?




 こっちも足利義兼の時代に、こさえられたもの。

 だども、その後、何度か修理・改築されたみたいでな。


 特に『相輪』っていわれてる部分は、江戸時代の様式になっちまってるらしいど。



 中には『仏舎利』が修められてんだけど。



 砂利石やガラス玉などでできた、17粒の仏舎利は、

 銅製宝塔形の舎利器に納められ、

 舎利器は、木製容器にはめこまれ、

 容器は、銅鏡の上にのって、

 宝珠内に納められてんだと。


 は~。なんか、すごい厳重だっぺ。

 

 それから、鎌倉時代初期のものと思われる、

『大日如来坐像』も、安置されてるそうだど。



 って言われても、外からはめ~ないかんな。

 どんなもんか、わかんないんだけど。



 なんだかすごそうだな。

 機会さあったら、一度みてみたいもんだべな。






《参考》

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最終更新日  2012.08.30 00:07:57
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