梅林庵

2011/10/02(日)07:18

訃報

日記(4139)

平成23年10月1日(土)  午前4時起床。ネットサーフィン。  朝食後、草刈り機を背負いました。梅林の下を始末しました。3時間かかりました。でも疲労感はありません。夏場の走り込みで体力がつきました。へばらないのです。いいなこの感じ。刈っていて面白いものを見ました。オレンジと黒のまだら模様をした長さ10cm近くある芋虫が背の高い雑草に付いていました。草刈り機の刃が近づくと、身の半分を茎から離し、激しく左右に揺らします。当然、雑草も揺れます。風が無く、中の一本だけ茎がブルブル揺れ、不思議に思いました。よく見たら、斯様な仕儀でした。ネットで調べたらその草は「カラムシ」、虫は「フクラスズメ」の幼虫でした。また一つ雑学でした。  昼前にエンジンを止めました。それを待ち構えていた妻が「医大まで行って」。支援学校を卒業した生徒が危篤との連絡があったのでした。急を告げていること、目を見て判りました。道に詳しくない彼女の希望でした。急いでシャワーを浴びました。昼食は車中。マックを頬張りました。  大分大学医学部は由布市狭間にあります。そこまで高速を走って1時間。駐車場へ車を滑り込ませると、彼女は院内へ消えました。  私は駐車場で着替え、大学のグランドを走りました。10km。サッカーチームが練習をしていました。女子選手か、マネージャーか、男子チームと同じくらいの人数がいました。道の向こうはテニスコートにボールの音。見上げると高崎山の向こうに由布岳。ラグビーのゴールポストがそれをイーゼルで切り取るが如くでした。  野球場のレフト脇にある白い建物。この二階から合唱の練習が聞こえてきました。若い女性の声はよいものです。  走り終えて、濡れタオルで汗を拭きました。2時間後、見舞った妻を拾い、とって返しました。帰宅したらキンモクセイが咲いて、夕日に染まっていました。香りが漂い、秋を感じました。  昨日の岩波新書つながりで、斎藤茂吉の「万葉集」をめくりました。博覧強記もさることながら、防人の歌に想うこと深しでした。  と、ここまで書いて、今日見舞った青年の訃報が妻の携帯にありました。彼女は青ざめ、続いて遙かな目をしました。想うことしばしでした。曰く「間に合ってよかった、ICUの中で、授業の時に彼と一緒に歌った『となりのトトロ』を耳元で口ずさんだ、前後不覚だったけれど聞こえたはず」といいました。いつもは出来事を私に話してくれるのに、帰りの車中、このことは口にしませんでした。  彼女の気持ち、私には判ります。岳父のことをしてのことだと想います。岳父はホスピスで死を迎えました。彼がいまわのきわ、私と妻は院長に次のようなことを言われました。「心臓が停止しても体温は残っている、話は本人には聞こえている、心するように」このことを思い出して妻は歌ったのだと想います。彼女のその時の気持ちを想うと、いとおしくなります。本当に間に合ってよかった。  余談です。妻は大学時代、合唱部でした。いや、高校時代からそうでした。二期会の柴田啓介さんに「君はオペラを歌えるよ」と言われたのが自慢でした。台所に立ちハミングする声に、手前味噌ですが、幸せを感じました。地元の敬老会で「里の秋」を歌い、喝采をもらいました。彼と共通の思い出となる歌に、逝った青年は何かを感じてくれた筈です。  今更ながらですが、こんな人を妻にもってよかった。  今日の写真はキンモクセイです。夕日に染まる風情が今日のことのようです。  

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