トラです。
Friday, August 23, 2024 ご無沙汰しています。トラです。このところ梅林庵のブログ更新が滞っています。代わりに私がペンを執りました。 うちの旦那は、今月上旬に「巨大地震注意」の発表があって以来、1週間、ピリピリした時間を過ごしたようでした。そのせいもあって酒を少し控え、お盆の期間も出社。地震注意が取り消された週末は、その反動もあって深酒。久しぶりの二日酔いだったようです。それでも秋のツール・ド・佐伯に備え、サイクリングの練習を再開。週末は30~40㎞をこなしている模様。ただ、ウィークデーは地震とは別、会社にいろいろあるようで、帰りが遅いです。帰宅して私の頭を撫でてくれますが、Yシャツを脱ぐ折はため息交じりです。写真は旦那のサイクリング、道路脇のクリークに転げ込んで折りのキャノンデールです。クルッと一回転、後頭部から1m下の草むらに落ち込んだとのこと。幸い,怪我はなかったようですが、もし骨折でもしようものなら、年寄りの冷や水と言われかねません。気をつけて欲しいです。 さて、突然ですが、今日は皆さんにお別れの挨拶をしたく、旦那の肩代わりを理由、この場を借りたのでした。旦那も歳をとりましたが、私も愈々なのでした。というのも、このところ体がめっきり弱り、余命幾何、いや数日もたない感覚なのでした。食欲極めて不振、体重も減って現在1.8㎏、目がよく見えませんし、耳も遠くなりました。ソファーにすら飛び上がることもできず、奥さんに四六時中おむつをしてもらっています。足に力が入らず、思うように歩けません。死が其処まで来ていることは猫の私にもわかりました。 私は死生観というものを持ち合わせていません。生まれ、生き、死んでいく、ただその流れの中に身を置いているだけで、この定めは決まりきったことです。猫、いや動物全般、生物は皆同じ考えというか、それが当たりまえなのです。食べて寝る、すなわち生きて死ぬだけ、ほかに意味を見出そうとするのは人間だけでしょう。あれこれ難しくこねくり回し、生きる意味を解釈しよう、悟ろうとしているように思えます。なんとも不思議、なにか存在の理由を持たないといたたまれないのでしょうか。 戻ります。上の如く私は、死ぬことを当たり前、別に怖いと思いません。いつだったか、旦那が自身の恩師に聞いてきたことを奥さんに得意そう、話しているのを聞きました。「死ぬということは深い眠りにつくこと」。似て非なるですが、何だかそれに近い思いです。深い眠りは覚めようがありませんから、言い得て妙と思います。 ところで旦那は、毛の三本足りない無神論者を自認しています。私たち猫に近いのかもしれません。いつも口にする言葉は、葬式不要、墓も要らない、父の山に散骨、願わくばその一粉は通った大学の隅に見つからないよう、こそっと、が願いなのだそうです。生きて死ぬこと,人の死もなにもかも「仕方がない」が口癖です。その通りと思いますが,奥さんはそんな彼をやりっぱなし、いい加減、面倒を避け、困り悩みから逃げていると責めます。夫、父親としての存在を薄く感じているのかも知れません。しかし、私は旦那を悪く言いません。書いたとおり、猫の考えに近いような気がしますから。 その旦那、昨日、小耳に挟んだのですが、死んだら、彼は私を埋める穴を掘ってくれるそうです。私が梅林庵の食客になる前、飼われていた雄犬、ゴールデンレトリーバー「レオ」の眠る隣だそうです。野辺に行き倒れは寂しいですから、有難いことです。 ということで、死を目前、辞世に際し、思うことを書いてみました。 後一時の後、呼吸が止まり、この世とおさらばです。繰り返しますが生きて死ぬ、それだけのことです。 しかし、斯く言う私にも一抹の心配はあります。それは奥さんと二人の子供が悲しむであろうことです。私は家族の一員として十分可愛がられました。3人から受けた愛情は、猫一倍です。家猫の環境は長生きをもたらします。翻ってアムールやバイカル、オビたち野良連中の渡世が厳しいことは、想像に難くありません。彼等は大変だったろうな。写真はそのうちの一匹、アムールです。 もう一枚はオビです。 さて、その心配というのは、次の通りです。 私は、梅林庵の近所に野良の子として生まれました。父の顔を知りません。3匹兄弟でした。母親に育てられ、たまたま梅林庵の勝手口で奥さんの目に留まりました。母親と兄弟2匹は人間を怖がりましたが、奥さんの優しい声と目つきをして、この人なら悪さをしない、煮干しをくれる予感が私にはありました。恐怖心に勝る居心地の良さです。近づくと、抱え上げてくれました。もの怖じしない私を抱くことで親近感を持ったからか、奥さんは後ろでみていた旦那に「家猫にしよう」即座そう言いました。私にとっては、その日が母と兄弟、今生の別れになるとは思いもよりませんでした。20年前の話です。 戻ります。家猫に決まったその日からは、美味しい食事の毎日でした。3食昼寝付き。猫カリや銀のスプーン、カルカンやチュールに加え、刺身好きの旦那がチャチャッとこさえる鰺刺のおこぼれ。長生きできたのは、鮮度のいい魚を食べ続けたせいもあると思います。 その梅林庵、冬は居間に薪ストーブが燃えました。火の番が私の役目。深まった秋から春先まで寒い思いをしたことがありません。夜遅く、燃える薪の小さくなった頃合い、気分次第、子どもたちのベッドに潜り込みました。 話が逸れました。心配の理由はそんな家族、特に奥さんにとって私の死はペットロスとなること必定だと思うのです。手前味噌、愛されていたという自賛は否めませんが、奥さんにとって私への思いは相当なものがあると感じるのです。私の死んで寂しい思いにさせることが心残りです。 さて、そうこうしているうち、いよいよお迎えがやってきたようです。歩くことさえできません。水も飲みたくない。鼓動の速くなっているのが判りました。呼吸もせわしい。昼過ぎ、深い眠りの前、浅い眠りが繰り返しやってきました。気の付くと、奥さんに抱かれていました。膝の上でうつらうつら。数時間、ずっとその態勢でした。その間、奥さんは意識混濁の私が耳元で、20年間の思い出をずっと語りかけてくれました。「走馬灯の様に」と言う言葉がありますが、やわらかい奥さんの膝上に横たわり、眠りながらそれを聞くのは、子守歌を歌ってもらう様な気分でした。安息を得るとはこのことなのでしょう。奥さんは、思い出の他にも優しい響きと歌詞の歌も歌ってくれました。これぞ猫冥利です。 午後5時を回り、奥さんは娘息子にラインを使いグループ音声モード、私の耳元に子どもたち二人の声が聞こえてきました。急に耳が澄みました。聞き慣れた声色でした。臨終の私を労り、今生の別れを惜しむ気持ちが伝わってきました。しかし、いけません。頭をもたげニャー、返事をすることができません。もう身体のどこも動きません。精一杯、力を込め、尻尾の先をパタパタしました。それを認めた奥さんと子どもたち、心の通じたと感じ、涙を流してくれたようです。 野良猫は行き倒れと相場は決まっています。それに引き換え、私は柔らかい膝の上で看取られる臨終。優しい家人に感謝。有難いことです。 呼吸が浅くなってきました。意識も混濁。いよいよ今わの際です。旦那が動かぬ私を彼の布団に寝かせてくれました。嬉しかったです。夏の間、彼は居間の板敷きに煎餅布団を引いて、そこにゴロリなのです。私は彼の太ももや脹脛を枕、背中や頭を持たせかけるのが好きでした。いつぞやの写真です。こうして夏の夜を過ごしたのでした。 それをしてなのでしょう、今日もそうしてくれたのです。前後不覚の私に、彼が足を延ばし、寄り添ってくれました。旦那はそのまま寝入ってしまったようです。1時間も経ったでしょうか、奥さんが旦那に声を掛けました。「ねぇ、トラが呼吸していないわ。脈もないわ」目を覚ました旦那が私の胸から腹に手を添え「嗚呼、そうだね。苦しかっただろうな。よく頑張ったな。今夜はこのままにしておいてあげよう。いや、そうしたい。まだ温もりがあるし、朝まで添い寝するよ」 おかしくはありません。呼吸の止まり、脈の無い状態でも、耳は聞こえていたのです。 嗚呼、永遠の眠りです。明日の朝、旦那は早起きをし、私を土に返す穴を掘ってくれるはずです。奥さんが私をタオルにくるみ、優しくそこに寝かせてくれるはずです。花好きの彼女です、花壇のあれこれを摘んで添えてくれるでしょう。 そういえば、いつぞや旦那がつぶやいていたな「ハナニアラシノタトヘモアルゾ、サヨナラダケガ人生ダ」よくわかりませんが、そんな気持ちで深い眠りに落ちます。旦那、もう一度バッハを聴きたかったな。ブログ読者の皆さん、さようなら。