今日のブログは長いです。
Thursday, June 19, 2025 晴れ、暑い日が続きます。しかし、参った参った、降参降参といってばかりではいけません。ブロ友禁玉さんの暮らす多治見は2日連続、日本の最高気温でした。彼のことを思うと、我慢我慢です。それにしてもウナガッパ、頭の皿は大丈夫かなぁ。写真はそんなことと全く関係ありません。梅ジュースの残骸です。先日、梅林庵に生った梅と氷砂糖のみを梅酒瓶に入れ、冷暗所に置いておきました。梅から水分が出て、砂糖混じり2,500mlの梅エキスを採ることができました。皺萎えた実は囓ってもよしですが、大部分はレッコだな。 髪が伸びました。朝のうちに天井の張り替えへ。午前9時前、がら空きでした。杣夫はカットと襟足のみの剃り、その名の通り千円カットです。マスター曰く「伸びたね。人は会社を退職するとバーバーに行くのが面倒くさくなる、鬱陶しさの我慢が限界に達し、はじめてやってくるから、通いの間隔が長くなる、Tさん(私のこと)もそうなんじゃーない?しばらくぶりだもの」 そうかなぁ。其程でもないんだけど。 勃然、楽爪苦髪という言葉が頭を過りました。楽をしていると爪が伸び、難儀のあると髪がのびるらしいのです。退職前に比べ、苦が多くなったのかなぁ。リーマンの仕事より、気難しい父の面倒見のほうが大変なのかなぁ。 チャチャッ、15分で髪切りを終え,N時計店に腕時計電池の交換。20年ほど前、息子の孝行入学祝いに買い与えたSEIKO、パペチュアルカレンダーです。店主曰く「交換用の電池は製造中止だよ。うちに他所から回して貰ったそれが残っていて、なんとかなったよ。随分ガタが来ているようで、リセットを2回した。精工舎も交換部品のないことを理由、修理を受け付けないと思うよ」 そうであれば、今回の電池交換が最後、次ぎに秒針が2秒刻みとなった時が潮時だな。この腕時計、小ぶりかつタフ。野良仕事山仕事に丁度いいんです。残念。 午後は映画を1本。Amazon Prime Videoで楊貴妃を。中国映画。大方の筋書きは井上靖「楊貴妃伝」の流れですが、白居易「長恨歌」のイメージからは随分とかけ離れ、しっくりしませんでした。10点満点中3点。凝脂を洗う華清池のショボく、女優さんも「眸を迴らして一笑すれば百媚の生じ、六宮の粉黛顔色無し」のようでもありませんでした。 あっという間に夕刻です。父を覗いた後、ラン5km。カープの試合を聴きながらでした。ドミンゲスがいきなりホームランを2本浴びました。終わってみれば2対16、大敗でした。交流戦、なかなか勝ち越せません。 戻ります。気を取り直してシャワー。今日は最初から冷酒にしました。当ては隠元の素揚げ。 こちらは茄子他の味噌煮。愈々茄子攻勢の始まりです。軽い口当たりの吟醸酒によく合いました。バタンキュー。 今日の写真は再読中、まだ紹介していない保阪正康氏の本です。 もう6冊あります。これは天皇に関する考証です。読売新聞(2025年6月1日)の記事を引用します。記事の中で保阪氏は「昭和天皇の戦争責任を巡っては、『開戦詔書に署名した以上、常識として分かるはずだ』と責任があるとしつつ、『天皇を操り人形のように扱った軍部の動きも徹底的に批判しなければならない』として、歴史を振り返る際に複数の視点を持つことが重要だと説いた」と述べています。この辺りはデリケートです。写真のみにしておきます。 なお、氏のこの発言は、自民党の西田昌司議員の沖縄戦発言を受けての批判記事、その中で語られたものです。以下の本が写真は、その言に収斂する内容です。「天皇が十九人いた」は面白かったです。 ということで、これまで再読し、それぞれコメントしてきましたが、上が写真、残りの本については重複する内容も多いので、ここいらでブログにアップは終わりにします。尻切れになってしまいました。 最後に次の写真を。保阪正康「自伝の人間学」新潮文庫です。「自伝」とあるとおり、自叙伝、自分史、回想録などを書くときの戒めについて、保阪氏の考え、思いが綴られています。 彼は昭和史の研究家です。考証には「自伝」も大いに参考となるけれど、読み誤ってはいけない、回想録には得てしてそれを書いた人の驕り、傲慢、狡猾を見てとれると指摘しています。氏は、そんな筆者のことを「哀れ」と書きます。その一部を以下に引用します。 「読んでいるうちにその書を投げ捨てたくなるものに、二つのタイプがある。ひとつは、戦後出回った告白もの、或いは回心ものである。もう一つは、旧軍人や軍役に招集された人たちの手柄話と軽薄な告発書である。」 ~中略~「(回心ものには)一定のパターンがあって、教師を例にとると戦前には教え子を戦争に送った(あるいは協力した)と告白し、昭和二十年八月十五日からあとは、戦後民主主義に目ざめて反省し、ご苦労なことにこんどは教え子を二度と戦争に送らない(あるいは戦争に協力しない)と誓って、戦後民主主義の忠実な継承者となるというストーリーである。~中略~このような自伝がもつ口あたりの良さ、歯の浮くような美辞麗句の羅列は、読者を以下に愚弄しているかということに気づかなければならない」「告白ごっこというのは、それ自体楽しい。当事者にはカタルシスがある。それを”進歩的”などという便法で許容していたこの社会は、何のことはない、告白ごっこの片棒をかつがされていたにすぎないのだ」 〈(ある校長の敗戦直後の弁)「鬼畜米英」も教えた。「打ちてしやまん」とも教えた。「大君のへにこそ死なしめ」とも教えた。そして卒業生たちには出生のたびに激励のことばも送った。その私がどのつらさげて再び子どもたちの前に立つことができようか〉「たぶんこの教育者は素朴な真面目さをもっているのだろう。真面目だからこそ、もう一ヶ月もしないうちに、『戦死した教え子や友人たちのことを思うと、このままでいてはいけない。なんとかしなくてはならない。彼等の死を無駄にしてはならない』と思って、新しい教育理念の方向に向かっていくのである。立派なのだ、この教育者は。戦後を生きた良心なのだ、この教育者は。しかし、騙されてはいけない。私が引用した前出の部分に浮かんでいるのは、”回心”ではなく、生者の驕りというものではないか。素朴な真面目さのなかにひそむ度しがたい傲慢さというものではないか。つまりこんなにあっさりと”回心”してしまうことに、読者としては何かをかぎとらざるを得ないのである」 ~中略~「もう一つのタイプは、旧軍人や軍役に従った人たちの自伝である」 ~中略~「自分を客観視して見つめたり、日本の陸軍内部を自省をこめて綴る作品もある。しかし多くは、”計算”に満ち満ちている」 ~中略~「昭和二十年代の初め、東京裁判の検事側証人として出廷した軍人が書きなぐった自伝『日本軍閥暗闘史』、『敗戦秘話、裁かれる歴史』などを貫く歴史的狡猾さと精神的貧困は何を物語るか。なるほどこんな軍人が陸軍省の要職を占めていたのだから、日本陸軍の指導部がいかに腐敗していたのかということがよくわかる。 ~中略~「大本営参謀だった将校たちの、『大東亜戦争の原因は海軍の無責任さにある』『いや満州事変以来、陸軍が暴走したからだ』となじりあう自伝も哀れである。 シベリアに抑留された兵士たちの自費出版物もいっそう哀れである。毎朝、起きるたびに一人、二人と凍死をしていたとか、ソ連の要求する過酷な労働量や思想改造のすさまじさ、食物を得るためのみにくい争い、そんなことが哀れといっているのではない。ソ連の強制収容所で日本人捕虜が受けたであろう待遇は、日本もまた中国で、東南アジアで行ってきたことと本質的にはかわりはない。戦争とはそんなものではないか。シベリア帰りの軍人、軍属、兵士の自費出版は、私の手元にも数冊届いているが、ある状況だけが切り離されてどのように論じられても、第三者には『おかわいそうに』『大変でしたね』という以外にないのだ。 自らの体験を状況から切りはなし、矮小化していけばいくほど、、そして筆者が感情を込めて書くほど、読者ははなれていく。虚しくなってはなれていくだけなのだ。それが哀れだといっているのである。『昨日は天皇、今日はスターリン』といっているその揺れを隠そうとする自伝は、なおいっそう哀れである」 長くなりました。保阪氏の自伝に対する拘りは、相当なものです。「哀れ」醸す内容を執筆の人が、名だたるであったりすると、昨今ニュースを賑わしている「歴史の書き換え」に繋がることになりかねません。日々の生活を適当、ブログにアップする分には構わないと思いますが、政治的、或いは社会的デリケートの内容に及ぶ折りは、醜い自己誇示でったりフェイクは法度です。大変勉強になりました。