危なっかしい出来事にも見舞われた社員旅行だったが、
厳しい親元を初めて離れた数日間は今となっては一度きり
そんなエピソードも良い思い出となってしまった。
職場では、淡々と相変わらずの素振りを心がけていたつもりだったが
(実際はどうであったか、、、
職場に恋を意識しあう男女が存在するということは)
終業後の私の行動は、乙女としてはいかがなものか?
と言うものになって行った
まず、家にはまっすぐ帰らない コック氏と示しを合わせ
ほぼ毎日のデートというスケジュールとなった。
恋しあう男女と言うのは、話が尽きない
驚いた!喫茶店で2~3時間 取りとめの無い話で盛り上がるのだ
恋を知った年頃の私の変化は 女性のどの方ともご他聞にもれず
同じであろうと推測する・・
まず、食欲・・家に帰れば妹と肉のサイズで揉めて私であったのに
あっさりと、お前が食べなさいなんて!
食い気に対する執着心はすっかり失せ、
ファッションに関心がゆき気がつくと当時全盛のミニ、どころか
マイクロミニを穿き、仕事中はともかく、職場を離れた後は、
腰近くまであった垂らし、いわゆる
私の身体は愛の全身発信基地化していたと思う
何時何処へ出向いても、この胸の内を知らないと思える人たちが
綺麗ですね!素敵ですね!
と何かを感じ言葉を掛けてくれるものだから
その度に 好きな人を思い私の胸は高鳴った!
この良い状態でまたコック氏に会いたい!
家に帰っているときは家族の会話は形だけ、
耳に親の言葉は入ってはこなかった
それを、ごまかそうと終始思いつめていたから
私を愛す両親は、今思うと見逃していたはずは無いと思う
要観察状態であったのだろうな、所詮親に娘がかなうわけが無い
その頃の時代、街では
オリビア・N・ジョンのそよ風の誘惑 と言う曲が流行っていた
今より、英語力の無い時代の私は
日本語タイトルの誘惑と言う言葉に酔った
(未だに意味ははっきりとは分りませんが、
チョッとお説教ポィ内容ですね!
知らないというのは悲しいこともありますね、
甘ったるい内容だと勝手に・・・)
喫茶店での語らいも、陽が伸びてくるようになると
人通りの少ない裏路地などを
二人で散策するようなスタイルに変わっていった
雨の日は小さな傘に身を寄せ合い雫を逃れた日もあった
その頃の話題の中心は
、私は兎も角、コック氏は私との結婚がメインであった
私の父も 九州男、それも熊本県
彼の出身長崎県では相当する言葉はナンであろう、、
コック氏は知っていたかな?肥後もっこすの怖さを
高知県で言うといごっそう
時折、父への面会を思い、
息を吐き項垂れてしまう素振りを見せていた
(彼の父親は乳幼児期に病で亡くなっており母の手一つで・・・)
誰でも 男性は娘さんを下さいと男親に両手を突く時は
相当なプレッシャーを味わうんですよね!何時の時代も
(結果的には乗り越えられなかったのかお互い・・)
私は無邪気だった、求婚されても一組の布団しか脳裏に浮かばず
この人と一緒に寝るの?位しか想像がつかなかった
(お布団の中でどうなる、と言う想像も無かった、
bakadane~(*∀*;))
http://www.youtube.com/watch?v=qnioyceDZ7c&feature=related
それはそれとして
恋心が発火する石炭となって、それが原動力にもなり
私の一日は、恋に、仕事に、今思い出しても
超特急のような活力溢れる過ごし方だった
見るもの、聞くもの全てが私の心の栄養となったが
若いときは音楽に対する関心も高く、
流行の曲に自身が何故にこんなに重なるのだろうと
幾度と無く共感を得た
特に自分では(そう思った)初デートの失敗の切なさは
マイペース(現在解散)流行曲 【東京】 の
切ない思いはメロディと共に深く私の心に残った
あの曲は今も切ない思い出として心に残っている。
首都圏から遠く離れている人は東京へ行く、というでしょうが、
電車一本で東京と目と鼻の先に暮す私達も、
矢張り東京へ行くときは六本木へ、池袋へ、とは言わず
東京へ行くと言った(今は?ぽんぎ?ぶくろ?)
そして今も忘れない言葉が、
当時世間をにぎわしていたお嫁さんにするなら、
アグネスチャンのカワイさを持ち、
壇ふみのような笑顔を持った人、というのがあったのだが、
ライトアップされた女神がエンドレスに水を湛える像がメインの喫茶店
でコック氏と会話を弾ませていた時、不意に言われた
コック氏から見て私はそんな女の子で有ったのだろうか
竹下景子さんがある大臣に気に入られて、
(息子の)嫁さんするならこの人と言う発言が一人歩きし
良い嫁さんのイメージは彼女と言う時代が日本に来るのだが、
(それで、彼女は一躍人気者に♪凄かったですね!)
その数年前のことである
私は、私でコック氏の唯一の家族、
母親の存在がじわじわと思わずにはいられない、
会う前から何故か目障りを感じ始めてくるようになっていた。
【原文のまま】