今日の夜明けご飯です。
http://cookpad.com/diary/1560447
蔵の湯の花はこちらにアップしました。
http://photozou.jp/photo/show/689906/43651465
2007年記
私と歳がほぼ同じだが、大学生は誰かに借りたのか、
赤いオープンカーを乗り回すことが有った
助手席に私を乗せ、
基本的にお下げ髪が私の定番だったのですが、
それを解くように指示、
トッポイサングラスを私にかけるように強要、
オープンカーの中で髪の毛がトルネード、
目の前真っ暗!
わたしゃあなたのマネキンか?!
部屋で、私に奏でるフォークソング(いちご白書、だけ。)
二人きりの部屋では、チュウ しかすることは無いの?
いや~、参った!参った!
このまま関係を深めるのだけは兎に角ゴメン!でした。
まだ18ですよッ!
そんな時、父から短期訪米だが、
一度はお前の父の国を見てきなさいと
お声がかかる、父、父、と書いているが
実は私はパパと呼んでいました
父は当時のお金で23万用立ててくれて私は機上の人となった
米国は、私にとって初めてだったが
、モーニングコールさえ分らないほどの語学力であったのに
3日には突然米語が分るようになったり
どうやら日本より向いているかも知れないと
米国の暮らしに夢中になっ行った
父は、それが狙いであったったのか、
帰国後、再度アメリカに行きたかった私は移住計画を立てました。
その中に異性の入る隙はありませんでした、
私は心変わりをした、
ふり幅はどうやら大きすぎるのかも知れない
電話をすると、向こうの人も感じていたらしく
私との間はもう終わりやから・・と言っていたので
たった一本の電話で再び会うことも無く、
差し詰め今の時代なら、
メール一本で終わってしまう様な恋だったのです。
そんな折
早朝に、店で使う食パンを買いに街を歩いていると!
私は とんでもない人と再会をする!
それは、かつて 恋心を抱き 大事な人になるはずであった
コック氏であった!
私になんと可愛らしい笑顔を送っているのだろう・・
説明のつけられぬ思いに私の身体はワナワナと震えだし
顔はひきつったと思う、
その微笑さえ恐ろしく感じてしまった私は
その場を振り切るように駆け出し
人々の雑踏に中にわが身を隠してしまった。
人としての成長はまだ、まだ足りてはいなかった、
30年以上経過しても、あの卑怯な自身の態度は許せないでいる・
つづく
http://www.youtube.com/watch?v=IgdNg20hJ7I
※友達のインド人と。