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Oct 27, 2008
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カテゴリ:カテゴリ未分類
 無限に続く生命の円環。

喰らい喰らわれ、しかし停滞を知らず。

有限の世界における、無限という絶対的矛盾。

  美しく咲き誇る花は何時しか枯れ逝く。豪放に流れ落ちる流水は何時しかその流れを止める。

 人は死ぬ。

 それ故にそれらは美しく有る事が出来るのだと………………少女は、初めから気付いていた。

 初めからだ。

 …………雑踏する交差点の中に少女は居た。

 おびただしい数の人間が行き来する中で、少女は空を見つめて呟いた。

「…………怖いわ」

少女はネクロノミコンと呼ばれていた。

過去形であるのは、彼女の事をそう呼んでいた男が、すでにこの世の人間でないからに他ならない。彼は、臓器を構成する繊維の全てを小さなミミズに変化させて死んだ。脳以外の臓器を、だ。のた打ち回りながら、ミミズの脈動と痙攣との区別が付かぬうちに死んだ。

不幸な男だったと言わざるを得ない。そして、哀れな男だった。

名は体を現し、心を縛り付ける。あるいは解き放つ。

そうであるのならば、ネクロノミコンという名にも意味はあるのだろう。…………男が熱心なクトゥルフ神話の読者であった事を差し引いても、だ。それ故に男は哀れだった。何故なら、ネクロノミコンという名を与えられるよりも前に、少女はその特質を得ていたからだ。名の持つ意味に縛られたのは男の方だ。

それに彼女自身、ネクロノミコンという名に対して特別な思い入れは無かった。何故なら、その名以外にも、ちゃんとした別の名が有るからだ。だが、今は忘れてしまった。悠久なる時の流れは、容赦なく彼女の記憶を蝕み…………誰も彼女の真の名を呼ばなくなった時点で、その名前の持つ意味は無くなってしまったのだ。

己の名を忘れた事に気付いた時に、彼女は初めて理解した。

人間は、他者に意味づけられたものが多すぎる事に。自分一人では、その存在を肯定する事すら無意味である事に。一人では一瞬でも存在する事すら困難である事に。

しかし、そうであるならば。

「…………私がネクロノミコンという名前を未だに覚えている事にも、意味はある?」

それが後付けの魔法であったとしても、有効性を果たすものだろうか。

少なくとも、付けられてから数百年は経っている。忘れていないというのは、
何かしら意味が有ると感じざるを得ない。

その時、交差点の歩行者信号が赤に変わった。

気が付けば、周囲に人間は居なかった。

だが、少女はその事実を意に介する事無く、ゆっくりと歩き始めた。

歩行者信号が赤に変わる。それはもちろん一つの事実を示していた。

少女の身体など、虫けらの様に踏み潰してしまう鉄の塊が動き出す、という事だ。

鉄の塊…………恐ろしいまでに数多くの自動車が、我先にと動き出す。始めはゆっくりと、しかし確実に加速を付けて。

その光景を見た者は、良心が僅かでもあるのならば、絶望した事だろう。良心を失ったものでも、意識くらいは向けただろう。

少女が自動車によって、物言わぬ肉塊になる事が確定されているのだから。

だが、信号待ちをしている人間は誰も声すら上げなかった。

少女に向かって突進する自動車も、ブレーキの気配すら無い。そもそも、信号が変わった時点で、少女は交差点の真ん中に立っている事は明らなはずなのだ。

 クラクションを鳴らさずにアクセルを踏み込むのは、妙だった。

 少女はやはり、何事も無いかのように歩き続ける。

 不思議な事が起こった。

 少女に迫り来る車。

 その悉くが少女を避けた。

 それも、少女をその鋼鉄の塊で跳ね飛ばさないように、などという大げさな避け方では無い。少女を避ける事が当然の様に、自然に最小限の動きをしている。

 その動きは、前方に少女が居る事を前提にしていない動きであった。まるで、少女の姿など見えないかの様に。

 だが。

 少女の歩みが交差点も終りに差し掛かった時。一台のトラックが、他の車とは違う動きを見せた。

 十数メートル先で、まずは一度目のクラクション。すぐに、二度目のクラクション。

 歩道を歩いている人々が、その甲高い音に、まず驚いた。こういう場合、人はまず、己に原因が無いか確かめるものだ。そして、大抵の場合クラクションと自分との間に因果関係が無い事を知り、すぐに意識を外へ向ける。

 この場合もそうであった。

 人々はクラクションに僅か反応し、すぐに彼等本来の動きに戻っていく。しかし、トラックに今にも跳ねられそうになっている少女に何の反応も見せなかったのは妙だった。やはり、少女の姿など見えない様だった。

 だが、トラックの運転手は違った。

 明らかに少女の姿を認識し、他の車とは異なった回避行動を取ろうとしている。

 トラックの運転手は判断を誤った。

 少女の姿を視認した時点で、すぐにブレーキをかけるべきだったのだ。

 すでに、ブレーキを踏んだとしても、その制動距離内に少女の身体は収まってしまう。

 しかし、例え間に合わないかもしれなくとも、普通はブレーキを踏む。それ故に、運転手はブレーキを踏み、ハンドルを思い切り回そうとして…………。

 その時。

 少女の眼が動き。

 運転手を視て。

「…………運が悪いのね」

 その呟きが運転手に届いたはずも無いだろうが、運転手に起こった変化は劇的だった。

運転手の、その体がグラリと右側に大きく揺れて、手にしていたハンドルも体
の動きに従った。

結果的に急ブレーキと急ハンドルを切った形となり、トラックは大きく右側に逸れた。

少女の身体を紙一重で避けて、しかしその無理な運動の結果、トラックは激しく横転した。地面を数メートル引き吊り、止まる。

その結果、トラックは対向車線へとはみ出してしまい、別のトラックに踏み潰された。正確には衝突であり、しかし上に乗られた形になったのだ。

周囲は騒然となった。

だが、少女は意に介する事無くその場を歩み去る。

恐らくは少女のせいである哀れな犠牲者に、眼もくれる事無く。

トラックの運転手は即死だった。その身体が普通の半分以下にまで押しつぶされ、内蔵が至る所に飛び散っていた。

半壊したトラックからは、死亡した運転手が不潔にしていたのか、大量の蛆が出てきた。少なくとも、警察はそう判断した。

また、車内からはアルコールらしきものが検出されており、酒気帯び運転の結果、ハンドルの操作を誤った可能性が高いとも判断された。

…………誰に理解できるだろうか。

即死したトラックの運転手。

その皮下に、突如として大量の蛆虫が発生したために昏倒し…………事故が起こったのだという事を。






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Last updated  Oct 27, 2008 11:54:32 PM
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