自分らしく生きていく

2009/02/12(木)14:12

日本の戦国時代とキリスト教 (その2)

教会(43)

 フランシスコザビエルは1549年平戸から山口→京都→山口→大分と2年間で伝道し、その後をフロイスという宣教師が受け継ぐ。  山口に退いたザビエルはそこで盲目のびわ法師ロレンソりょうさい(クリスチャンネーム)と出会い彼は導かれクリスチャンとなる。 そのロレンソりょうさいは非常に醜い風貌であったと言われている。 その彼が7000人を一人で導いたそうだ。 彼から73人が集団で洗礼を受けたという記録が残っているそうだ。  その中には細川ガラシャ婦人に洗礼を授けた「おいとの方」も入っている。  名古屋と九州を何回も行き来し、9年後京都伝道を目指したが迫害された。  城持ちの大名もたくさん洗礼を受けて、1605年関が原の戦いの時その近辺の人口は約1500万人、その内キリシタン人口は75万人に達していたという。 下克上の世の中で、豊臣秀吉は織田信長の暗殺にショックを受けた。 もう誰も信用できない。不安の中で彼は自分の城に宣教師を招く。 そして、事務方の女性はすべてクリスチャンで固めたという。  キリシタンなら安心、キリシタンなら裏切らないという思いがあったのだろうか。その彼も突然何があったのかキリシタンを迫害するようになる。  迫害された宣教師達は堺へ逃げる。 長崎がキリシタンの聖地だと思っているかもしれないが、河内がキリシタンの聖地だといってもいいということが最近分かってきた。 淀川から堺までの領域、河内がキリスト教の中心になってきた。  この記事は今週の日曜礼拝のメッセージをメモったものから書いています。あいまいところがあるかもしれません。その際はお許しください。 間違っているところがありましたらご指摘いただけると幸いです。最低限のことを書いていますが、神様が誤解を招くことがないように配慮してくださいますように祈ります。

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