立原道造◇◇◇立原道造の森◇◇◇ ◆凡例は筑摩書房版新全集に則っております。 ◆PC入力不能の繰り返し記号は、試験的に/\、濁点付きは/″\で入力しました。 ・・・立原道造の森にようこそ・・・ 立原道造の詩ひとつ 或る風に寄せて おまへのことでいつぱいだつた 西風よ たるんだ唄のうたひやまない 雨の昼に とざした窗([まど])のうすあかりに さびしい思ひを噛みながら おぼえてゐた おののきも 顫へも あれは見知らないものたちだ…… 夕ぐれごとに かがやいた方から吹いて来て あれはもう たたまれて 心にかかつてゐる おまへのうたつた とほい調べだ―― 誰がそれを引き出すのだらう 誰が それを忘れるのだらう……さうして 夕ぐれが夜に変るたび 雲は死に そそがれて来るうすやみのなかに おまへは 西風よ みんななくしてしまつた と 立原道造の文章ひとかけら 手記[火山灰まで]より それは童話のやうな夕暮れだつた。茜色の空には三日月と金星とが並んで うすい色でその形を空から切抜いてゐた。その前には、建物のシルエツトが、 描かれてゐた。ゴチツクの尖塔の形である。そしてそこから、濠に沿つて正 しい透視図法に従つて柳の並木があつた。芽ぶいてゐたが、もう暗くなつた のでその色はわからない。先刻まではその並木はぼんやりとまはりにその色 をにじませてゐた。それはOIL-GREENといふ色である。すべては童話のや うな空気に包まれてゐた。 こんな景色を、僕は、「宝島」を見をへて、外に出ると、一ぺんに眼に入 れてしまつた。僕のなかには、ジム・ホーキンスとジヨン・シルヴアが別れ を告げあつてゐたばかりであつた。その海の上の景色がまだはつきり心にの こつてゐた。それは帆前船だつた。そこへ不意に、こんな中世期の絵葉書の やうな景色がとびこんで来た。 ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ◇◇◇ほかの詩作品◇◇◇ 詩 ◇◇◇道造の散文◇◇◇ 手 記 ♪立原道造記念館♪ 画像は立原道造記念館と、浦和のヒアシンスハウス (手前はプレート) ◆立原道造記念館へのご案内◆ ☆☆☆立原道造記念館は2011年2月20日をもって閉館いたしました☆☆☆ (現在は、建物もありません。下記は、記念館開館当時のご案内になります) 最寄り駅は、南北線の東大前駅か千代田線の根津駅です。 東大前駅からですと、駅を出てすぐ道なりに左左と歩いて行きます。 左手に農学部の門、もう少し歩くと交番もありますが、 東大農学部構内を抜けて行くことも出来ます。 構内を抜けず、交番まで歩いて、道なりに左に曲がり少し歩くと 信号そして横断歩道がありますので、そこを渉ってください。 ここからは根津駅から歩いてきても同じです。 根津駅からですと、駅を出て、今度は右に右に道なりに鉄砲坂を上りましょう。 やはり信号・横断歩道が出てきますので、そこを渉ります。 渉った先に水色のかわいいおうちがあるのが目印です。 その信号を渡って、いわゆる暗闇坂をまっすぐ歩いて行くと、 右手に工学部の弥生門が現れ、 そして正面に、立原道造記念館の横顔が見えてきます。 「立原道造記念館」と縦看板が見えてきて、あ、記念館だ記念館だという気持ちになります。 正面玄関はこちらになります。 立原道造の残した詩稿、手作りのあまりにもかわいい詩集たち、 夢の世界のようなパステル画やすばらしい建築パース、 そして道造が「納屋」また「バー・コペンハーゲン」と呼んでいた、 屋根裏部屋を小さく再現したような小ぶりの机や椅子、本棚など 立原道造の世界を静かに楽しむことができました。 ☆☆☆立原道造記念館は2011年2月20日をもって閉館いたしました☆☆☆ ◇立原道造記念館の在りし日のすがたを偲ぶ・・・◇ ★さよなら立原道造記念館★ ★メルマガ『なな猫の立原道造散歩』バックナンバー★ なな猫の立原道造散歩 (当メルマガは、一旦廃刊といたしました) ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ☆立原道造記念館の姉妹館だった、弥生美術館・竹久夢二美術館のご案内☆ ★弥生美術館・竹久夢二美術館は現在も開館中です★ 弥生美術館・竹久夢二美術館 |