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catshit1

2010.02.26
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カテゴリ:高野街道記補足
上田増福寺(通称・上田の観音さん)の由来
 室町時代の戦国期に河内一円を守護していたのは畠山氏であるが、その居城であったのが東大阪にある若江城址・羽曳野の高屋城蹟である。
 畠山氏は武蔵国秩父郡に平安時代の末期に住み着き地方の豪族として畠山重能(しげよし)のとき秩父郡は畠山荘の荘司となって平家に従った。
その後室町幕府が成立し、畠山清国は紀伊の守護となり、清国の弟義深(はたけやまよしとう)は室町幕府に仕え能登・越中・河内・和泉などの守護に補され、その後は畠山義深は河内の守護職に就任し河内一円を統治した。
従って、河内畠山氏の祖は畠山義深より始まる。義深は元寇元年(1331)生まれ、40歳代で息子基国(もとくに)に河内守護職を譲り、上田の庄代池近くの七實庵に隠居し、康歴元年一月十二日(1380)49歳で上田の此の地で他界し、上田墓地に葬られた。(上田墓地の六地蔵裏側)
義深は尾張守三郎と云い、法名(号)を増福寺殿わかま と呼んでいました。その後、応永年中に義深の法名(号)をそのまま寺号にして、上田の逆修講(ぎゃくしゅ)が義深の菩提寺を建てたのが、現存する増福寺であります。
文化十二年(1815)古文書{逆修講由来聞記によると「・・・略・・・往昔楠公之世、宮座之者ニテ在之候処。その後畠山尾張守義深、河内守護職之後烏帽子形山之下二退居ありて増福寺殿と申、右増福寺殿御逝去被成候後。御法名を寺に号し、今増福寺と言う者是也・・・略・・・為御追善逆修講取詰、深義様御法名を直様寺二仕、今之増福寺是也、寺ハ応永年中(1394~1427)ニ建 又 其の後再興致之在也・・・略・・・」と記録されています。}
 又、弘化三年(1846)の大阪寺社方埜控によると乍恐似書付奉願上候。甲斐庄喜右衛門殿知行所河州錦部郡上田村。融通大念仏宗 同州同郡古野村極楽寺末寺 増福寺無住に付き年寄り1、当寺境内在来り候腕木門桁行七尺五寸梁行四尺並、地蔵堂桁行四間梁行三間半、但し三方に半間の廂付東手に書庫桁行き四間梁行き二間いずれも瓦葺きにて在来候・・・略・・・とあり創建当時の増福寺の大きさを知ることができます。しかし往事の建物は老化していたので明治四十三年限三日市幼稚園の場所にあった正法寺が学校建設に伴い廃寺となっており、その建物を増福寺に移築した。従って、現増福寺の建物は基正法寺の建物であり、往事の建物より相当小さくなっており、棟札(廃寺となった正法寺の)もそのまま保存れています。
尚、本尊は天保十三年(1842)の上田村明細帳には当寺本尊地蔵尊と記録されいる。
現在増福寺に小さな仏像を除き六体の仏像が安置されており、本尊は地蔵尊(木造で小野篁の作)で脇仏として不動明王座像と愛染明王座像が祀られ、その脇に木造十一面観音立像(重要美術品に指定されており、11世紀の頃上田の中心部に観音寺という寺があり、この寺の本尊であったが廃寺となり増福寺に合祀)である。もう一体は上田墓地に阿弥陀寺があったが、これも廃寺となり、この寺の本尊だと思われるが阿弥陀如来座像が安置されています。又、堂の左上に半鐘が吊られていますが、上田の鋳物師、田中義太夫が寛永五年(1708)増福寺に寄進した物である。
 江戸時代増福寺の境内(往還筋の堂の辻)に三日市の御高札場があり、人馬取り締まりの伝言や賃金札を掲示し、下は格子戸で囲み石地蔵と南無大師遍昭金剛の石塔(現庄代池の横に移築)が高野詣での道中安全を祈願のため立てられていた。
 以上が増福寺の内容と由来ですが、この増福寺で元の建物の庫裏を借用し、明治6年三日市小学校の前身で第八番小学校が開校し、又境内に現河内長野警察の前身で富田林警察署上田出張所が河内長野全域で始めて明治7年に設けられた。従って増福寺は三日市小学校及び河内長野警察発祥の地でもあります。
 この様に歴史を持つ増福寺は上田町の所有文化財産であり、上田の観音さんとして親しまれ、山口様に大切に保存、維持管理をした頂いています。この歴史的由緒ある寺を私たち上田町民も大切にこの寺を後世に引き継いでいかねばなりません。






Last updated  2010.02.26 10:19:40
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