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カテゴリ:ビジネス
優秀な人ほど
感覚が優れていると思う。 感覚である。 敏感だったり、鈍感だったり、いわゆる五感すべてをあわせた感覚である。 これはいわゆる具体論を必要とする”本”という媒体にはあまり書かれていないと思う。 読者に最も理解されがたいがために、どんなに優れた先駆者もこれについて書かないのだと思う。 感覚の鋭さ。 塾の授業に置き換えてみる。 この感覚が優れている先生は、まず子ども達の挙動や感情を感じ取ることができる。 今日はどの子が調子がよいか? どの子の集中力が高くて、どの子の体調が悪いか、機嫌が悪いか。 感覚の鋭い人はこれを感じ取る、しかも高い精度で、だ。 感覚でものごとを判断できるのだから、 だれも触れることのできない、 それこそナノの技術よりも微妙なアクセルワークで授業を進めることができるだろう。 しかもその授業がどれほど優れているかは、生徒と先生、その関連性の中でしか分からない。 つまり他人が授業を見学したとしても、どれほどすばらしい授業かが、当の本人以外には 分かりえないということになる。 僕はこれまで、人の持つ”アンテナ”について、ブログ上で触れたことが何度もあるが、 これとは少し異なる。 アンテナはそれこそ後天的要素、つまり日ごろの気配りや知識や知恵によって磨かれるもの。 しかしここでいう感覚とは、 なんと言おうか・・それは・・人の持つアンテナとは違って・・・・ まさに五感そのものであって もっと人を裸にしたような肌と肌の勝負であり、 野生的で泥臭く優雅なものを指す。 とにかく優秀だといわれる人のこの感覚のすぐれ具合は きっと凡人には分からない。 他人が見ても、この授業の何がいいの?となってしまうからだ。 ただし優秀な経営者は自分の持つこれを、紙やシステムに落としこむことができるだろう。 具体的なものへの置き換えである。 他の誰かにその感覚を伝えるべく、それらを文にしたり、ルールにしたりするのである。 そうして、提唱するシステムやレシピの中にそのエッセンスを流し込むのだ。 これができて初めて、物事の先駆者・第一人者となれるのだ。 いわゆる優秀だといわれる経営者が ビジネスでもその哲学においても憧れの存在となっているのは、 この簡単には誰もが持ち得ない”感覚”を侵されることのない領域で持っていて、 尚且つそれを何かしらの方法で誰かに伝えることができるからだと思うのだ。 感覚、これを大事にしたいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
September 9, 2006 02:06:31 AM
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