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テーマ:人間関係(927)
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週末、母親と電話でケンカになった。 ここ1ヶ月くらい、電話で話すと必ず言い争いになってしまってブルーになってたので、こちらからは電話せず、先週に至っては電話線まで抜いていた。しかし心配性な母は、携帯に電話してきた。 結局、ケンカになってしまった。 母との関係は、あんまり理想的なモノとは言えない。家族の中で私だけ、やたらと上手く行っていない。耐えられなくなり、私は家を出たのだった。いまだに、帰ることを躊躇してしまう。 母は小さい頃から私に過剰な期待をしていた。女手ひとつで子供のためだけに生きてきたような人だし、私は長女だから、余計にそうなってしまったのかも知れない。でも私は、母親の思うとおりに生きられないことに対してビクビクしていた。私が何かしたり、言ったりする度に、母はヒステリックに怒鳴り散らし、しまいにはシクシク泣いた。 私は、母がそうすることが怖かった。 本当は、とてもすばらしい母なのだ。母との忘れがたい思い出は山のようにある。感謝の気持ちもいっぱいある。今までしてもらったことを思うと、感謝してもしきれない。なのに、私は母が怖い。 ある日、私は自分がアダルトチルドレンなのではないかと思った。何事もなくとも何となく、生きにくいなぁと思うことが多く、常に不安だ。他人のことも信用できないし、何をやっても自分に自信が持てない。 クダラナイ男となかなか別れられず、泥沼にはまるのもそれが原因かも知れないと思う。どんなに手ひどい扱いを受けても、別れることが受け入れられずいつまでもしがみついてしまうのだ。見捨てられるくらいなら、暴言や暴力に耐える日々のほうがまだガマンできると思ってしまうのである。人に「おかしい」と思われても、自分でおかしいと思っても、でもどーしても、そうなってしまうのだ。 私は、人に否定されることを極度に恐れている。 怖いので、最初から近づかない。好きな人とそうなると、苦しいので、あんまりそうなりたくない。愛情が何か分からないわけではない。母親からの愛情を感じるし、それは幸福なことだと思う。でも私にとって”愛”は常にポジティブなものではないので、なくても特にフシアワセでないなら、むしろないほうがいいとすら思っている。それは間違っていると言われても、これは感覚の問題なので、どーしようもないのだ。 母に否定されるのが、ずっと怖かった。怖いので逃げて、そのまま遠方にとどまり、近づくことを避けている。 先週末、腹を立てて激しく反抗した私に、母は受話器の向こうで口ごもった。 何で口ごもるんだよ、と思った。何で前みたいに、激しく怒鳴り散らさないのか。 沈黙が、年老いた母の心の傷を訴えかけてきて、私は耐えられなくなり電話を切った。 おかあさん、本当は、私も一緒に暮らしたいんだよね。会いたいんだよね、ホントは。でも、上手く行かないよね。一緒に暮らすと、またおかあさん、泣いちゃうもんね。 一番好きな人は、いつも一番遠い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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