「実録テレビ時代劇史」 【能村庸一】
実録テレビ時代劇史(著者:能村庸一|出版社:東京新聞出版局)ちゃんばらクロニクル1953-1998 文字通り、テレビにおける時代劇の編年史。 もっとも、冒頭は映画界における時代劇の状況の説明なのだが、それを書いておかないと、テレビの話に入っていけないのだ。 何となく、テレビ番組というのはテレビ局が作っているのだと思っていたが、特に時代劇は外注であることを始めて知った。 歌舞伎界から流れてきた俳優を中心とした東映のスターシステムにとって、黒沢明の「用心棒」などのリアルな時代劇が驚異であり脅威でもあったことがやっとわかった。 テレビの時代劇であっても、製作会社は、東映系、大映系、松竹系とあり、俳優の所属などともからんで人間関係で動いている部分が多いのだ。 昔に比べれば、時代劇は少ない。 その理由の一つは視聴率という魔物だ。数字がすべてであり、質はどうでもいい、ということになってしまう。 時代劇に関しては、「時代劇の視聴率は、全局の時代劇放送総分数と反比例する」というのがテレビ時代劇の法則だという。(p294) また、「時代劇というジャンルの場合、少しでもターゲットを若向きにシフトすれば、必ず成功の確率が減ることは既に実証済みであった。」(p300) 著者はフジテレビの人なのだが、他局の番組であっても実によく見ており、研究している。 しかし、重要なのは視聴率。 フジテレビが先鞭を付けた若者迎合路線が時代劇を減らすことになっていることは著者も認識してはいるのだろう。 この本で始めて知ったことは多い。 東映映画の「服部半蔵・影の軍団」に千葉真一は出ていないのに、テレビでは主役だった。これは、工藤栄一監督の出した「二人半蔵」のアイディアに千葉真一が納得せずに降板したのだという。(p256) また、巻末に年表があり、大村昆の「とんま天狗」に、昭和34年のものと、昭和40年のものがあることを知った。 今まで、他の資料で昭和34年というのだけを見ていたので、どうして見た記憶があるのか不思議だったのだが、昭和40年のものを見ていたのだ。 その他、印象に残ったこと。 「水戸黄門」で前後編をやってみたところ、年輩の視聴者から、後編を見ないうちにお迎えが来たら死んでも死にきれない、という投書が来て、それいらい前後編は作らないことした。(p291) 「昔のスターはファンが一歩下がって仰ぎ見たが、今は前へ出て触(さ)わりたがるとはよく言われることだ」(p407) 文中でも巻末年表でも、「寺子屋ゆめ指南」の主役の名が「高橋和巳」になっているが、これはもと「男闘呼組」の「高橋和也」。もと光GENJI諸星和巳と混同したか?