プロ教師の見た教育改革 【諏訪哲二】
プロ教師の見た教育改革(著者:諏訪哲二|出版社:ちくま新書) 教育改革に対する評価というよりは、そもそも学校とは何か、学校を生み出した「近代」とは何かを論じる部分が長い。 なぜなら、学校の存在の前提を正しく認識せずに学校教育を語ることができないからだ。そして、前提を誤解したまま教育を語る人が非常に多いからだ。 読んでいると、名句がちりばめられた本のように思えてしまう。「理屈さえ立てれば現実がよくなるという近代的信仰にはまず眉に唾をつけておこう。」(p12)「子どもは見ずkら学ぶものであるとおとなが語るとき、子どもが学ばない、学ぼうとしない可能性を一切考えていない。」(p24)「極端に言うと、文科省、教育委員会、管理職たちのあたまにあるのは、授業のことだけである。」(p70)「高校は、途中で罷めたがる生徒を慰留し、手とり足とりして卒業させようとする。」(p76)「ジャパンローカルの知的主体たちは、普遍や真理は必ずどこかに在り、それもかなり手近に在るように錯覚している気配がある」(p164) この本を読むと、産経新聞も朝日新聞も同じ勘違いを土台としてものを言っているにすぎないように思える。自分は「近代」の体現者であり、「普遍や真理」を自分はみつけたと思いこんでいるのだ。 人間を右か左かに分類してしまわないと気が済まない人は、こういう本を読んだらどう思うのだろうか。 誤植発見。「家そこでは庭や地域の教育力なるものは」(p194)は、「そこでは家庭や……」の誤植と思われる。楽天フリマから現金5万円プレゼント