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hongming漫筆

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欧米露の本

2013.03.24
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カテゴリ:欧米露の本
 再読。
 初めて読んだのは20年近く前だったと思う。
 覚えていることもいくつかあった。
 「述」というのは、書いたものではなく、講演したものだから。

 ドイツ人哲学者が、大正末から昭和にかけて五年間滞在し、東北帝国大学で教える一方、道場で弓道を学んだ経験から、日本文化の一端を紹介したもの。
 技術論ではなく精神論であり、文化論である。
 ただ、最初から「禅」の文化が日本を覆っているという先入観があるようで、合理的精神では理解できないものとして受容しようとしている。
 たとえば、
日本人は、自分でそれを説明できるかどうかは別として、禅の雰囲気、禅の精神の中で生活している。(p17)

というところにそれを感じる。
 あるいは、ヨーロッパ人には理解できない論理を「禅」と呼んでいるだけなのか。

 絶望的な気持ちになるのは、言葉だけ翻訳してもその本質を知ることはできない、というところ。
 わたしは、日本語以外の言語で書かれたものは、翻訳したものでなければ読めない。
 しかし、それは表面を置き換えただけのものであり、それによって本質を理解することができるかどうかというと、単に技術を説明したものででもないかぎり、おそらくできないのだろう。


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Last updated  2013.03.24 13:05:17
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2012.01.18
カテゴリ:欧米露の本
 日暮雅道・林啓恵 訳。
 ヨーロッパ、特にイギリスにおける、「最悪」と思われる仕事の歴史。ローマ時代から19世紀の終わりまで。
 汚物の処理であったり、動物の皮革の処理であったりというのが多い。
 ヨーロッパ裏面史を書こうとしているのかというとそうでもない。
 全体の「のり」が、テレビのバラエティ番組のようなのだ。
 イギリスのテレビ番組やタレントが引き合いに出されることが多い。
 こっちは「モンティ・パイソン」ぐらいしかしらないのに。

 最後まで読んでやっとわかった。
 もともとがテレビ番組なのだ。

 なるほどなあ。どうもイギリス人の考えることはわからない、と改めて思ったのだった。

 子供の時に読んだ「水の子トム」のことがちょっと出てくる。
 この本の中では、「水の子どもたち」となっている。
 昔は理解できなかった社会背景のある話のようだ。 
 読み直してみたくなった。

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Last updated  2012.01.20 00:17:07
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2011.11.03
カテゴリ:欧米露の本
 初めて読んだ。
 不思議な話である。
 最初に出てくるモグラが主人公なのかと思うと、そうではない。川ネズミやガマガエルやいろいろな生き物がその時その時で中心になる。
 強いて何に似ているかというと「水滸伝」に似ている。

 前編を杏がレルテーマがあるわけでなく、行き当たりばったりに話が進む。
 モグラは、川根済みのボートをこいでみようとして軽はずみな行動をとったりするのだが、終わりの方では思慮深く有能になっている。
 しかし、それを不自然に感じさせない。

 動物だけが出てくるわけではなく、人間も出てくる。
 人間と動物が共存していて言葉も通じるのだが、同じ世界にいるようでもない。
 簡単には説明のできない不思議な世界の物語なのだ。

 「訳者のことば」によって、その成り立ちを知ってやっと納得できた。
 終始一貫している必要はない話なのだ。

 2002年初版ということなのだが、石井桃子の訳文はやや言葉が古い。
一分は一分と、ヒキガエルは、むしゃくしゃしてきました。(p293)

 この「一分は一分と」という表現は初めて目にした。二か所出てくる。

 子供も大人も読める非常に興味深い本である。

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Last updated  2013.08.29 22:13:17
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2011.06.25
カテゴリ:欧米露の本
 雲から水となり海に注ぎ再び雲となる水の循環を擬人化したものは多いことだろう。
 わたしが子供に読んでやったものでは、「しずくのぼうけん」が記憶に残っている。
 この本も、そういう系統のものなのだが、大人向けの本だ。そして、際立っているのは、主人公が女性に設定されていることだ。
 雪として地上に舞い降り、水になって川を流れる。
 それだけではない。結婚出産まで経験する。
 夫となる「雨のしずく」の言動はいかにもアメリカらしい。
 キリスト教的な創造主の存在を感じてはいるが「神」とは言わない。
 「再生」を予感させつつ物語は終わる。
 水を擬人化したものではなく人生を水になぞらえた物語なのだ。


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Last updated  2013.08.29 22:14:35
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2011.05.13
カテゴリ:欧米露の本
 いわゆる「シートン動物記」。もっとも、本人はそんなシリーズものとして書いたつもりはないらしい。
 「ぎざ耳ウサギの冒険」「黒いくり毛」「あぶく坊や」「ビリー」が収録されている。
 このうち、「ぎざ耳ウサギの冒険」と「あぶく坊や」は読んだ記憶がある。ほかの二作も読んだのかもしれないが何も覚えていない。
 イノシシがガラガラヘビの毒に対して耐性を持っているというのはよく覚えている。(事実かどうかは判らないけれど)

 解説によると、「黒いくり毛」は、発表された後、その馬に関わった女性からの手紙を受け取ったりしたそうだ。

 擬人化するのではなく、動物を動物としてそのまま描くということが斬新だったのではないだろうか。

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Last updated  2011.05.18 00:29:57
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2011.03.26
カテゴリ:欧米露の本
 地震で本棚の本が散乱した。片付けていたら出てきたのがこの本。
 30年ぐらい前に古本屋で130円で買った旧版。
 元々の定価は「☆☆」で200円。その昔、岩波文庫は☆と★で値段を現していた。
 表紙もパラフィン紙。

 実は、買ったまま読んでなかった。思わぬ再会を機会に読んでみた。
 1590年のオーストリアが舞台。
 少年たちの前に現れた謎の少年。なんと「サタン」と名乗る。
 少年たちを幸せな気持ちにさせるのだが、人間の「良心」をあざ笑い、人間の非人間性を否定する。
 その特別な力で村人にも影響を及ぼすが、不幸にしたように見えてもそうではないということもある。

 何が幸福なのか、人間らしさとは何か、宗教には価値があるのか。

 ほとんどの人が疑いもしなかったことに疑いの目を向け、否定する。

 人間の「進化」もそうだ。
キリスト教と文明とが、いつも手を組んでやってきたことはよくわかった。そして、「そのあとには、つねに飢饉と死と荒廃と、そのほか(さたんの言葉によれば)すべて人類の進歩の証拠であるものをのこしてきた」のである。(p144)

と言い切っている。キリスト教と文明の否定である。
 よくこんなことを書いて無事でいられたな、と思ったら、解説によると、生前には発表していなかったのだ。

 最後は非常に観念的に結ばれている。

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Last updated  2011.03.26 11:23:26
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2009.02.18
カテゴリ:欧米露の本
初恋

 有名な小説だが初めて読んだ。
 中年男性が、自分の初恋を思い出して記したもの、という体裁になっている。
 それを人に読ませたということなのだろうが、読んだ人の感想があるわけではない。

 年上の女性への初恋と、その女性の恋人を知った時の衝撃。その後の複雑な思い。
 印象的な物語ではある。
 19世紀のロシアの貴族の生活というのがどういうものなのかさっぱり想像がつかないので映像としては浮かんでこない。
 作者が詩人であることからすると、おそらく、詩的な文章を味わう小説なのだろう。

 岩波文庫は表紙に紹介文が書いてあるのだが、そこではっきりとネタバレになってしまっている。主人公が衝撃を受けるところはさほど重要ではないということなのだろうか。

 読んだのは、1933年4月15日第1刷、1960年8月5日第14刷改版、1995年7月15日第64刷のもの。
 もう70年以上前の訳なのだ。
 やや古くは感じるが、自然な訳文だ。
 「弄媚女《コケット》」(p71)は訳者の造語だろうか。
 「痙攣的《けいれんてき》に」(p88)は珍しい表現だ。「痙攣しながら」ではなく「痙攣的に」と訳したくなるような原文なのだろうか。


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Last updated  2009.02.18 09:45:38
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2008.02.21
カテゴリ:欧米露の本
 角川文庫。1983.9.20初版。1978.4.20第9版。

 サドの短編小説集。
 宗教を否定してはいるが、欲望のままに生きることを肯定しているわけではない。
 その結果不幸になることだってあるし、かえって幸福になることもある。
 世の中、理論の通りにはならないのだ。
 真実はそれぞれの人間の中にある。
 肉体を描いているようであって魂を描いているのであるが、その方法が過激なのである。

 収録作品
「ファンクスランジュ あるいは 野心の罪」
「ロドリグ あるいは 呪縛の塔」
「オーギュスチィヌ・ド・ヴィルブランシュ あるいは 恋のかけひき」
「寝取られ男 あるいは 思いがけぬ和解」
「司祭になった男」
「ロンジュヴィルの奥方 あるいは 仕返しをした女」
「二人分の席」
「プロヴァンス異聞」
「哲学者の先生」
「復讐」
「エミリー・ド・トゥールヴィル あるいは 兄の惨酷」
「司祭と臨終の男との対話」

 訳文が凝っている。
ゴエ氏は平静に見せようと努力する。自制する。従妹の手に接吻を与えると、失意の気持ちをいだいて、家を出る。(p16)

というところなど、原文がどうなのか知らないが、読ませる訳文である。
 もともとが古いものなので、訳文もそれにあわせたものか古い言い回しが目立つ。
 たとえば「恋のかけひき」には、「宗旨変え」「初物《はつもの》」「こすっからい」「手入らず」「つと立ちあがり」「こよなく」「男を見やりつつ」という表現が出てくる。
 訳者にとっては自然な表現だったのかもしれない。

・「刺[月各]《しらく》」(p173) 腕から血を抜くこと。治療法でこういうのもあったというのを何かで読んだような気がする。ただし、ここでは治療ではない。
・「譫言《せんげん》」(p223) 「うわごと」のこと。音読みではあまり見られない。
イエスがマホメットよりすぐれているのでもなければ、またマホメットがモーゼより優れているのでもなく、はたまたこれら三者が孔子より優れているというのでもないんです。なにしろ孔子は、前の三人が屁理屈をこねまわしていた間に、まがりなりにもある善訓則を口授していたのですから、それだけましと言うべきでしょう。(p228)

 18世紀にすでにフランスでは孔子の言葉が知られていたらしい。

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Last updated  2008.02.21 10:31:25
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2008.02.08
カテゴリ:欧米露の本
 岩波文庫。1991.7.16第1刷。1993.9.6第4刷

 副題は「古代ローマの風刺小説」。

 「風刺」といわれても、わたしには古代ローマに関する知識がないので、何を風刺しているのかさっぱりわからない。
 まさに酒池肉林の饗宴があったということはわかったが、主人公が何をして生活をしているのかというようなことはさっぱり理解できない。
 男も女も欲望最優先という設定であることはわかる。
 欲望といっても、出世欲などというものではない。
 ほとんど性欲である。男同士と男と女はあるが、女同士というのはないらしい。
 ほかの欲望は食欲ぐらい。

 セネカの風刺短編「アポコロキュントシス」というのも収録されているが、これまたよくわからない。

 古代ローマというと暴君ネロぐらいしか思い浮かばないのだが、「解題」によると、そのネロに関わりのある作品なのだそうだ。

 読んでいてずっと気になったのは、これを訳した「国原吉之助」という人は、どういう人なのだろうか、ということだ。
 描かれている風俗や、何を風刺しているのか、ということについて、40ページ近い「訳注」が施されている。
 これが書かれた時代のローマに精通していなければできないことだ。
 ざんねんながら、この本には訳者の紹介がない。
 いったいどうしてこういうものを訳せるようになったのか、そちらに興味がわいた。

←映画になっているが、見たことはない。
 どこまで映像化したのだろう。

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Last updated  2008.02.08 09:26:47
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2008.01.03
カテゴリ:欧米露の本
 わたしが子どもだったころ。1962.8.18第1刷。1973.10.30第10刷。

 ケストナーが、両親の祖先のことから説き起こし、1914年8月、戦争が始まる「わたしの子ども時代《じだい》はおわった」(p238)というところまでの思い出がつづられている。
 楽しい思い出よりも、「子どもにも心痛《しんつう》があるという章のように、その内面に陰を残したできごとのほうが多い。
 両親は息子を愛している。父も母も、自分のプレゼントの方が息子を喜ばすに違いないと競い合う。しかし、その両親の中がどうだったのかについては触れていない。
 母が、結婚前に、姉たちに、「でもわたし、あの人はぜんぜん愛《あい》していないわ!」(p52)と語ったということが述べられているだけだ。
 母は一人息子にすべてを注ぎ込む。教師にするために。もちろん本人も教師になることを望んでいる。しかしこれでは、斉藤学の問題にする母親像そのものだ。
 その母に向かって、「ぼくは教師《きょうし》にはなりません!」(p93)と宣言することは、ケストナーにとっては必要なことだったのだろう。それがなければ母親におしつぶされていたのかもしれない。(しかし、その宣言も受け入れられてしまうのだから逃げようがない)

 「おわりにひとこと あとがき」で、書いたものの削った章があることが述べられている。
 そして、
思い出を書き記《しる》すには二つの法則《ほうそく》がある。第《だい》一の法則《ほうそく》は、たくさんのことをはぶくことができいる、いや、はぶかなくてはならない、というのである。(p244)

と述べている。わざと書かなかったことがたくさんあるはずだ。(第二の法則は、何も付け加えてはならない、ということ)
 たとえば、衛生参事官チンマーマン先生が、何の説明もなく唐突に登場する感じがするが、この人物についてはいろいろとはぶいてあるのだろう。

 表紙に、三歳の時の写真が載っている。その写真の中で履いているのが「編み上げ靴」。「紐付きブーツ」とでも言った方がわかりやすいだろうか。

(12月24日読了)

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Last updated  2008.01.03 10:06:25
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