超スピリチュアル体験記 | 実話体験談

2012/03/16(金)11:33

本能寺の変の真実を霊視(その3) 奇跡への階段 最終話です

本能寺の変の真実を霊視(3)

  では、本能寺の変でいったい何があったかについての本題に入りたいと思います。  歴史的には、明智光秀の謀反であり、ある意味、計画性が乏しく衝動的なイメージが  印象としてありますが、その真相に焦点を当ててみますと、実際のイメージとは全く  異なったイメージが伝って来ます。    本能寺の変の計画はその4,5か月前位からはあったようです。  これはですが、秀吉のイメージがその部分に強くイメージされます。  その内容はですが、秀吉自体はとてもプライドが高く頭が切れてずる賢いイメージですが、  内面は、とても小心者で臆病なイメージです。  小心者で臆病ゆえに、自分のプライドを誇示するために、相違工夫をしている様子が  伝わって来ます。  その結果が、秀吉の常識はずれの躍進的なイメージに繋がっているようです。  そして、自分を守るために特別な忍者のような組織部隊を、秀吉の信頼のおける部下達と  密かに作っているイメージです。  その秀吉が作った特殊部隊は、秀吉の護衛と対戦相手や身内のスパイ工作が主な 役割のようで、この特殊部隊が本題の本能寺の変の根本にあるイメージが伝わって来ます。  (このイメージを伝えてくる方は弥助という外国人のイメージの方であると思います。)  ここから伝わって来ます、本能寺の変の真相に関する内容ですが、秀吉が高松城に  出兵しますが、秀吉はそこにはいないイメージです。  秀吉の兵の本隊は、もっと自分の城に近い場所に待機していたものと思います。  一部が高松城付近には行っているイメージですが、戦のイメージはまったくないようで  高松城を落城するというイメージよりも、天下を取るイメージを秀吉はその時点で強く  意識していたようです。(信長の動きも手に取るように見えているイメージです。)  これは、秀吉の特殊部隊の中の力のある方が、秀吉に持ちかけている話のイメージで  その話の内容は、隙だらけの信長の首を取る事はその作戦で確実に出来るという  イメージです。  最初はその話自体を怖がっていた秀吉のイメージですが、ある時より天下を取ることを  意識しだしたようです。 (成果を上げ、結果を充分に残している秀吉に対してのさげすましたような   信長のあしらい方にかなり怒りをあらわにしているイメージです。)  そのため、自分の特殊部隊の作戦により信長の援護を少数にし、その中の大半に  信長が信頼をおける秀吉の部下を忍ばせていたようです。  弥助のイメージからは、信長に対して護衛をもっと多くするように進言している  イメージもありますが、本能寺は防備がしっかりしているのと、その当時、信長に  対して進軍してくる国などない思い込みのような過信が合ったようです。  では、信長はいったいどうやって襲われたのでしょうか?  これは、本能寺の外のイメージがあります。  秀吉の特殊部隊に後ろから襲われているイメージです。  たぶんですが、その特殊部隊の工作により、本能寺にかなり多くの敵兵が向かって  いるので本能寺に居たら危険であるという情報が信長に伝えられたと思います。    その為、信長は本能寺から一番近い味方の城(京都?)に10数名程の移動しやすい  少人数の護衛をつけて向かったのではないかと思います。  本能寺を出て1時間ほど移動した人目のない場所で、秀吉の策略にはまっている  イメージです。  そして、その遺体はすぐに埋められてしまったイメージです。    本能寺に残って生き残った弥助などは、信長が本能寺を出ていることは知らないようで  信長が本能寺から出て行くのも、襲われたのは見ていないと思います。  後で、その特殊部隊から弥助が教えられた情報は、信長が先に本能寺を出て  近くの味方の城に向かっている事を伝えられ、このままでは、信長の親族も危ないという  情報を聞かされたのではないかと思います。  (弥助に冷静な判断をさせたくないようなイメージが何故かあります。)  そのため、弥助は逃げるというよりも、信長を探すために援護を集めようと  していたようです。  弥助はデマを流すために利用されているイメージです。  そして、明智光秀はですが、秀吉の策略で、信長が襲われたと同時に信長を襲撃している  兵が居るという情報を伝えられたようです。  殿の一大事とすぐに一万三千もの兵をすぐに移動させているイメージですが、  その移動にも秀吉の計算された策略があったようで、光秀が向かった時点では  信長が襲われた後で、時すでに遅しのイメージで本能寺自体も燃えつきている イメージです。  (本能寺を燃やしたのは、証拠隠滅と時間稼ぎのイメージです。)  光秀が本能寺に着いて、その情報を調べて得た結果が、信長とその家臣は最後まで戦ったが  敵の兵の数には到底かなわず、自分の最後を悟って自害したという情報であったような  イメージです。  (光秀と弥助は本能寺では出会っていないイメージで、行き違っているようです。)  そこで意気消沈した光秀に伝えれられた情報が、信長の親族が襲われている  という情報ではなかったと思います。  その情報を元に信長の親族を救済しようと、光秀は親族の居るとされる場所に  向かっているイメージです。  信長の親族を襲ったのは実は高松城には行かなかった、秀吉の軍の一部では  なかったのかと思います。  秀吉軍は何らかの理由をつけて、城に入り、明智光秀の軍である事を名乗り  そのまま無防備の状態の信長の親族を襲ったのではないかと思います。  (自害されている方もいるイメージです。)  そこへ、本能寺で時間をかなり費やしてしまった光秀軍が付いた時には  時すでに遅しで、光秀に親族襲撃の濡れ衣もきせられ、  秀吉の特殊部隊によって、信長の兄弟の城を襲ったのは光秀の反逆と  嘘の情報を世間や信長関連の家臣の方々に伝えられたのではないかと思います。  当時の下克上と言われた世界では想像の付かない鉄砲よりもはるかに  強力な、情報操作が作戦として完璧に使われていたイメージが強く  感じられます。  (忍者が当時いたのかは私にはわかりませんが、凄く頭脳明晰な集団が   実在していたのではないかと思います。)  これが私の霊視的なイメージで見てみた本能寺の変のイメージです。  そんなのは在り得ないと言われる方が多々おられると思いますが  私は歴史には全く詳しくなく、あくまでも本当に信憑性はありませんが  少し違った視点から楽しんでいただけましたら幸いです。 ブログランキング参加中(たくさんの方々に見てもらいたいです) ここをクリックしてくださいね にほんブログ村 ブログ村 スピリチュアル・精神世界              

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