超スピリチュアル体験記 | 実話体験談

2009/10/30(金)10:06

3、明知光秀は天海?の真相を霊視(その3) 奇跡への階段 明智光秀の最後?

明知光秀は天海大僧正?を霊視(10)

明智光秀 対 秀吉の山崎の戦いでは、双方何万という兵を出して時の智将と名高い 両雄が戦力に差があるとはいえ世紀の大決戦です。 そんな歴史的な武将の戦いがたかだか2時間で決着が着くなんて、誰が予測が 出来たでしょうか? 歴史的な内容からすると、光秀は山崎の戦いで秀吉の軍に圧倒されて勝竜寺城に 立て籠もり、秀吉連合軍3万人に完全包囲されました。 しかし不思議なことに光秀は、夜陰にまぎれて深夜、城外への脱出に成功しました。 まことに不可解ですが成功したらしいのです。 これって、どういうことなんでしょうか? 光秀が逃げ込んだ勝竜寺城という城を3万人もの兵に包囲されて、 夜陰にまぎれて光秀は脱出に成功したと言うのです。 そんな事って物理的に可能なのでしょうか? 今で言ったらカッパーフィールドのマジックのようですよね(汗) そして間もなく秀吉の元に、光秀がいつの間にか脱出して逃亡したと言う知らせが 伝わり、秀吉は一言、「光秀を・・・追うではない・・・。」と言って家臣団を 驚かせたと言うのです。 これもいったい秀吉は何を考えてそう言ったのでしょうか? 山崎の戦いでは秀吉は何万人もの兵を自分が将として指揮し、織田信長の仇討的な本能寺の 変の騒動を納めるための戦いだったのではないでしょうか? 当時の戦国の世は、自分の殿様である織田信長の謀反者を取り囲むまで行って、 当人が逃げたから首も切らずに逃がすということは、許される事なのでしょうか? 山崎の戦いの織田家代表のそのほかの将方より、秀吉の責任の追及にならないの でしょうか? (私は歴史の事に詳しくはないですが、秀吉の行為は切腹ものの話なのではないかと  勝手に考えてしまいます。) そして、せっかく脱出に成功した光秀でしたが、間もなく逃亡途中の京都伏見の竹藪で 落ち武者狩りの土民の餌食となり殺されてしまいます。小栗栖の明智藪といって今でも その場所は寂しげな竹藪に石碑が残っているそうです。 これらの部分が意図的に秀吉が歴史的に一目置かれるために作られた話ではないかと 霊視的なイメージを通じて私はそう考えます。 秀吉のイメージは気が小さくてとてもズル賢い頭のいい方というイメージです。 光秀を謀反を犯した裏切り者の武将とし、そして自分とは比べ物にならないほどの 小さい武将として伝記に残そうとしているイメージです。 光秀は秀吉よりも位は上だったと思います。 (手柄の数が多い秀吉にとっては、妬みのイメージもあります。) 秀吉はそんな自分よりも位の高い位置に居る光秀を、歴史的に謀反を犯して天下を 取ろうとして失敗した武将に当たらない裏切り者としているようです。 そして、そんなどうしようもない裏切り者でも、逃がせる懐の広さ。 「光秀なんて、私の手のひらでどうにでも出来るほどのうつけ者よ。」的なイメージで 後から話を勝手に作っているイメージです。 そしてあろうことか光秀の武士としての最後を、武士でもない農民に竹やりで殺された などと、本当に情けないばかりの感情論的な終わり方を、自分の都合だけで勝手に 作り上げているものであると、霊視的なイメージでそう思います。 (最後は秀吉との一騎打ちでギリギリ秀吉が勝って、光秀は本能寺の変では間が差したが  あっぱれな武将だった位の歴史を残してくれたなら、秀吉をもっと尊敬する所だと  ゴルさんは勝手に思います。) では、光秀の霊視的な最後はどうだったのでしょうか? 光秀は、やはり戦う気持ちがなかったようです。 すべてを天の意向に任せて、全責任は自分にあると自害しているイメージです。 光秀直属の家来が光秀の首を持って、山崎の戦いが始まる3時間ほど前に秀吉に対して 降伏しているイメージですが、その家来の者をうそつき的なイメージで斬ってしまった ようです。 明智軍はそれでも戦っているイメージですが、総大将の姿もなく統率力もない状態で 鉄砲隊なども戦術に欠け、兵の数も圧倒的で、内部かく乱などもあり、まともに 戦う術もなかったイメージです。 そのため、2時間という短時間で方々に散らばったりして、戦いにならなかったの ではないかとイメージは伝えてきます。 もちろん、城に逃げた兵はいた事は確かですが、秀吉の性格的なイメージではアリの子 一匹逃さないイメージです。 あくまでも信憑性がない私のフィクション的霊視では、光秀は信長や自分の家臣を 守ろうと、自らの命を持って自害している事が伝わって来ます。 そして、秀吉の事を武将として尊敬もしていましたが、降伏と言う武士の温情を持って 命を守ろうとした自分の首を持って行った家臣が、何の温情もなく斬られる様に 成仏できずに激高しているイメージです。 光秀のイメージは 「仮にも我が将、信長の家臣。 光秀そして秀吉の直属の家臣なるぞ。  謀反を犯したおん責任は我にあり、降伏したおん家臣を温厚もなく斬りつけるとは何事ぞ。  武士としての慰み者にもならぬやつ」 と伝えてきます。(慰み者とは一時の慰みにもてあそばれる者という意味だそうです) 一時は、天は秀吉にその意向を示したと自分の身を委ねれば、自分の損得のために 将の首を差し出す信長の家臣は自分の家臣でもある者を、何の温情もなく斬りつけるとは 光秀、武士としての生涯を捧げようとした甲斐もないやつと、怒りのエネルギーに代わって いるイメージです。 そして、これが天海伝説に繋がって行くイメージです。 ブログランキング参加中(応援して下さる方はクリックしてくださいね) ここをクリックしてくださいね にほんブログ村 ブログ村 スピリチュアル・精神世界

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