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カテゴリ:洋書
全世界で総数二億八千万部の売り上げを誇るベストセラー作家の作品。本書も、米国で最も権威があるとされるニューヨークタイムズ紙でナンバー1ベストセラーに輝いた。 粗筋: ロバート・ベラミーは、愛する妻と離婚して落ち込んでいる腕利きの諜報員。そんな彼に、奇妙な指令が出される。 気象観測用の気球がスイスで墜落した。墜落地点に居合わせた民間人が10人いるのが判明している。ただ、その身元が分からない。ヒラード大将は、ベラミーに対し、その10人の目撃者の身元を突き止めろと命じた。 ヒラード大将は、条件をつける。ベラミーは、本人が持っている協力者のネットワークを利用しないで、単独で突き止めろ、と。 ベラミーは、指令の内容を不可解に思いながらも、目撃者の身元を次々突き止めるのに成功した。 また、目撃者が目撃したのは気球の墜落現場ではなく、UFOの墜落現場であったのを知る。 ベラミーがこのことをヒラード大将に付き付けると、ヒラードはUFOの墜落についてあっさりと認める。目撃者がパニックに陥って公表すると危険が及ぶ可能性があるので、保護するのだと。 ベラミーはその言い訳を受け入れ、全ての目撃者を突き止めるのに成功した。 しかし、ヒラード大将は目撃者を保護する気など毛頭なく、始末していた。用済みになったベラミーも、始末の対象にした。 追う立場から追われる立場になったベラミーは、欧州内を駆け回る羽目になる……。 解説: 料理のしようによっては非常に面白い小説になっていただろうに、シェルダンはアイデアを活かし切れなかった感じがする。 そもそも、小説の設定が設定の為だけの設定のように感じる。UFOの墜落現場に目撃者が10人いたので探し出せ、ということだったが、どうやって10人いると分かったのか。人数が分かっていたにも拘わらず、身元が全く掴めなかった、というのはおかしい。 組織が10人を殺害したのも、「人類をパニックに陥れる恐れがあるから」という理由からだった。オーソン・ウェルズの「宇宙戦争」放送でのパニックを例にあげるが、50年前を現在に当てはめる連中の心理が理解し難いし、事態が「解決」するまでベラミーに話していた通り目撃者を「保護」することがなぜ不可能だったのかも、説明されていない。 主人公のベラミーも物足りない。妻と離婚したことをいつまでも悔やんでいる。悔やむのは結構だが、諜報員だろうが。クヨクヨするな、て感じである。妻との回想シーンの半分はカットできるだろう。主人公を「妻との離婚に悩むキャラクター」とすることで「人間を描いた」つもりだろうが、安っぽ過ぎる。 シェルダンは女性(というか、女性向けの小説)を書かせると右に出る者はいないらしいが、男性(そして男性向け小説)を書くのが不得意のようだ。 ベラミーは優秀な諜報員という設定だが、そうとは思えない。気球と教えられていたのが実はUFOだった、と知った段階で何かおかしいと気付くべきなのに、疑いもせずにただ任務を続ける。しかも自分が見付けた目撃者がどうなったか、とフォローしないのである。自分が見付けた目撃者が殺されている、と気付くのは全員を見付けて、殺された後なのだ。 ベラミーは、作中でも「諜報の世界では偶然など存在しない。不可解なことがあったらそれは必ず危険を意味する」と教えられているのに、教訓を無視する。目撃者の一人が火災で死んだのを知るのだが、その時も「ああ、必要な情報が得られない。任務が壁に当たったな」と悔しがるだけで、おかしいと思わないのである。 彼が作中で示されている通り優秀であれば、この任務はどうもおかしい、裏があるのでは、と途中で疑い、10人の目撃者の数人は死なないで済んだだろう。 ベラミーは、追われる立場になった時点で、世界中の諜報機関がこの陰謀に加わっていることを知る。つまり、誰にも頼れないのだ。にも拘わらず、以前頼った中国の諜報員の元に転がり込む。そして当たり前のように裏切られ、重傷を負ってしまう。こんな馬鹿にも拘わらず、敵側まで「ベラミーは優秀な男だ」と絶賛するのである。敵側も結局大したことなかったようだ。 本作品にはエイリアンが出てくる。地球を侵略するという。その理由は、地球を汚染しているからだ。地球を汚染する環境破壊をやめろ、が突き付けた要求である。 自分はスタートレックを見ているので、この手のエイリアンは馬鹿としか思えない。 スタートレックでは、地球が主体となった銀河連邦は、文明が一定の水準を満たしていない惑星に関しては不干渉、の精神を貫いている。無闇に干渉すると、たとえそれが善意のつもりでも、結果的に双方に不利益になる可能性が高い、という経験があるからだ。例えその文明が滅んでも、それはその文明の運命だ、と割り切るのである(表に出ない形で手を貸す、ということはあるようだが)。 簡単に言えば、本作のエイリアンは、スタートレックで描かれる将来の地球人よりお節介かきで、経験不足で、知能が劣ることになってしまう。シェルダンは、エイリアンなどSFが不得意であることを自分から認めてしまったようなものである。 本作品は、最後になってバタバタと終幕へなだれ込む。ベラミーは妻を取り戻し、「環境は大事にしないとね」と言って終わるのだ。 こんな月並み(見方によっては幼稚な)の小説が、なぜナンバー1ベストセラーに輝いたのか理解し難いし、この作家が2億8000万部も売りまくっていることも信じ難い。ニューヨークタイムズのベストセラーリストに載ることは大したことない、ということか。 シェルダンは、日本で言えば赤川次郎か西川京太郎か内田康夫みたいな存在だろう。 固定ファンがいて、作品の良し悪しに関係なく新作を買っていく。 一種の宗教だ。 宗教心のない自分には理解し難い作家であり、作品である。 関連商品: お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.25 19:34:18
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