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カテゴリ:邦書
ハードボイルド作家桑原譲太郎によるバイオレンスアクション小説。 「日本」シリーズの第1作。 粗筋: 伝説のテロリスト・ゴーストが、師と仰ぐ元大物テロリストに呼び出される。元大物テロリストは、不治の病を患っていた。死ぬ前に世界をもう一度混乱に陥れたいが、最早自身が動き回る事は出来なかった。そこで、愛弟子に資金を与え、好きな場所で、好きな様にテロを行え、と言う。 ゴーストは、世界各地からテロリストを集め、テロリスト軍団を結成。標的を日本に定め、日本へと向かう。 各国の諜報部は、この動きを早々とキャッチ。しかし、テロリスト軍団を拘束するまでには至らず、日本当局にテロリスト軍団が向かっている事だけを伝え、丸投げする。 平和ボケしている日本政府は、テロリスト軍団が何故日本に向かっているのか、理解出来ないし、理解しようともしない。偽情報ではないかと。 が、危機感を抱いた警察幹部の一部は、アメリカの特殊部隊デルタフォースで訓練を受けていた小山田を呼び戻し、対応に当たらせる。 小山田は、対テロ部隊を結成し、テロリスト軍団を迎え撃つ事に。 テロリスト軍団は、予想以上に早く日本に上陸する。 小山田は、上陸の情報をキャッチすると、直ちに現場へ向かう。 目撃者の証言で、テロリスト軍団が福井県の敦賀原発を標的にしている、という情報を掴んだ小山田は、福井県警の応援を仰ぎ、包囲網を敷く。 しかし、これはテロリスト軍団が仕掛けた罠だった。 テロリスト軍団は小山田率いる対テロ舞台に大打撃を与え、逃走する。 解説: 日本という国がいかに危機管理の意識に欠けているかを訴える為の小説らしいが……。 結局、お人好し対テロ部隊と、馬鹿正直テロリスト軍団の、低レベルな化かし合いを披露しているだけの感じ。 アクション物を書きたいなら、それに集中すればいいのに、著者は本書を日本政府がいかに汚職に塗れていて、危機管理が出来ていないかを訴える媒体にしてしまっている。 そうした訴えも、皮肉をこめてさらりと述べればいいのに、怒りをこめてというか、ムキになって何度も何度もくどく述べるので、読む側からすればウンザリしてしまう。 著者は、日本政府の腐敗振りを、国民が知らなかった衝撃の事実であるかの様に取り上げているが、本書で取り上げられている程度の腐敗は、ニュースに頻繁に触れている者なら誰でも知っている。「聡明な著者が無知なお前ら(読者)に知恵を授けてやろう」みたいな口振りで説教されても困るのである。 そんなに日本政府の腐敗振りを訴えたいなら、小説で架空の腐敗なんて書いてないで、ジャーナリストに転じ、政治家や官僚らの実際の腐敗を炙り出して、世間に訴えた方が、余程も世の中の為になるだろうに、と思ってしまう。 本格的なテロへの備えが出来ていない日本警察は、アメリカの特殊部隊デルタフォースで訓練を受けていた小山田を招集し、対テロ作戦に当たらせる。 小山田は、デルタフォースでは凄腕として名を馳せている、という設定になっている。 が、本作を読む限りでは、ただの見掛け倒し。 要するに、訓練では優秀な成績を叩き出せるが、いざ現場に出るとまるで使い物にならない、といった奴なのである。 本人がそれを理解しているならまだマシだが(実戦経験はまだ浅い)、どういう訳が自分は優秀だと信じて疑っていない。彼を味方する者が、「こいつはデルタフォース帰りの猛者だ。大活躍してくれるに違いない」と信じてしまっているのも、始末が悪い。彼の能力に疑問を持つ者も何人か現れるが、「無能な、危機意識の無い、低レベルな官僚」として描かれ、排除されていく。 デルタフォースの訓練を受けた者として、戦闘能力は凄いのかも知れないが、どこにいるか分からないテロリストを探し出す、という捜査能力はまるで無い。 ゴーストを何度が目撃し、その度に何となく怪しいと思うものの、結局逃し、事態が急変してから「やはりあいつだったか!」とのたうつ。 ここまで勘の無い者が、そもそも何故警察官になれたのかね、と呆れてしまう。 ――テロリストが上陸した、目撃者がいた、その目撃者は「敦賀」と相手が喋っているのを聞いた……。 冷静に考えれば、冷酷非道のテロリストが、目撃者を生かして残す訳が無いし、その目撃者に自身の行動を告げる訳が無い。 罠かも知れない、と思うのが普通だが、小山田はこの目撃者の証言を疑う事無く鵜呑みにして、敦賀へと向かう。 他人を無能だの、危機意識に欠けるだの散々馬鹿にしておきながら、あまりにもお人好し過ぎないか。 結局、本作ではゴーストを取り逃す。それどころか、ゴーストを主役としたシリーズへと発展するので、小山田はいつまでもゴーストを取り逃がす、という運命になるらしい。 ゴーストも、冷酷非道の、伝説のテロリスト、と述べられてはいるものの、こちらも見掛け倒し。 彼くらいのレベルの国際的テロリストになったら、最早個々の国々の政治体制に不満を抱く事は無いだろうと思ってしまう。が、ゴーストは何故か日本の政治家や官僚制度の腐敗振りに物凄い憤りを感じていて、それを正さなければ、という幼稚な理念を抱いている。 何故ここまで日本へのこだわりを持つのか、本書では明らかにされない(日本人らしいが)。 冷酷非道な筈なのに、上陸の際の目撃者は殺さない。代わりに「敦賀」と告げ、警察に証言させる。 ――目撃者を殺さず生かしたのは、警察への陽動作戦の一環だった。警察の目を敦賀に向かわせ、実際には全く別の場所を襲撃するのだ! ……と思いきや、北陸への上陸が思いの他早めに済んだので、観光にでも、と言わんばかりに北陸でモタモタし、あろう事か敦賀に向かう。 「敦賀」は警察への罠ではなく、予定そのもので、それに沿って馬鹿正直に動き、自身を無駄に危険に晒す。 馬鹿正直にも程がある。 本作は、冒頭は欧州が舞台。イギリス・フランス・アメリカの対テロ当局の者が続々と登場し、世界を股に掛ける国際アクション小説の様相を見せる。 が、ゴーストが「標的は日本」と定めた時点で、国際的な要素は排除され、日本が舞台になり、一気にスケールダウンする。 映画は、製作するとなると予算が限られるので、下手に国際アクションにしてまうと、チープさが滲み出るだけになる。したがって、国内を舞台とせざるを得ない。 一方、小説は、そうした制限は無い筈。 何故著者は、わざわざスケールダウンしたのか。 スケールダウンしてまで、「日本政府の腐敗振り」を訴えたかったのか。 上述した様に、それだったら小説家ではなく、ジャーナリストになっていればよかったのに、と思う。 本作は、小渕首相や藤原紀香等の日本人著名人(名前は若干変えてある)や、アラン・ドロンやカトリーヌ・ドヌーブ等の海外の著名人(名前は変えていない)が登場。 日本人著名人の登場のさせ方は、本作が発表された当時の世相を皮肉って描いた、と言える。が、外国人著名人の登場のさせ方は、そういった意図は読み取れず、訴えられないかと心配になってしまう。許可を得て登場させたとは思えないし。 著者は、2010年に病没している。 現在の日本を観て、どう思うか。 ますます怒りを感じていただろう。
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Last updated
2015.08.27 00:06:44
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