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非常に適当な本と映画のページ

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2015.10.17
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カテゴリ:邦画

思い出のマーニー
(C) 2014 GNDHDDTK
映画「思い出のマーニー
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 米林宏昌監督によるスタジオジブリの長編アニメ。
 原作は、ジョーン・G・ロビンソンによる児童文学。
 原作はイギリスが舞台で、登場人物も当然ながらイギリス人だが、本作では舞台は北海道に変更され、登場人物も日本人に改変されている(主人公アンナは漢字で「杏奈」になっている)。マーニーだけは原作と同じく金髪で青い目の白人少女として描かれている。
 ジブリの両雄とされる宮崎駿・高畑勲監督は、本作に一切関わっていない。
 ジブリの次世代を担うと期待された米林監督だが、本作公開後に退社している。


粗筋

 杏奈は、唯一の肉親だった祖母を幼少期に失い、里親に育てられていた。実の親に捨てられた、という思いからか、他人を受け入れず、内向的な性格になっていた。喘息の療養の為、札幌から、里親の親戚がいる海辺の町へ行く事になる。
 町を巡っていると、古い屋敷を見付ける。それについて周囲に話すと、あれは幽霊屋敷だと言われる。これまで何度も所有者が変わっていて、現在は空き家だと。
 杏奈は屋敷に近付く。空き家の筈なのに、誰かが住んでいるように見えた。そして、屋敷に住むという不思議な少女マーニーと出会い、親友となる。杏奈は、屋敷で催されたパーティーにも参加する。その時は屋敷は空き家にも廃屋にも見えなかったが、翌日訪れるとやはり空き家の廃屋にしか見えない。
 パーティーの後、マーニーは姿を見せなくなり、屋敷には新たな住民が引っ越して来る。
 杏奈は、マーニーを自身の空想が作り上げた存在だったと思うようになる。が、屋敷に引っ越してきた少女彩香から、彼女が見付けたというマーニーの日記を見せられる。
 杏奈は、マーニーが実在するのか、実在しないのか、空想の産物なのか、屋敷は空き家なのかそうでないのかが分からなくなってくる。
 杏奈は再びマーニーと出会い、互いの悩みを打ち明けあう。
 マーニーが海辺の高台にあるサイロを恐れている事を知ると、それを克服する為に2人でサイロに向かう。嵐の中で、杏奈はサイロに置き去りにされてしまう。杏奈は怒り、悲しむが、マーニーから別れを告げられ許しを求められると、マーニーを許す。
 杏奈は、マーニーの友人だったという老婦人と出会う。老婦人の話から、マーニーの生涯を知る。マーニーは屋敷で、親に見捨てられた形で育ち、やがて結婚して娘を生むが、夫にも娘にも先立たれてしまう。残されたのは娘の子、つまり自身の孫だった。マーニーは孫を懸命に育てるが、心労がたたって亡くなってしまう。孫は里子に出される。
 その里子こそが、杏奈だった。
 杏奈は、当の昔に亡くなっていた自身の祖母と交流していたのだった。



感想

 様々な悩みを抱えていた少女杏奈が、謎の少女マーニーと出会う事で、自身の生い立ちを知り、悩みから解放される。
 ……という、まとめてしまうと単純なお話。
 ただ、変にミステリー仕立てにしたり、ファンタジー仕立てにしたり、「人間を描く」等の要素を加えたりしているので、複雑なストーリーになってしまっている。
 複雑にした事でストーリーにより深みが出て、面白い作品に仕上がっているのかというと、そうではないのが残念な所。

 謎の少女マーニーは、実は杏奈の祖母の若い頃の姿でした、という真相は、流れで何となく分かっていく。したがって、ラストでそれが明確に告げられても、「やはりね」といった感じで、驚きに値しない。寧ろ「実は杏奈とマーニーには何の繋がりもありませんでした」というラストになっていた方が衝撃的だっただろう。
 杏奈の里親の親類が、アンナの祖母が育った家の側に住まいを構えていた、という偶然も出来過ぎ。
 ミステリー仕立てになってはいるものの、ミステリーの部分が弱過ぎて、鑑賞者の予想を上回るどんでん返しは無い。

 杏奈が、他人には幽霊とも捉えられるマーニーと友人関係を築いていくというファンタジーも、最初は興味深いが、後半になってマーニーは何者なのかという中途半端なミステリーに軸足が傾くと、くどく感じる様になる。観ている方は真相にはうすうす気付いてしまうので、もったいぶってないでストーリーをさっさとそれに持ち込め、と思ってしまう。

 最大の問題は、「人間を描き過ぎている」事。
「人間を描く」事は、ストーリーに深みを持たせる為には不可欠とされる。
 紙人形の如く薄っぺらなキャラでは、作品全体が印象に残らない代物になってしまうのは事実。
 では、とにかく描き捲くればいいのか、というとそうでもない。
 人間を描く、という事は、登場人物の欠点を詳細に描く事に繋がる(欠点が一つも無い「良い人」だと、いくら詳細に描いてもリアリティに乏しくなる)。結果的に、自己中心的な、共感に値しない登場人物を作り上げてしまう事になる。
 本作の主人公杏奈は、親を亡くし、里子に出されている。里親とは血の繋がりは無い。それを悩みにしていて、心労からか病気になりがち。そんな事から他人の親切を素直に受け入れる事が出来ないどころか、拒絶する。
 現実の世界では、そういう人間がいるのは分かる。というか、大抵の人間は多かれ少なかれそうである。が、スクリーンで、他人の親切を散々拒絶しておきながら「自分は誰にも愛されていない不幸な人間」みたいな顔をしているキャラを見せ付けられても、共感し難い。

 杏奈は、他人をひたすら拒絶するのに、何故かマーニーという謎の少女は自ら進んで接触しようとする。
 では、そのマーニーは物凄く素敵なキャラなのかというと、そうでもなく、寧ろ意地悪で、自己中心的で、杏奈を困らせる。マーニーも、杏奈と同様、不幸な生い立ちなので、性格が曲がってしまうのは止むを得ない、と観ている側は納得出来る。が、同情には値しない。
 本作は、結局杏奈とマーニーという、共感に値しないキャラ同士の交流(正確には傷の舐め合い)を描く羽目になってしまっている。
 共感出来ないので、2人に様々な事が起こっても何も感じない。杏奈が最終的に悩みから解放されて、人生を前向きに生きるようになる、という結末を見せられても、心が温まるどころか、「その前向きな姿勢はいつまで持続するのかね」と疑問の目で見てしまう。

 杏奈は、彼女に親切に接しようとする垢抜けない少女信子は強硬に拒絶するが(「太っちょ豚」と呼んでしまう)、ちょっと意地悪な美少女マーニーは拒絶しない。
 結局見た目かよ、と呆れてしまい、ますます好感度が下がる。
 人間的には、信子の方が何倍もまともに映る(「太っちょ豚」と呼ばれても特に腹を立てず、その場を収めようとする)。杏奈より1歳年上というのが信じられない落ち着き振り。容貌は、製作者の意図からか、不細工だが(杏奈とマーニー以外はほぼ全員が不細工というか、垢抜けない田舎者として描かれている)。

 杏奈とマーニーは、好感度が下がる程人間が詳細に描かれているのに、他の登場人物は雑魚扱い。キャラクターデザインで辛うじて区別出来る程度。
 重要キャラである筈の杏奈の母親(マーニーの娘)や父親は、ラスト辺りでほんの少し登場し、軽く触れられるだけで、存在がとにかく薄い。

 製作者は、何故ここまで素直でないキャラを主人公にする事にしたというか、主人公をそう描く事にこだわったのか。

 ジブリらしく、絵は綺麗だが、これまでの同スタジオ作を上回るクオリティではない。
 3DのCGアニメが一般的になってしまっている現在では、二世代も三世代も前の代物に見えてしまう。

 一度は観てみたものの、また観たいとは思えない。
 最近のジブリ作品全てに当てはまるが。


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Last updated  2015.10.27 12:36:05
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