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非常に適当な本と映画のページ

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2019.04.26
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カテゴリ:洋画

 DCコミックスのスーパーヒーロー・シャザムの実写映画。
『DCエクステンデッド・ユニバース』の7作目。
 変身後のシャザムを演じるのはザッカリー・リーヴァイ。


粗筋

 1974年。
 兄と共に父親が運転する車に乗っていたサデウス・シヴァナは、突如謎の神殿に召喚される。
 神殿に住む魔術師シャザムから、俺の後継者となれ、と命じられるが、神殿に封印されていた七つの大罪の魔物の誘惑に負けそうになる。
 純粋な心を持っていないので、勇者となる資格が無いと魔術師シャザムから宣告され、現実世界に引き戻される。
 車中に戻ったサデウスは、自分の体験を兄と父親に話すが、当然ながら取合ってもらえず、兄と大喧嘩する羽目に。それに気を取られた父親が運転を誤り、交通事故に遭ってしまう。
 兄に「お前のせいだ」と罵られたサデウスは、玩具の占いボールに浮かび上がった「我らを見付けろ」というメッセージを目にする。

 現代。
 幼い頃に母親と離れ離れになり、孤児となっていたビリー・バットソン(アッシャー・エンジェル)は、新たな里親が運営するグループホームに入居する。そこには足が不自由なフレディ、抱き付き癖のあるダーラ、大学進学を控えたメアリー、ゲーマーのユージーン、無口なペドロという少年少女も住んでいた。実の母親に会いたい一心で家出を繰り返すビリーは、ここでもまた馴染めずにいた。

 壮年となったサデウス(マーク・ストロング)は、父の経営する会社の研究所を使い、かつての自分と同じく魔術師シャザムに召喚された人々についての研究に執着していた。
 研究の結果、神殿に行く方法を漸く発見したサデウスは再び神殿へ行き、魔物達の力の源である魔法の目を封印から解き放ち、魔物らの力を得る。
 老いたシャザムは、勇者となる素質を持った人間を探し続けた。

 フレディ達と学校に通い始めたビリーは、フレディが虐めっ子らに暴行される現場に出くわす。最初は無視していたビリーだったが、虐めっ子らが「お前に母親はいない」とフレディを罵ったのを聞いて激怒し、虐めっ子らに殴り掛かる。
 虐めっ子らから逃れ、地下鉄に乗ったビリーは、突然神殿に召喚される。
 魔術師シャザムは、ビリーに対し俺の後を継げと一方的に切り出し、勇者シャザムへの変身能力を与える。勇者に変身したビリーを見届けた魔術師シャザムは、安心し切って消滅した。
 勇者シャザムの変身が解けないまま現実世界へ戻ったビリーは、ヒーローオタクであるフレディに助力を求める。色々試した結果、「シャザム!」と唱えるだけで元の姿に戻る事を知る。
 自在に勇者シャザムに変身出来ると知った2人は、動画共有サイトへアップロードしたり、悪人を退治したりする等、シャザムの能力を楽しみ始める。

 一方、魔物の力を得たサデウスは、父の会社の役員会議を強襲し、積年の恨みを抱き続けていた父や兄らを殺害。
 その直後、「新たな勇者が生まれた」という魔物の言葉を聞き、その力を得る為、シャザムを探し始める。

 シャザムの力を楽しんでいたビリーとフレディだったが、フレディは虐めっ子らに「スーパーヒーローは自分の親友だ。明日会わせてやる」と宣言してしまう。
 学校では目立つ行動は控えるべきだと考えるビリーと、虐めっ子らをとにかく見返したいフレディの間ですれ違いが生じ、喧嘩別れになる。
 見物客らに超能力を披露する事で小銭を稼いでいたビリーは、誤ってバスを事故に巻き込んでしまう。バスの乗客らを救出したが、駆け付けたフレディとまたも言い争いになる。
 そこに、サデウスが現れる。
 ビリーは、超能力を持っている自分なら、訳の分からないオッサンくらい問題無く倒せると思っていたが、サデウスは魔物の力を完全に扱える状況にあった。
 まだ自身の能力を完全に理解していないビリーは、サデウスに圧倒されてしまう。変身解除のどさくさに紛れ、何とか危機を脱する。

 グループホームに戻ったビリーに対し、メアリー達が「ビリーの母親を見付けた」と告げる。
 ビリーはこれまで自分と同じ苗字の女性を虱潰しに訪れていたものの、母親には出会えなかった。それもその筈、母親は旧姓に戻していたのだ。
 ビリーは、情報を基に、急いで母親の元へ向かい、念願の再会を果たす。しかし、母親は既に再婚しており、またビリーと離れ離れになったのも、ビリーを育てる自身が無いから、という理由によるもので、息子との10数年振りの再会を全く歓迎していなかった。
 実の母親と再会さえすれば本当の家族を得られると信じて疑っていなかったビリーは、現実を突き付けられ、落ち込む。
 その時、フレディのスマートフォンを使ったサデウスから、「戻って来い」との電話が。
 シャザムに変身し、ホームに戻ったビリーを、魔物でフレディらを監禁したサデウスが出迎える。
 サデウスの脅迫に屈し、ビリーは彼と共に神殿へ向かう。
 サデウスと魔物に取り囲まれるビリーだが、フレディらの助けで神殿を脱し、現実世界へと戻る。
 クリスマスのイベントが行われている遊園地に逃げ込んだビリーらを、サデウスと魔物が襲う。
 またもフレディ達が人質に取られてしまった。
 サデウスは、シャザムの力を自分に寄越せ、と要求。
 要求を呑まざるを得なくなったビリーだったが、魔術師シャザムの言葉を思い出す。フレディらにシャザムの杖を持たせ「シャザム!」と叫ばせると、フレディらもスーパーヒーローへと変身した。
 力を合わせてサデウスを撃退し、魔物を封印したビリーらは、神殿を自分らの隠れ家にする事にした。
 血で繋がっていても絆がある訳ではないし、血が繋がっていなくても絆は築けると思い知ったビリーは、ホームでの生活を受け入れ、フレディらと家族になる事を決意する。



感想

 これまでのDCエクステンデッド・ユニバース作品は、ダーク、もしくはシリアスなものばかりで、ユーモアとは掛け離れたものしかなかったが、本作はユーモアがたっぷりで、軽い気分で観られるものに仕上がっている。
 これはこれで悪くないが、これまでの作風とはかなり異なるので、戸惑う者も多いかも。
 全体的なノリは、1980年代のテレビや映画を彷彿させ、そういうものを観てきた者からすれば、「そもそもスーパーヒーローという荒唐無稽なストーリーなのだから、寧ろこのくらいのノリで丁度いいのではないか」という事になるのだろう。

 全体的には、普通の高校生が、いきなりスーパーヒーローの力を手に入れ、それをどう受け入れ、どう使うかを学んでいく、というストーリー。
 何の説明も無く手に入れてしまう(というか押し付けられる)ので、自分がどういった能力を持っているのかさっぱり分からず、色々試しながら発見していく、というのがミソ。
 本作は、シャザムというキャラを初めて映画として実写化したもの。スーパーマンやバットマンと比較して馴染みが無いので、この新キャラを説明するのに終始している感じ。
 サデウスという敵こそ登場するものの、これといった活躍はしないで終わる。

 ストーリーを細かく検証すると、おかしいというか、ご都合主義的な部分が多い。

 魔術師シャザムは、自分の後を継げる者を探し求めていた、という事になっているが、その探し方があまりにも雑。
 子供を現実世界からいきなり呼び寄せては、特に説明もせず自分の後を継げと命じ、魔物の誘惑に負けそうだと知ると「お前は俺の後を継ぐには相応しくない」と勝手に決め付け、現実世界に返す、の繰り返し。
 何故きちんと説明しないのか。
 きちんと説明していれば、サデウスも最初に訪れた際、受け入れていたかも知れないのに。
 一方で、ビリーを呼び寄せた時は、詳しく説明している(それも完ぺきではないので、超能力を得たビリーは結局苦労するが)。何故跡継ぎになるには素行が良くないビリーの時に限って手間を掛けたのか。
 呼び寄せる子供らをどういう基準で選んでいたのかも、結局分からない。

 登場人物らも、設定の年齢より幼稚な者が多く、共感し難いのが多い。

 フレディは、自身を虐めている連中を見返す為に、スーパーヒーローの姿で学校に来い、とビリーに頼み込む。それが拒否されると喧嘩別れ。
 小学生なら理解出来るが、14歳というから、アメリカなら高校生。
 虐められてどうのこうのとか、スーパーヒーローの友達である事実が明らかになれば学校の連中を見返せる、という年齢ではなかろう。

 虐めを繰り返す二人の男子の言動も、よく分からない。自動車を運転しているので、最低でも16歳(アメリカでは16歳で運転免許を取得出来る)の筈だが、虐め方が幼稚で、これもまた小学生の様。
 また、この二人は、後の遊園地のシーンで、二人でつるんでいるのが明らかにされる。こいつらは同性愛者という設定なのか、と疑ってしまう。

 敵役のサデウスも、強面の割には、行動が幼稚。
 子供の頃に見た幻想を事実だと信じ(実際には事実だったが)、それを中年になっても追い求めるというのは、幼稚以外何でもない。
 魔物の力を入れた後、仲の良くない父親や兄を殺すというのも、よくよく考えてみれば幼稚。物凄い超能力を手に入れながら、やるのは結局その程度かよ、と思ってしまう。
 それだったら、魔物の力なんか手に入れる事に執着するより、自動小銃でも購入して乱射し、父親や兄を抹殺する方がより現実的で、手っ取り早かっただろうに。
 もし魔物の力を手に入れられなかったら、老人になるまで父親や兄に対し劣等感を抱き、恨み続けていたのだろうか。

 冒頭のシーンは1974年が舞台、となっている。
 ただ、シヴァナ一家が乗っていたキャデラックは、1970年代後半から1980年代初期のモデルだった。
 5年くらいずれている。
 この頃のアメリカ車は大体似てるし、100%正確でなくても物語には影響しない、という意見があったのかも知れないが……。
 何十億も掛けて製作している映画なのに、こうしたディテールの詰めの甘さは納得し難い。
 少なくともジェームス・キャメロンだったら許さないだろう。

 今後の展開も気になる。
 子役を多く使っているので。
 子役は当然ながら成長が早いので、あっと言う間に子役でなくなってしまう。
 そうなったら、「見た目は大人、中身は子供」というキャッチコピーは使えない。
 といって、別の子役をあてがう訳にはいかないだろうから、今後制作されるDCエクステンデッド・ユニバースでは、どういう扱いになるのか。








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Last updated  2023.04.23 15:25:59
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