相互リンクをいただいているふぃるこさんのサイトで、興味深い記事があったので、
こっそりと便乗を…w
美少女ゲームはゲームなのか?という記事です。
と、その前に、なぜだか、色々と公表していなかった部分に着手をしておかねば。
ゲームとHRSの関係について…。
いわゆる家庭用ゲーム機の代表格となり、その時代を引っ張っていっていた、
任天堂の商品、ファミリーコンピューター…通称ファミコンですが、
その登場は、昭和58年(1983年)となっており、実は、数年前まで製造がされていました。
当時の小学生は誰もが持っている感じのイメージがありがちですが、
実際に3人に1人…くらいは持っていた感じがします。
これは、多いのでしょうか?それとも、少ないのでしょうか??
HRSの通っていた小学校の例で行くと、1クラス30人で、3クラスあったので、1学年の人数は、
90人程度…で、6学年あるわけです、から、540人程度の児童がいた事になります。
(小中高生は、学生というと身分詐称になるそうですw
小学生→児童、中学生・高校生→生徒が正しいとか)
で、3人に一人という事なので、学校全体から見れば、180人…ですかね。
この数値だけなら、やや多く感じられますが、クラス単位で見ると10人程度。
…う~ん、一挙に少なくなった感じが…。
まぁ、数字のマジックってやつですね。
30~40人程度のグループで、そのうちの数%が何かを共有しているだけでも、
全員が持っているように錯覚してしまうわけです…。
っと、話がそれました。
自身の楽天ブログにおける過去の記事をあさっても、自分の年齢に関する記述が無いなぁ…とか思いつつ…。
まぁ、細かい年代を出したという事で、わかる人にはわかるように、HRSの誕生年は、
ファミコンの発売年と同じ1983年となっているわけです。
生まれた年が、後に、ゲームというものの代名詞と呼ばれる(世間的にw)物と共にあった為、
なんとなく離れられない存在に…。
更に言うと…HRS家にファミコンが導入されたのは、
その当時の友達勢(とはいえ、10人に満たないw)の中でも、遅い方だった為、
その反動が、未だに残っている感じが否めませんw
という事で、ゲームに関してあれこれと書いてしまうわけですw
さて、話を戻しまして…美少女ゲームは…という話を。
いわゆる、美少女ゲームというものは…まぁ、PCゲームならちょっと如何わしいゲームですw
基本的なゲームの多くは、ノベライズ形式のゲームで、ゲーム中の選択肢によって、
展開していくゲームとなっています。
結論から言って、選択肢を選んで進めるゲームの中では、その選択肢の分岐は稚拙。
という事が言えそうです。
ノベライズゲームというと、サウンドノベルというものがあります。
チュンソフトから発売された、
弟切草や、かまいたちの夜シリーズなどはその代表例ですね。
…というか、この作品が、サウンドノベルというジャンルを確立していったいわゆる始祖ではないかと。
複雑に絡む選択肢、話の展開が売りで、ゲームをやらない人でも、
小説を好んで読む人(特に推理物)には、1回は体験していただきたいですね♪
で、美少女ゲームには基本的にはそういうのが…まぁ無いですね。
最も、いわゆる美少女ゲームと呼ばれるものが出た当時はそんな事はなかったはずですが…。
美少女ゲームの持つ魅力が、ストーリーの内容などから、
キャラクターの絵の部分へと移行され始めた時期から、話の複雑性が薄れていった感じでしょうか…?
実際問題として、友人は、シリーズものならいざ知らず、初見の作品を選ぶ時は、
評価云々よりも、まずは絵っていう感じでしたからw
美少女ゲームに求められているのは、そういう部分が最近は多いようです…。
ゲーム性という部分の話からすれば、確かに希薄ではあるかもしれません。
とはいえ、ゲームでないというのは、まぁ決定付ける事はちょっと困難ですね。
ゲーム性って言う単語自体が、ちょっと問題があるような気さえしますからw
ゲーム性を決め付ける為の確固とした要素というものが、はっきりと明示されていないわけです。
アクションゲームとRPGのゲーム性は、その多くの場合において、同軸上には存在しないものです。
アクションRPGなんていうジャンルもありますが、多くの場合がキャラクターにパラメーターの要素を付けたアクションか、
システムの一部分に、アクションを入れたRPGのどちらかでしかないので、
平行線だった軸が多少触れた程度ではないかと…。
ゲーム性を決める確固たる要素は何なのか?
実は、非常に単純な事ではないかと…。
自分以外の何かが演じる、もしくは何かを演じるという事ではないかと。
ちなみに…辞典で引くと、ゲームとは、勝ち負けを争う事にこそ本質があるようです。
その点から考えれば、対戦することの出来ないゲームには、
その本質が含まれていない為、当然のごとく、そこにゲーム性は存在しないという事。
アクション性、ストーリー性…そういった、本来なら交わらない性質をひとくくりに、
ゲーム性としているのなら、その考えは…改めなければ…ですね。
…そうすると…自分の書いたことに対して矛盾が生じそうですねw
まぁ、単純な勝ち負けを争う事の延長上に、何かを演じる必要性があるのでは…?と付け加えてみつつ。
トランプのババ抜きで勝ち負けを争う際に、相手にジョーカーを引かせる為に、
相手のジョーカーを引かない為には…やはり、真っ当にやることよりも、
多少のだまし討ちに近いこともする必要性がでてくるかと思います…。
そのだまし討ちの度合い(例えばポーカーなんかは、ポーカーフェイスなんていう言葉が出てくるほど、相手に自分の現状を悟らせない為の演技・だましが必要になるわけですw)にこそ、
ゲーム性の度合いがあるのでは…と。
まぁ、回りくどい事を書いていますが、結局、ゲームにおけるゲーム性というのは、
楽しめたか否かの、個々人が決めるべきところで、あって、他人の評価は、
所詮は他人の戯言の一環でも在り、全てを真に受けて、判断を下すべき事ではないわけです。
もちろん、ここに書かれている記事も、判断材料になるかもしれませんし、ただの駄文かもしれませんw
一つの参考程度に見てもらうのが一番ですね~♪