理の有無
この世の摂理の一つ。所詮この世は弱肉強食。「宗ちゃんいいかい、張りが弱い肉でもしっかり強く噛んで食べると大きくなれるからね」「うん、わかった。志々雄さんてとってもいい人なのに焼いちゃうなんて、明治政府の人たちって本当に極悪人だね」「焼肉にして食べたらそれこそ鬼畜だから、そこは一線を超えなかったみたいだけどね」「働きたくないでござるの人が一番悪いのも良くわかった。」「社会無職より人斬りのがマシだと思ったから働いたんだ」色んな歴史の転換点や物語でどちらが誰が善悪か、自分なりに考えた事はたくさんあります。少なくとも勝者が単純に善という認識はないので。私が競馬を含めた歴史や関係者が好きで物覚えが割と良いのは,キャラや物語が好きなだけではなくその人の性格や立場や関係を意識して、なぜそういう行動や決断を取ったのか、自分なりに考える癖があったからだと思います。しかしとにかく生き延びる事だけが目的という状況時世になったら、人はなかなか善悪を意識して行動する事は出来ないでしょうね。剣じゃなく券のやり取りで済む時代に生きられてて良かったです。減らず口使いたい放題でも切り捨てされないから。こと近年の場合、チャンピオンズカップ、又は芝の1800や2000の一周回る中京のコースはとにかく3から4コーナーで膨れたりコーナリングで動いてるのにもたついたら凡走するイメージが強い。中京芝2000が逃げ馬が極端に残るのは印象だけの戦績や回収率ではないはず。チャンピオンズカップも最初年のゴールドドリーム、サウンドトゥルー、昨年のウィルソンテソーロのようにコーナーでは動かず直線勝負なら絡んでも、コーナーから外を回る形で動き続けて勝ち負けしたのはチュウワウィザードくらいしか思い付かない。比較的人気馬が内に入った枠順。あからさまな雨馬場でもなければ時計やバイアスに大きな変化はないコースに思えるから、力量的に1枚以上割引の外枠馬は評価を下げて良いと思う。乗り方やその結果のイメージが一番難しいのはウィルソンテソーロ。脚質とその結果は穴馬キャラにしか見えないけど、JBCを勝ち今年は人気馬の一角。位置取り、コースの内外、相手関係を意識した仕掛けどころ。それらの選択の仕方で極端に着順が変動し得る馬だと思う。【チャレンジカップ】今年は京都開催、先週からコース替わりで少なくとも内回りなら内が有利の傾向が見えた。京都大賞で全く向かない長い距離なのにあわやのシーンがあったバピット。競られた七夕がいいトレーニングになったか。福島を始め平坦のほうが残る印象が強く、京都は前回だけでなく京都記念も差のない3着。適性は高そう。今回は頭まで期待。単複と内枠2頭への馬連、馬単。ラヴェルは広いコース向きだと思うので、外に出せても苦戦か。外の人気馬はバイアスで消し。