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星見当番の三角テント

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歌織@星見当番

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2006.09.09
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カテゴリ:おバカモード
こんばんは。今日も今日とて『組曲 惑星』を聴いている星見当番です。
(↑一度聴きだすと一週間か二週間くらい同じ曲を聴き続けてしまうらしい)
ふと気になって、ホルストの生年月日を調べてみました。1874年9月21日生まれ。

ホルストさん、乙女座か。乙女座に太陽がある今の時期にちょうど聴きたくなったのも
何かのご縁であろうかと思われます。ちなみに彼の月は山羊座(もし最後の1時間に生まれたなら
水瓶座)、金星は蠍座でした。ふむむ。

以下、ホルストとは全く関係のない話。
でも乙女座とはちょっと関係があるかもしれない話。

本日、当番家の夕食は餃子でありました。
当番家において、餃子を包むのは食べたいと言い出した者の役目です。
よって毎回、当番が包むことになります。夕方から黙々と包んでおりました。

当番は餃子が大好きですが、外で食べる餃子はあまり好きではありません。
餃子に限っては、自分の家で作って食べる以外の餃子を美味しいと感じたことが
一度もないのです。当番家の他のメンバーは餃子にそこまでのこだわりはなく、
外でも普通に餃子を食べます。「うちの餃子じゃなきゃ嫌だ」と言い張るのは
当番くらいなので、うちで餃子を作る=当番が包む、といつもそういうことになります。

うちの餃子、特に凝った作り方のものではなくむしろ大雑把なものです。
粉になるほど野菜を細かく刻んだりもしませんし、粘りが出るまで練ったことも
ありません。干しエビとか干し貝柱の戻し汁とかを入れたりもしません。

使うのは白菜(四分の一株をご飯粒くらいの大きさにみじん切り)、ニラ(小口切り)
豚挽き肉(適当に1パック)、下味に胡麻油と普通のお醤油を大さじ一杯ずつ。
それをざかざかと適当に混ぜて(練るという程でもない)あとは市販の餃子の皮
(大判)を使って包んで焼くだけです。

当番母の作り方がこうだったので、当番もそれを踏襲しています。
あ、タネに胡麻油と醤油で下味をつけるのだけは当番が作るようになってから
加わったものです。

母の隣で餃子を包む手伝いをしだしたのが小学校一年生くらい、一人でタネから用意して
黙々と包んで焼くようになったのが中学生くらいからのことです。お米を研ぐこと、
煮干でダシを取ってお味噌汁を作ること、目玉焼きを焼くことの次くらいに教わったのが
餃子の包み方だったような記憶があります。

そういう記憶のせいか、餃子作りは当番の場合、母のイメージと強く結びついています。
「おふくろの味は餃子である」…と書いてみるとちょっと違和感ありなのですが、
「うちの餃子じゃなきゃ食べない」と思っているくらいですからこの味が刷り込まれて
しまっていることは確実です。

夕方、薄暗くなった中で餃子を包みながら、母のことを考えました。
いつものことなのですが、自分の包んだ餃子を見ているとどうしても
「いまだに母と同じくらい上手くは包めないなあ」と思ってしまうのです。

母が、「一つの餃子にヒダは七つくらい寄せるのがきれい」と言ったので
当番いまだに「ヒダは七つ」と思いながら寄せます。母が包むと綴じ目の幅が狭く、
しかしきっちりと止まっていて中身はみっちり入っています。当番が包むと
綴じ目の幅が広くなり、母と同じ量のタネを入れるとはみ出すので少なめで、
しかしちょうどいい量にすることができずになんとなく皮とタネの間に隙間ができます。

小学生の頃よりは上手に手早く包むことができるようになったんですけどね(笑)。
それでも、包むたびにいつもいつも、心の中で「母のは…もうちょっとこう…」と
比べてしまいます。もう、母が隣にいることはなく、同じお皿に母の包んだ餃子が
置かれることもないというのに。

(と書くと当番母がこの世にいないみたいにも読めますが、母自身は健在です。
ただ、餃子を包むという作業から完全に引退しているというだけの話であります。)

いつもこうやって、一人で母の包む餃子の形と自分のを比べてばかりいるなあと
ふと思って可笑しくなりました。椅子を並べて一緒に包んでいた頃でさえ、
母は当番の包む餃子の形について何かを言うことはなかったのに、いつも当番の方から
一方的に比べているのです。そしてひそかに「自分はいつまでたっても、母以上か
母と同じくらい上手には餃子を包むことはできない」と思って軽く落ち込むのです。

母と自分をひそかに比べて「自分は母以上あるいは母と同程度に上手にできる事はない」
と思うこと。「母はそういう我が子を不満足、あるいは恥に感じているであろう」と思うこと。
これが当番の中に小さい頃から根強く存在している「マザコンの型」です。

実際に、母からそういう形で不満足の意を示された経験はありません。
ただ単に、当番が自分の中に一方的に「母のできるレベル」を基準として設定して
それに達するとか達しないとかぐちゃぐちゃ考えているだけです。母が実際に
至らない当番を恥じたり不満に思ったりするわけではなく、母のレベルに至れない自分を
自分で恥ずかしく不満に思うんですが、自分がこれだけ恥ずかしいのだから
母もきっと恥ずかしく不満に思っているだろうと先回りして思うわけですね。
こうして文字にしてみるとすごくバカバカしいですが。

手の中の餃子の形を見て、そういえばこれは三日月の形だと思いました。
西洋占星術で「月」は母を表す天体です。皮の中に具が包まれている状態も
母の象徴です。つまり餃子は月の食べ物である、と(笑)。他の人にとって
そうでなくても、当番にとって餃子は「母の食べ物=月の食べ物」であることは
間違いありません。

生まれた時の月の位置は、その人の母親像、あるいはその人が母親と関わるときの
関わり方(子供としての自分)を表します。当番の月は乙女座にあります。

乙女座とは自分で何かの基準を設けて(その基準をどこから取ってくるか、は
人によって違いますが)それに照らして自分は、あるいは自分が見るものは
基準に達しているのかいないのか、というのを非常に気にする性質のサインです。
羞恥心にも関係の深いサインです。最近こういう言葉を使う人も少なくなりましたが
「色々と至らなくて恥ずかしい」が口癖の人がいたら乙女座だ、というくらいのものです。

当番の持つ「マザコンの型」はまず間違いなく、月のある乙女座の性質です。
母親自身は太陽が水瓶座・月が牡牛座の人で、乙女座的な性質は持ち合わせていないのですが
当番が母親を見るときに「乙女座眼鏡」をかけてしまう癖があるのです。すると娘は、
晩夏の夕暮れに大きな身体で餃子を包みながら、形がどうのヒダがどうのとクヨクヨクヨクヨ
余計なことを考えるようになる、と。何という暗いことでありましょう。

…折りしも太陽が乙女座を通過している時期であります(^^;)☆\(--;)。

もっとも、包んでいる間中そんなにクヨクヨとしてばかりはいなかったのですが。
もっと軽いことも考えていました。たとえば左手に包みかけの餃子を持って、
右手で(つまり左端から右端へ向かって)ヒダを寄せていくこととか。

「あれ、私は左利きメインなのに、なんでまた右手なんかでヒダを寄せているのだろう」
と思って、右手に持って左手でヒダを寄せてみようとしたら寄せられないのですよ。
母はどっちからヒダを寄せてたっけかと思って訊いてみたら、「左手に持って、
右手で左端→右端に向かって寄せる」と言います。つまり当番と同じです。

(註 「左利きメイン」とは、当番はほとんどの作業を利き手の左手で行いますが
いくつかの作業―果物の皮を剥くとか、箸を使うとか―は右手でしかできないという
自称「まだら利き」であることからこのように言っています)

母はあまり右利き左利きにうるさくない人で、餃子の包み方を教えてくれた時も
「必ずこっちの手でしなさい」とは言わなかったけれど、当番の方はやはり見て覚えるので
母と同じ方向にヒダを寄せるようになったものだと思います。当番のようにまだら利きではない
「100%左利き」の人が餃子を包んだら、左倒しのヒダになるんだろうかと考えることしばし。

「倒す向き」といえば。
当番家の餃子は「ヒダをつけてとじた部分を下にして焼く」のがデフォです。
こうすると厚みのあるヒダ部分に焼き目がついて、パリっ、というか「カリっ」と
歯ごたえのある餃子になります。なめらかな「袋」部分はあくまでつるりとなめらかに、
厚みのあるヒダ部分はカリカリと、というのが好きなんですが。

なぜか巷では、「ヒダが下」タイプの焼き餃子は少ないような。
いえ、外じゃ餃子を食べない当番でありますから別にそんなこと構わんのですが。
雑誌を見てもテレビを見ても、見る餃子見る餃子「袋が下」でヒダが天を向いています。
見るたび心の中で「なぜだー!」と叫ぶ当番であります。

当番家の常識、世間の非常識(大袈裟な)。
こういう「ウチじゃこうだからこれが常識だと思った(思っている)」という意識も
占星術では「月」の管轄なんですけどね(笑)。

「ウチの餃子もヒダが下です」という方がいらしたら、是非当番までお知らせ下さい。
なお当番は、餃子はポン酢とゆずこしょうで食するのが好きです。

今夜はセレナイトの話をする予定だったのに、月の石がなぜか三日月餃子に化けました。
セレナイトの話は、また次回。

追記

当番、餃子を作る時にはいつも多めに作ります。
家族全員で食べても、普通のお店で出る一人前くらいの数は残るかなという数です。
冷めた餃子を、あとでちょっと夜食につまむのが楽しみなんです、が。

たった今、ちょうどお風呂に入る前にその「残った餃子」をひとつ食べたいと思って
台所に行ったのですが、先を越されてすでに完売してますたorz 

餃子の日の当番家は、仁義なき戦場なのであります。






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最終更新日  2006.09.09 21:40:46
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