2529260 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

星見当番の三角テント

PR

プロフィール


歌織@星見当番

フリーページ

カテゴリ

カレンダー

日記/記事の投稿

キーワードサーチ

▼キーワード検索

お気に入りブログ

ちっちゃな天使たち てんこ☆。さん
しおの小部屋 shio♪さん
Libra-ly lovely lindaさん
虚空座標 KURO−Mさん
◆* ROBIN’S … *∴ 翼 ∴*さん
らぴす・ぱらでぃう… ゆう餡さん
月うさぎ雑貨店 麗月さん
みうさの砂場 智♪さん

コメント新着

蒼(sou)@ Re:アストロ小学校4/14、5/12無事終了しました(05/18) 初めまして。 蒼 と言います。 ツイッタ…
星見当番@ Re[1]:蟹座の新月予報2019(06/26) ...さんへ どちらさまでしょうか?「...…
2006.10.17
XML
こんばんは、星見当番です。
今夜は天秤座のブックガイドをお届けします。
去年の9月に書いた天秤座のブックガイドは、天秤座のテーマのひとつである
「エレガンス」についての本をご紹介しましたが、今回は太陽サインが天秤座である
作家たちを集めたブックガイドです。


【シェル・シルヴァスタインのこと】

真っ白な表紙。単純な、黒い線描きの丸い物体。
よく見ると丸い物体にはぽつっと点のような目が描かれています。
それに、一切れだけ切り取ったケーキみたいに、丸の一部分がクサビ形に欠けてます。
パックマンみたいなこの物体、その欠けているところは口なのか、と思うとそうじゃないみたい。
「彼(それ)」はその部分が欠けていることが気に食わないようです。

何かが足りない
それでぼくは楽しくない
足りないかけらを探しに行く
ころがりながらぼくは歌う
「ぼくはかけらを探してる、足りないかけらを探してる、
ラッタッタ さあ行くぞ、足りないかけらを…」


こんな風に始まる絵本があります。絵と文をかいたのは、シェル・シルヴァスタイン。
1930年9月25日生まれの天秤座さん。日本語訳を担当したのは、小説家の倉橋由美子。
彼女もまた、天秤座。19305年10月10日生まれです。

天秤座生まれの作家が世に送り出したこの絵本、日本語タイトルは『ぼくを探しに』ですが
もとのタイトルは‘The Missing Piece’ずばり「足りないかけら」です。
文章のニュアンスも日本語と英語では微妙に違っていて、日本語だと「ぼくは」と
一人称で語られるのですが、英語だと It と三人称で語られます。
最初に引用した部分、英語だと―


It was missing a piece.
And it was not happy.
So it set off in search
of its missing piece.
And as it rolled
it sang this song-

Oh I'm lookin' for my missin' piece
I'm lookin' for my missin' pieceHi-dee-ho, here I go,
Lookin' for my missin' piece.



…英語版で‘It’が歌う歌、声に出して歌いたくなるようなリズムですね。
オゥ・アィム・ルッキン・フォー・マイ・ミッシン・ピース♪

『ぼくを探しに』の主人公「ぼく(パックマンみたいな謎の生物)」は
地面をごろんごろんと転がりながら、色々な形をした欠片に出会います。
「君は僕の探してる、なくしたかけらかい?」「ぼく」はとりあえず、
出会った「欠片」を片っ端から自分の欠けたところにはめ込んで転がってみます。
ところが、出会うどの欠片も、大きすぎたり小さすぎたり、形が全然違っていたり。
一緒になってうまく転がれる「なくしたかけら」はなかなかみつかりません。

この、「ぼく」の姿は、天秤座のテーマである「パートナーさがし」に
そのまま重なります。いろんな相手を、とりあえず自分の欠けている部分に迎え入れてみて
「うまく転がれないね」「ハマらないね」と確かめていくやり方は、とても天秤座的です。
最後の最後に、とうとう「ぼく」はちょうどいいサイズの欠片と出会い、
「ぼく」と「みつけたかけら」はぴっちり噛みあったまま、軽やかに
転がっていくところでこの絵本は終わるのですが…物語自体はまだ終わりません。

『ぼくを探しに』には続編があります。
『ビッグ・オーとの出会い 続ぼくを探しに』です。
今度の表紙は、あのパックマン風キャラクター「ぼく」ではありません。
表紙に描かれているのは、前作で「ぼく」に発見された筈の「なくしたかけら」。
それと、「ぼく」とは違う、どこも欠けていないまん丸の物体。

この作品では、クサビ形の「かけら」はなぜか一人ぼっちになっています。
一人寂しく地面の上で、誰かが来るのを待っています。
ぼくを見つけて、一緒に転がって行ってくれる誰か。
だって、ぼくは一人では転がれないから。

おやおや、前作の主人公だったパックマンの「ぼく」はどうしちゃったんでしょう。
転がっていくうちに、クサビがうっかり外れてまた落っちてしまったのでしょうか。

待っても待っても、クサビ形の「ぼく」を連れて行ってくれる誰かは現われません。
そこにやってきたのが、完全まん丸でどこも欠けていない「ビッグ・オー」でした。
「ぼくをつれていって」と頼む「ぼく」に、ビッグ・オーは
「自分には欠けているところがないから、君を運んであげられない」と言います。
そしてさらに訊ねます。きみはどうして、ひとりでやってみようと思わないの?

「だってぼくには角があって、転がれないんだ」と「ぼく」。
「角はとれて丸くなるものさ」とビッグ・オー。

ビッグ・オーが去ってからずいぶん経って、「ぼく」は決心します。
やってみよう。ひとりでころがってみるんだ。

はじめは、ひっくり返るのさえ大変。ぱたり、ぱたりとひっくり返りながら
移動していくうちに、どんどん、ひとりでうまく移動できるようになり、
「ぼく」はどんどん姿を変え、スピードも速くなり、そして…

互いに足りない部分を補える、ぴったりの相手を発見する『ぼくを探して』
ひとつのやり方しか知らなかった小さな「かけら」に新しい方法を試すことを教える
『ビッグ・オーとの出会い』。一作目では、パックマン風の「ぼく」が主人公にも思えますが
英語のタイトルは‘The Missing Piece’なんですよね。つまり、もしかしたら
一作目の主人公も、実はパックマンではなく「クサビ形」の方かもしれないんです。

パックマン風の「ぼく」がパートナーを探していたように、
ちいさなミッシング・ピースもパートナーを探していました。
自分に足りないものを与えてくれる相手。パックマンも「ビッグ・オー」も
ちいさなミッシング・ピースに足りなかったものを与えてくれました。

でも、パックマンとビッグ・オーでは「与えてくれたもの」も「与え方」も随分違いますね。

パートナーシップの形って、色々です。
パックマンとミッシング・ピースのようなパートナーシップは勿論「アリ」だし、
ビッグ・オーとミッシング・ピースのような、対等というわけではないけれど
ミッシング・ピースにとっては凄く重要な「足りないもの」に気付かせてくれる
そういうパートナーシップもあるのです。

シェル・シルヴァスタインの作品で、パートナーシップがテーマの絵本がもうひとつ―。
『おおきな木』モノクロだった『ぼくを探しに』シリーズとは対照的に、
真っ赤と真緑のはっきりした二色刷り、黒インクの線画です。

この絵本、小さい頃に見たことがある、読んでもらったことがあるという人は
案外多いかもしれません。この出だしに、覚えはありませんか?


むかし りんごのきがあって
かわいいちびっこと なかよし。
まいにち ちびっこは やってきて きのはをあつめ
かんむり こしらえて もりの おうさま きどり。

ちびっこは きのみきに よじのぼり えだに ぶらさがり
りんごを たべる。 き と ちびっこは かくれんぼう。
あそびつかれて こかげで おひるね。
ちびっこは きが だいすき。

そう とても だいすき。 だから きも うれしかった。


当番、このブックガイドを書くにあたり、この本のことを調べなおしたのですが
想い出の中で何がどう混ざってしまったものか、「だから きも うれしかった」を
「それで きは しあわせだった」と記憶してしまっていました。
「うれしい」も「しあわせ」も、似たようなものかもしれませんが―

この絵本、英語のタイトルは‘The Giving Tree’といいます。
「りんごの木」は「ちびっこ」が大好き。ちびっこも、りんごの木が大好き。
それで きは しあわせだった。それで かれらは しあわせだった。


けれども ときは ながれてゆく。
ちびっこは すこし おとなになり きは たいてい ひとりぼっち。


たまにりんごの木のもとにやってくる、少しおおきくなった「ちびっこ」を、
もっとおとなになった「ちびっこ」を、さらに年をとった「ちびっこ」を
りんごの木は昔と同じように「ぼうや」と呼んで歓迎し、昔と同じように、
登って遊ぶための枝やその陰で昼寝をするための葉を、食べるためのりんごの実を
提供しようとします。

しかし、元「ちびっこ」だった少年・青年・中年(…)はそれでは満足しません。
リンゴの実ではなく、お金がほしいんだ。登って遊ぶための枝ではなく、
あたたかな家がほしいんだ。遠くに行って何もかも忘れてしまいたいから、
ここから逃げ出す船がほしいんだ…

りんごの木は、お金も家も、もちろん船も持っていません。
その代わりに、売ってお金を作るようにとりんごの実を、
切って家を建てるようにと自分の枝を、切り倒して船を作るようにと、
幹までも、愛する「ぼうや」に与えます。このりんごの木がGiving treeなら
この「ぼうや」は取って行くことしかしてないからTaking Boyですね。

木が与えたものを持って、「ぼうや」が行ってしまったあと、
毎回かならずこの一文が書かれます。

それで きは うれしかった。

全ての実をもぎとられ、枝を切られ、幹も失って、
全てを与え続けたりんごの木は、最後はただの切り株になってしまいます。
それでも―

それで きは うれしかった。だけど

―だけど?

だけど それはほんとかな。

だけど それはほんとかな。この「ほんとかな」の部分。
実は日本語訳だと疑問形になっていますが、英語だとただBut not really.となっています。
「でも ほんとうに(うれしい・しあわせ)ではなかった」と言いきってるんですね。
与えて与えて、それで木はうれしかったというけれど、結局、木の愛する「ぼうや」は
木から色々なものを取って行くだけで、取った後は木から遠ざかってしまう。

それで きは うれしかった でも ほんとにうれしかったんじゃ ないんだけど。

―というのが英文版。
でも、当番は日本語版の「でも それは ほんとかな」という疑問形の印象が強くて
今でもBut not really.と言い切られるよりも、「ほんとかな」と問いかけてくる
日本語版の方が好きです。

さて、天秤座のブックガイド・シルヴァスタイン編はまだ続くのですが、
字数制限をくらってしまったので一旦分けます。

このほかに、シルヴァスタイン以外の天秤座作家によるブックガイドも書きたいのですが
今夜は時間がないのでこれは明日以降。シルヴァスタイン編・その2を更新したら寝ます。
今まで、前後篇のブックガイドまではやったことがあるけれど、三部作は初めt(^^;)☆\(--;)









最終更新日  2006.10.20 01:02:18
コメント(0) | コメントを書く



Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.