私の「好き」「幸せ」はなんですか?
あと数日でクリスマスですねー。結局、クリスマスフェア用に小物を用意したんですが、間に合わなくなってしまいました。直前に出しても、届く頃には終わっちゃいますね(>_<)これを見越して、季節関係ないモノにしたので、まるっと新年初売り福袋に回しちゃいますっ!もはやスピ屋とは関係ない、抹茶とか入りますがノープロブレム!合い言葉は「ここの店主は無節操♪」 お、ゴロがいいぞ。てか、むしろ新年ぽいってことでオールオッケー!まだちょっと今年が残ってますが、もうほんっっっとに楽しい1年でした。山も谷もいろいろありましたが、山はもちろん、谷がこれまた楽しかったです。特に、「枠」と「ブロック」を私の辞書から消し去ってからは、もうほんと良いことずくめの目白押しです。やりたいことは大概叶ってるし、ひょっこり手に入ってるし、チャンスがネギしょって転がり込んで来るし。全部、結果的に。もちろん、途中経過は良いことも悪い(ように思える)こともイロイロありますけどね(^_^;)最後に笑えるって最強だと思います。というか、結果より、わりかし谷が好きな私としては、その途中経過がまた趣深いのです。いとおかし、です。だって、私の*華麗なる*伝説の1ページが増えたってことじゃないですか。芸人はネタが増えてなんぼです。(…いつから芸人になったんだオイ)これで怠惰じゃなくなれば完璧なんですけどね。だいぶ”楽しむ”ってことが肌で感じられるようになってきたところなので、これをステップに、自分に対する信頼を、やる気の原動力にできればな~と思います。 で、この「楽しむ」が今回のテーマ。前置き長っ。ここ何ヶ月か占いをして、圧倒的に多かったのが。「私にとって楽しい事ってなんでしょう」「私の中の本当の”幸せ”ってなんでしょう」「何をすれば魂を輝かせることができるでしょう」んー…。何でもいいんじゃないですかね?いや、えーと…これじゃあミもフタもないですね(^_^;)上記のような質問にガイドさんが共通して言うのが「頭で考えてるうちは無理。そういう時は始めは新鮮だから”楽しい”と思う。嫌なことや、飽きると”これじゃない”になる。ノーミソで審査してるうちは無理」ちゃんとしたメッセージはもうちょっとかみ砕いてますが、概略にするとこんな感じです。たぶん皆様が陥る落とし穴なのではないかと思うのですが。最近のスピって”楽しいこと”、”わくわくすること”、”輝くこと”の一部分だけが一人歩きしてるのかもと思います。今はブログやセミナーや本や商品やらがたくさんあるし、そういう人たちが全面に出てて、一見、華々しく見えちゃうので、そういう状況じゃないと”輝いてない”とお思いになるのかもしれませんが。でもそれだって、その方々の一面しか見えてないわけですし。楽しいことの中にだって、やりたくない面はあるでしょうし、うまくいかないことだってあるわけで。どんな舞台にも、楽屋裏や下準備ってあるものです。見えてないだけで。それは、みなさんも一緒で、その楽屋裏を、切磋琢磨した印象深い出来事とするか、むいてない、うまくいかない、ととるかで、違ってくるんじゃないでしょうか。表舞台だけを見て、自分との落差を比べたら、そりゃあなんだか楽しく感じないでしょう。輝いても見えるはずもありませんよね。あれやこれや、外なり内なりに基準作って考えるから、思い描いた理想(=幻想)に届かないと思って、混乱することになるのでは。わざわざ立ち止まって、なくてもいい審査をして、壁や基準を作っちゃうから、途中で足踏みして「本当に楽しい事ってどこにあるの~。・゚・(ノД`)・゚・。」と流浪の民になっちゃうのかもしれませんよ。 もし、やってて苦じゃないのだったら。四の五の言わず、いきつくとこまで続けてみればいいんじゃないですかね。もう続けたくなくなったら、四の五の言わずに、辞めてみればいいんじゃないですかね。楽しいことなら、いつの間にか続いてると思いますよ。辞めても自然に戻ってると思いますよ。本当に楽しいか、幸せか、なんて意識なんかせずとも。んで、辞めたんだったら、また自分の興味のあるモノ始めてみればいいんですから。というかですよ。「本当の」ってつける時点で、めちゃくちゃ今を否定してますよね。じゃあどんな状況だったら満足するんでしょう。そもそもどういう状況だったら、「本当に楽しい」で「本当の幸せ」なんでしょう。あなたの”満足”ってなんですか? え? それを聞いてるんだろって?確かにそうですね。がしかしです。ガイドさんの言葉も、占いも、ポストに入ってるダイレクトメールと一緒です。ささいな切っ掛け。目にとまった1枚のチラシ。「あなたにはコレコレこういう分野があってるわ。ぜひこれを始めて、こういうやり方をすべきよ」って誰か(ガイドや占い師も含め)に言われて、本当に本気になれます?――本当に?じゃあ単語を変えて。「あなた、3丁目のどこそこの、ホニャララさんと相性良いわ。ぜひお付き合いを始めて、こういう家庭を気づくべきよ! 庭には3色チューリップを植えて、壁紙はピンクでね! 来客にはコペンハーゲンのティーセットを出すといいわ!」って言われて、手放しで100%恋愛できます?せいぜい、「3丁目のホニャララか…。とりあえずどんな顔か見てやろう。ついでに職業も聞いとこう。がしかし、結婚はねぇーべ。つかチューリップあんまり好きじゃないんだけどなぁ…。」くらいですよね。そっから世紀の大恋愛になるもならないも、結局本人次第です。チャンスがないわけじゃありません。けど、その確率って、どれくらいだと思います?これを最初の例に戻すと。やってみて手応え感じなかったら、「あの時こう言われたけど、私に合ってるのかしら…。今度は誰それさんに聞いてみようかしら。もしかしたら自分の中に、なにかブロックが? ××のセミナーを受ければわかるのかも」ってなりません?もうこの時点でまた外に変化の要因求めてますよね。で、次で言われたことにチャレンジして、また芳しくなかったら、また次…のループです。ならさ。いっそ、誰に何言われても、やりたいこと、やっちゃったほうが、早くないですか?やりたいことがないなら、適当に興味あることを見繕ってみては?まったく何も興味がないなら、日々今やってることを、より丁寧にやってみたらいかがでしょう。そのうち、「これはヤダ」が出てきます。そういうのをどんどん除外したら、何か残るはずです。そうやって、いろいろチャレンジして経験していって、「結果は出てない(※気がするだけ)けど、やりたいこと全部やったぜー!」で人生終わったほうが、よっぽど満足できると思いますがいかがでしょう。 自分にも他人にも環境にも言い訳してるうちは、楽しいことも楽しくないし、幸せも幸せだって認められなくなっちゃうのではないかと思います。出来ない理想をいきなりやろうとしたら、誰だって腰もひけるし、一歩も進めません。ギャップに余計自分が矮小に思えてしまいます。だから、今動ける範囲の中で、まずは何かしらに触ってみてはいかがでしょう。いいじゃないですか、こたつから動きたくないなら、テーブルで手が伸びる範囲だけだって(゚ε゚)そのうち、もうちょい先に取りに行きたくなるから。絶対! ある意味、もの凄いニートの屁理屈ですが(笑)