相撲部屋めぐり 追手風部屋 おいてかぜべや 追手風部屋への行き方・・・詳しく説明 埼玉県 草加市 瀬崎 5-32-22 追手風部屋入門の理由とは? しこ名の命名の理由とは? 関脇:大栄翔 前頭:翔猿 剣翔 遠藤 大奄美 遠藤のしこ名はなぜ本名なの?
『相撲部屋めぐり』陸奥部屋→春日野部屋→出羽海部屋→時津風部屋→木瀬部屋→鳴戸部屋→宮城野部屋→高砂部屋→片男波部屋→八角部屋→錦戸部屋→高田川部屋→大嶽部屋→錣山部屋→伊勢ヶ濱部屋→伊勢ノ海部屋→荒汐部屋→放駒部屋→境川部屋→佐渡ヶ嶽部屋→武隈部屋→常盤山部屋→田子ノ浦部屋→九重部屋→二子山部屋→阿武松部屋→芝田山部屋→浅香山部屋→追手風部屋→玉ノ井部屋→西岩部屋→立浪部屋→大島部屋→安治川部屋→山響部屋2024年2月10日(土)訪問きらりの『相撲部屋めぐり』29部屋目29.追手風部屋 埼玉県 草加市 瀬崎 5-32-22所属力士は・・・21人(関取:6人)も!関脇:大栄翔 前頭:翔猿 剣翔 遠藤 大奄美 十両:大翔鵬 幕下:大翔丸 日翔志 大喜翔 三段目:大飛翔 大翔樹 大翔宗 大翔成 序二段:大雄翔 大翔碧 薩摩翔 大翔 大馬翔 大国巌 大典翔 序の口:斧澤 『追手風部屋』・・・とは?所在地:埼玉県 草加市 瀬崎 5-32-22時津風一門の相撲部屋。師匠:11代『追手風 直樹』(おいてかぜ)元前頭二枚目『大翔山』だいしょうやま出身:石川県 昭和41年7月7日生まれ弟子のしこ名「大・翔」が多いのは師匠に準じる。追手風部屋の幕内力士の入門理由と、しこ名について東関脇『大栄翔 勇人』だいえいしょう はやと追手風部屋 埼玉県 朝霞市出身本名:高西 勇人平成5年11月10日(30歳)182.0cm 166.0kg令和3年1月場所『大栄翔』幕内最高優勝。(最高位)関脇(2024年3月)東小結 12勝3敗(技能賞)(5月)東関脇 10勝5敗(関脇昇進)(2024年1月)西関脇 9勝6敗(3月)東関脇「追手風部屋」入門の理由・・・とは?大栄翔は、小学校1年生から相撲を始めて高校は名門「埼玉栄高校」で実績を残した。監督は「母子家庭で親に楽をさせたいという思いを持っている。芯がしっかりしている」と入門の事情を打ち明けた。「しこ名」命名の理由・・・とは?高校卒業目前の2012年1月に初土俵。3月「大翔栄」のしこ名で序の口優勝。1年で、幕下昇進するが「栄」の文字がしこ名の最後に来ると怪我をすると言われ実際に怪我をしたために『大栄翔』と改名。東前頭四枚目『翔猿 正也』とびざる まさや 追手風部屋 東京都 江戸川区出身本名:岩崎 正也平成4年4月24日(31歳)173.0cm 136.0kg(最高位)小結(1月)東前頭四枚目 7勝8敗(3月)東前頭四枚目翔猿も、小学校1年生頃から相撲を始めた。兄:英乃海が通う小松道場について行った事がきっかけ。兄が葛飾白鳥相撲道場教室に移籍すると同行。ここには、一つ年上の幼馴染「剣翔」もいた。英乃海・剣翔・翔猿は、中学校も同じ、高校も同じ埼玉栄高校(同期:北勝富士)進学大学も同じ、日本大学(同期:大奄美)へと進む「追手風部屋」入門の理由・・・とは?すでに兄の英乃海は、木瀬部屋に入門し十両。「兄と同じだと甘えが出る」とあえて別の部屋を選び日大の2年先輩の遠藤と、幼馴染の剣翔が所属する追手風部屋に入門。2015年1月場所、初土俵。「しこ名」命名の理由・・・とは?十両昇進と共にしこ名が「翔猿」となる。自身が申年生まれで、自らの動きを「猿みたい」とみていることから、スピードを生かした引きや、いなしで相手を崩す相撲を目指した。東前頭六枚目『剣翔 桃太郎』つるぎしょう ももたろう追手風部屋 東京都 葛飾区出身本名:安彦 剣太郎平成3年7月27日(32歳)185.0cm 195.0kg(最高位)前頭六枚目(1月)東前頭十一枚目 9勝6敗(3月)東前頭六枚目剣翔は、小学校2年生の時に祖父から「優勝したら小遣いをやる」と言われわんぱく相撲の大会に参加するようになり4年、地元の葛飾白鳥相撲教室で稽古を始める。5年、英乃海と翔猿の兄弟も教室に移籍してきた。葛飾区立大道中学校から、埼玉栄高校へ進学、高校総体団体優勝など彼らと共に成し遂げ全日本ジュニア体重別選手権100kg級以上優勝。英乃海に続き日本大学に進学し翌年、翔猿も入学。「追手風部屋」入門の理由・・・とは?大学卒業間近に日大の1年先輩の遠藤を追うように「追手風部屋」に入門。「入門するなら勢いのある部屋がいい」遠藤から刺激を受け華やかな力士生活を見て「いいなぁ〜俺もああなりたい」と憧れて入門。「しこ名」命名の理由・・・とは?十両昇進と共に本名:安彦 剣太郎の「剣」と師匠のしこ名の「翔」、下の名前は周囲から呼ばれていてイメージもぴったりな「桃太郎」と改めた。東前頭十六枚目『遠藤 聖大』えんどう しょうた追手風部屋 石川県 鳳珠郡(ほうすぐん)穴水町出身本名:遠藤 聖大平成2年10月19日(33歳)184.0cm 145.0kg(最高位)小結(1月)西前頭十三枚目 5勝10敗(3月)東前頭十六枚目遠藤は、幼少期にはすぐに拗ねる子で父が礼儀や忍耐を身につけさせる目的で相撲教室に参加泣いてばかりで稽古を逃げることもあったが、指摘された点をすぐに修正できる素直さがあった。2002年金沢巡業で朝青龍の相撲を見て面白いと感じ相撲が好きになった。12歳で地元穴水町を離れ金沢市に転住。監督の家に下宿し相撲ばかりの毎日を過ごす。金沢市立西南部中学校から、金沢学院東高校へ「追手風部屋」入門の理由・・・とは?日本大学へ進学し、1年からレギュラー。全日本相撲選手権大会優勝:アマチュア横綱国体相撲成年個人の部A優勝:国体横綱2つのビッグタイトルを取得し、史上2人目の幕下10枚目格付出の資格を取得し、同郷出身で日大の先輩、追手風親方(元幕内:大翔山)が師匠を務めることで選んだ。石川県出身の輪島が目標であると語る。「しこ名」が・・・なぜ本名のままなのか?2013年3月、本名の遠藤をしこ名として初土俵。2013年5月、東幕下三枚目 5勝2敗:十両昇進決定しこ名を付ける予定であったが準備不足を理由に見送り7月場所は、本名のまま土俵に上がり、14勝1敗。十両14勝は、史上2人目63年ぶりだった。9月場所で、新入幕。史上4人目となる十両1場所通過。幕下付出から、史上最速の所要3場所での新入幕。勝ち続ける中で流れを変えないためにしこ名は付けず、本名「遠藤」で入幕した。 西前頭十六枚目『大奄美 元規』だいあまみ げんき本名:坂元 元規 (さかもと げんき)追手風部屋 鹿児島県 大島郡 龍郷町出身平成4年12月14日(31歳) 185.0cm 188.0kg(最高位)前頭十一枚目(1月)東十両筆頭 8勝7敗(3月)西前頭十六枚目(再入幕)大奄美は、小学校2年生から地元の名瀬相撲クラブに通い始めた。奄美市立赤木中学から鹿児島商業校に進学日本大学に進学し名門の相撲部で2年、宇和島大会優勝。4年、主将。「追手風部屋」入門の理由・・・とは?大学卒業後は、日本大学に職員として就職。実業団選手となり、寮に住み込みながら昼間は大学職員として勤務したのちに、大学の道場で学生たちと稽古に励む。2015年、全日本実業団相撲選手権大会を制し実業団横綱になり、幕下15枚目格付出が承認。目標である遠藤が所属する追手風部屋に入門。「しこ名」命名の理由・・・とは?2016年1月、初土俵。2017年1月、新十両が決定。しこ名を「奄美より大きくなりたい」と『大奄美』に改名。追手風部屋への行き方・・・とは?東京スカイツリーの下から出発してみましょう 9:56 東武スカイツリーライン(北千住行)2番線乗車10:09 北千住で乗り換え 10:18「東武動物公園行」5番線乗車10:32 「谷塚」やつか・・・到着:下車。谷塚【東口】から・・・17分(1,35km)駅からバスが無いので、歩くしかありません追手風部屋の住所は・・・埼玉県 草加市 瀬崎 5丁目-32-22谷塚駅入口の交差点を前に進みますこのまま10分ほど、真っ直ぐに進みますミニバスの停留所「瀬崎中央」発見!バスあるじゃないの?と時刻表を見ると1時間に1本しかし、この先中央のピンクと水色のビルまで歩くとこの信号を右に曲がりますその先に、信号がすぐあるので、信号を左に曲がります。その道を5分くらい進みます。ほぼ住宅街で、途中にお寺あり、道沿いに真っ直ぐです。左側にこの建物が見えてきます。ブラインドがあるので、ここから稽古が見えるのか?・・・でも誰もいません!稽古は終わったようです。正面玄関には、車が・・・邪魔です!なにやら〜シャワーの音がっこの先のドアーがお風呂みたいです。追手風部屋の敷地になるので、これ以上は進めないけど右側は自転車置き場さすがですね〜高級な自転車が並びます。お金持ちの部屋は、違いますね〜これは、翔猿のかな?なんて想像しながら帰りました。写真撮影&訪問:ほしのきらり。世界遺産にぽち