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2017.08.31
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カテゴリ:美術館・博物館
いよいよ・・・フラ・アンジェリコ『受胎告知』 です(^-^)ウキウキ♪

1430年代にフィレンツェでは、マザッチョの写実的表現は、

どの画家にも素直に受け入れられたわけではなかったが ・・・

1440年代に入ると、こうした状況に少しずつ変化が見え始めてくる。

天使のような画僧「アンジェリコ」の美しい『受胎告知』の何点かを見てみましょう~♪

受胎告知 (Annunciazione) 1430年頃

フレスコ   サンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院

15世紀フィレンツェ派を代表する画家

フラ・アンジェリコの傑作『受胎告知』

国際ゴシック様式的な豪華で優美な特徴と、

鮮やかで輝きに満ちた色彩による

画家独自の敬虔で高潔な人物描写が秀逸な本作の主題は、

大天使ガブリエルによる聖母マリアへの聖胎の告知を描いた

『受胎告知』で、フラ・アンジェリコは、

生涯のうちに幾度も本主題を描いているが、

最近、修復作業が完了した本作は、

その最高傑作として名高い。

他にはプラド美術館所蔵の『受胎告知』や、

司教区美術館所蔵の『受胎告知』などが有名である。


神の意志によるイエスの授かりを、

敬虔で控えめな態度で真摯に受ける聖母マリアの表現は、

国際ゴシックの特徴を色濃く残すプラド美術館版『受胎告知』と比べて、

より優雅で人間味の溢れる表現が為されている。

また画面左部には、

父なる神の怒りによりエデンの園を追放されるアダムとエヴァが描かれ、

聖胎した聖母マリアの子イエスが、

人間の救済者であることを示している。

また父なる神の三位である聖霊は、

聖母マリアの頭上に輝きを放ち降臨している。


フラ・アンジェリコ・・・とは?

フラ・アンジェリコ(ベアト・アンジェリコ) 

Fra Angelico (Beato Angelico)

1387-1455   イタリア  初期ルネサンス・フィレンツェ派

15世紀初頭より活躍したフィレンツェ派を代表する大画家

『フラ・アンジェリコ(天使のような画僧)』

が彼の名として呼ばれるよう、

人格者としても名高い(本名はグイード・ディ・ピエトロ)

ドミニコ会士であったフラ・アンジェリコの作品は、

宗教的主題に限られている。

師であるゴシック絵画の大家ロレンツォ・モナコより学んだ、

ゴシック的である豪華で優美な表現に加え、

初期ルネサンスの三大芸術家のひとりマザッチョの作品から

空間・人体の三次元的描写を学び、

鮮やかな色彩による敬虔で高潔な人物描写による独自の画風を確立。

彼の直筆による真作は45点ほど確認されているが、

現存する作品120点の内、工房作品も多い為、その判別は難しいとされる。 

受胎告知 (Annunciazione) 1430-32年頃

194×194cm  テンペラ・板   プラド美術館(マドリッド)

フラ・アンジェリコの代表作作『受胎告知』

フィレンツェ北部フィエゾーレのサン・ドメニコ聖堂の為に制作された

祭壇画のひとつであると考えられている本作に描かれるのは、

主イエスの生誕に纏わる逸話の中で最も有名な話のひとつである、

新約聖書ルカ福音書第1章に記された、

父なる神の大いなる意思により、

聖母マリアに対して無原罪にて神の子イエスを宿したことを

大天使ガブリエルが告げる場面『受胎告知』である。

前景として画面中央からやや右側へ描かれる『受胎告知』の場面は、

左(画面ほぼ中央)へ聖胎を告げる大天使ガブリエルを、

右へ軽く驚きつつも聖告を貞淑に受け入れる聖母マリアを配しており、

その神々しく後期国際ゴシック様式の厳格性に富んだ表現は観る者を強く惹きつける。

さらに明確な輪郭線と黄金色の使用による説明的な場面描写が

本主題の聖性をより強調する効果を発揮している。

一方、後景として本作の左側へは

神の命により禁断とされていた知恵の実(知識の実)を食したことにより

楽園を追放される『アダムとエヴァ』の姿を描き込むことで、

神の子イエスの正統性と絶対性を暗示させている。

また細部の描写や仕上げなど表現手法に注目してみると、

フラ・アンジェリコ当人のみの制作ではなく

弟子又は工房の手が加わっていることがほぼ確定的な本作ではあるが、

ルネサンスの到来を感じさせる室内などの遠近的表現や

画面全体から放たれる輝くような色彩の美しさなど特筆すべき点は多い。

なお画面下部のプレデッラ部分には『聖母マリアの結婚』から

『聖母の死』までと聖母マリアの生涯が描かれている。


聖母戴冠 (Incoronazione della Vergine) 1434-1435年

240×211cm   テンペラ・板   ルーヴル美術館(パリ)

フラ・アンジェリコの傑作『聖母戴冠』

キリストによって戴冠される聖母を描いた

『聖母戴冠』を主題とする本作は、

本来『フィエゾーレの祭壇画』

『受胎告知(プラド美術館版)』と共に、

サン・ドメニコ聖堂(フィエゾーレ)に収められていた作品で、

ナポレオン軍によってパリへと運ばれた経緯を持つ。

またウフィツィ美術館には同主題で描かれた別の作品が収蔵されている。

本作の主題『聖母戴冠』とは、

死した聖母の魂が天へと昇華した聖母被昇天の後に、

おこなわれた聖母の歴史上における最終場面で、

父なる神(もしくは神の子イエス)から戴冠を受ける場面を指す。

また本作画面下部には『聖母の神殿奉献』や

『聖母の死(御眠り)』など聖母の生涯が描かれている。


『受胎告知』1437年-1446年

サン・マルコ美術館(フィレンツェ)


 『聖母戴冠』1438 - 1440


サン・マルコ美術館 フレスコ


『聖ピエトロの三連祭壇画』1428 - 1429年頃

サン・マルコ美術館(フィレンツェ)


『十字架降架』1432 - 1434

サン・マルコ美術館(フィレンツェ)


『受胎告知』1437 - 1446

サン・マルコ美術館(フィレンツェ)フレスコ画


『受胎告知』1430年頃

ディオチェザーノ美術館(コルトーナ)


『最後の審判』1450年頃

絵画館(ベルリン)



『ペルージャの祭壇画』1437年頃

国立ウンブリア美術館(ペルージャ)


『ボスコ・アイ・フラーティの祭壇画』1450 - 1452

サン・マルコ美術館(フィレンツェ)


『フィエーゾレの祭壇画』1424

サン・ドミニコ教会(フィエーゾレ)


『トルケマダ枢機卿の磔刑図』1450

フォッグ美術館(マサチューセッツ州ケンブリッジ)


『キリストの埋葬』1436

サン・マルコ美術館(フィレンツェ)



Tabernacolo dei Linaioli1432 - 1435年頃

サン・マルコ美術館(フィレンツェ)



影の聖母(聖母子と8聖人)マエスタ (Madonna delle ombre)

1437-1450年 195×273cm   フレスコ  サン・マルコ美術館(フィレンツェ)

フラ・アンジェリコの代表的な聖会話作品『影の聖母』

本作の名称『影の聖母』とは通称であり、正式には

『聖母子と8聖人(Madonna con il Vambino e otto santi)』とされる

本作の主題である、聖母子を中心に諸聖人たちがその周りを囲む聖会話で、

穏やかな聖母子の深い精神性を持った表現と、

聖ドミニクス、聖コスマス、聖ダミアヌス、福音書記者聖マルコ、

殉教者聖ペトルス、聖ラウレンティウス、聖トマス・アクィナス、

福音書記者聖ヨハネなどの諸聖人の豊かな表現が白眉の出来栄えを見せ、

一説には本作がフラ・アンジェリコの遺作のひとつとされる。

愛しげに幼子イエスを見つめる穏やかな聖母マリアと、

神性を意識され、神々しい姿をした幼子イエスが中央に配される本作は

一説にはフラ・アンジェリコの遺作のひとつとされるが、

制作年代については諸説唱えられており、現在も研究が進められている。


アンナレーナ祭壇画 (Pala di Annalena) 1437-1440年頃

180×202cm   テンペラ・板   サン・マルコ美術館

どの時代でもフラ・アンジェリコの代表的な

聖会話作品のひとつとされる、傑作『アンナレーナ祭壇画』

メディチ家の守護聖人である聖コスマスと聖ダミアヌスが描かれていることから、

メディチ家の注文によって制作された(又は関与した)とされる本作の主題『聖会話』は、

ルネサンス初期より最も多く描かれ始めた主題のひとつであるが、

本作は、その早い作例として知られる。

神性と敬虔を兼ね備えた聖母マリアと幼子イエスの表現。

本主題『聖会話』とは、同一の画面内に聖母子と諸聖人を描く主題で、

ルネサンス初期より最も多く描かれ始めた主題のひとつである。

画面左部分(左から殉教者聖ペトルス、聖コスマス、

聖ダミアヌス)に描かれる聖コスマスと聖ダミアヌスは

アラブア生まれの双生児で、

病弱者に外科的医療をおこなったとされる聖人。

医師や薬剤師の守護聖人のほか、メディチ家の守護聖人としても知られている。

右から聖フランチェスコ、聖ラウレンティウス、

福音書記者聖ヨハネが配された画面右部分の諸聖人たちmp優美な美しさと、

高潔な人物表現が本作、そしてフラ・アンジェリコの大きな魅力のひとつである。


十字架降下 (Deposizione) 1437-1440年頃

176×185cm   テンペラ・板   サン・マルコ美術館

フラ・アンジェリコの手による代表的な

祭壇画作品のひとつ『十字架降下』

元来フラ・アンジェリコの師であるロレンツォ・モナコへパッラ・ストロッツィから

依頼されたフィレンツェのサンタ・トリニタ聖堂聖具室内

ストロッツィ家礼拝堂のための祭壇画であったが

本作の制作途中でロレンツォ・モナコが死去した為に、

フラ・アンジェリコへ依嘱された作品であり、

ゴシック様式の三連ピナクル部分(祭壇画中上部に配される三つの飾り尖塔)は

ロレンツォ・モナコの手によるものである。

しかしながら中央部分に描かれる『十字架降下』部分は、

トスカーナを思わせる牧歌的な風景に溶け込む神の子イエスの劇的な受難場面は、

柔軟かつ情緒豊かでフラ・アンジェリコ独特の

深い精神性を携えた聖性を感じさせる表現が用いられている。

本作で表される場面『十字架降下』は

神の子イエスが自らユダヤの王と名乗ったことから

極刑にあたる磔刑(死刑)に処されるという、

イエス受難場面の中でも特に重要かつ最も感動に溢れる場面で、

本作ではアリマタヤのヨセフやニコデモによって

十字架から降下されるイエスの亡骸を中心に、

左部分にはイエスの御足に口づけをおこなうマグダラのマリアや

悲哀に暮れる聖母マリアを始めとした諸聖人と天上には天使たちを、

右部分には聖ヨハネ(以前は依頼主パッラ・ストロッツィの夭折した

息子アレッシオ・デリ・ストロッツィと考えられていた)

と受難具を手にする人々や天上に天使たちが配されており、

そのどれにも画家の高い技量が示されている。


サン・マルコ祭壇画 (Pala di San Marco) 1438-1440年頃

220×227cm   テンペラ・板   サン・マルコ美術館

フィレンツェ派を代表する画僧フラ・アンジェリコ随一となる

聖会話作品の傑作『サン・マルコ祭壇画』

当時絶対的な権力者メディチ家の当主であり、

偉大な芸術家の庇護者でもあったコジモ・ディ・メディチの依頼により

サン・マルコ修道院の為に制作された本作は、

玉座に鎮座する聖母マリアとその腕に抱かれる幼子イエスを中心に各諸聖人を配した

『聖会話(サクラ・コンヴェルサツィオーネ)』の最も早い作例のひとつとして、

画家の作品の中でも特に重要視されている。

また聖母マリアと幼子イエスを中心とした諸聖人との統一性を示す空間構成と、

国際ゴシック様式に見られた聖母子の黄金色景背から逸脱し

現実味を感じさせる糸杉や柘榴の森の背景、

遠近的手法によって奥行きを表現される幾何学模様の絨毯など、

本作において画僧フラ・アンジェリコは至るところに革新的な表現を用いている。

聖母子の左部分には聖ラウレンティウス、福音書記者聖ヨハネ、

福音書記者聖マルコを、右部分には聖ドミニクス、

聖フランチェスコ、殉教者聖ペトルスを配し、

画面下部にはメディチ家の守護聖人としても知られている

聖コスマスと聖ダミアヌスが描かれており、

聖母子との間に、互いに意識に関係性をもたらしている。


キリストの埋葬 (Deposizione nel sepolcro) 1440年頃

38×46cm   テンペラ・板   アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)

フラ・アンジェリコが手がけた宗教画を代表する作品のひとつ『キリストの埋葬』

偉大な芸術家の庇護者でもあったコジモ・ディ・メディチの依頼により

サン・マルコ修道院の為に制作された、

画家随一となる聖会話作品の傑作『サン・マルコ祭壇画』の

中央プレデッラ部分として制作された本作は、

磔刑に処され死したイエスの亡骸がニコデモやアリマタヤのヨセフ、

聖母マリアを始めとする諸聖人らによって埋葬される場面

『キリストの埋葬』を主題とする作品で、

『サン・マルコ祭壇画』下部中央に配された

『キリストの磔刑』に図応したものである。

中央に死したイエスの亡骸と、それを支えるニコデモ、

左にイエスの亡骸に寄り添う聖母マリア、

右にイエスの御手に口づけするアリマタヤのヨセフを配し

遠近法を用いた単純で明快な構図によって、

死したイエスの肉体の尊厳と聖性を示し、

アンジェリコ特有の色彩によって静寂を感じさせる

静謐な雰囲気が画面全体を支配している。


聖コスマスと聖ダミアヌスの殉教 1440年頃

The Martyrdom of the Saints Cosmas and Damian

36×46cm  テンペラ・板   ルーヴル美術館(パリ)

画僧フラ・アンジェリコの三次元的空間構成と物語的な背景描写が

見事に示される代表作のひとつ『聖コスマスと聖ダミアヌスの殉教』

偉大な芸術家の庇護者でもあったコジモ・ディ・メディチの依頼により

サン・マルコ修道院の為に制作された、画家随一となる

聖会話作品の傑作『サン・マルコ祭壇画』のプレデッラ部分として制作された本作は、

アラビアに生まれた双生児で、キリキアで医学を修得した後、

病弱者や動物に外科的手術を含めた治療をおこない救済するも、

ディオクレティア帝の迫害によって捕らえられ焚刑や投石などの刑に処され、

最後は斬首によって殉教した双子の聖人

『聖コスマスと聖ダミアヌス』の殉教場面を描いたもので、

この双子の聖人はメディチ家の守護聖人としても知られている。

本作では画面左部分に処刑者と聖コスマスと聖ダミアヌスに先立ち

斬首された受刑者を、画面右部分には刑の執行を目撃する兵士たちを配し、

中央には今まさに斬首されようとしている聖コスマスと

聖ダミアヌスを描きこの伝説的な逸話を表現し、

背後では立体的な要塞の壁と奥行きを感じさせる

物語的な背景が描かれ本作を統一感に溢れるよう仕上げており、

この背景中央に整列され描写される五本の樹木は斬首によって

殉教した聖コスマスと聖ダミアヌスを含む五人の殉教者を表し、

観者の目線が自然と聖コスマスと聖ダミアヌスに向くよう仕向けられている。


キリストの変容 (Trasfigurazione di Cristo) 1437-1446年

193×164cm   テンペラ   サン・マルコ美術館(フィレンツェ)

サン・マルコ修道院(現美術館)の壁面に描かれた

フラ・アンジェリコの代表的壁画のひとつ『キリストの変容』

サン・マルコ修道院の二階僧房にキリストの生涯を題材として描かれた本作の主題は、

キリストが父なる神へ祈りを捧げるため、

弟子の中から聖ペテロ、聖ヤコブ、聖ヨハネの三人を連れ、

ガリヤラのタボール山へ登山した際、

旧約における預言者のモーセとエリヤが現れ、

変容したキリストと語り合う場面を描いた『キリストの変容』で、

本作での大きな特徴は、絶対者として表現される

光り輝くキリストの厳粛な神性にほかならない。

フラ・アンジェリコは、その生涯に壁画を数多く描いたとされているが、

特に重要視されるのは、サン・マルコ修道院(現美術館)の壁画と、

ニッコリーナ礼拝堂(ヴァティカン)の壁画である。

画面左部分に描かれる聖ペテロは預言者モーセと預言者エリヤ、

そして二者と語らうイエスのために三つの仮小屋を建てることを申し出たとされ、

その場面で、父なる神から「これは我が子(神の子)なり」と

イエスを神の子と証する声を聞いたと伝わっている。

画面中央に描かれた聖ヤコブは同じキリスト十二弟子のひとり

福音書記者聖ヨハネの実兄で、元ガリラヤの漁師であった。

イエスの十二弟子の中には、

もうひとりヤコブという名前の弟子がいる為、

主に彼は大ヤコブと称される。

画面右部分に配されるキリスト十二弟子のひとりで、

特に寵愛された聖ヨハネは、洗礼者聖ヨハネと区別されるため、

主に福音書記者聖ヨハネと称される。


キリストの嘲笑 (Cristo deriso) 1441-1443年

195×159cm  テンペラ  サン・マルコ美術館(フィレンツェ)

サン・マルコ修道院(現美術館)の壁面に描かれた

フラ・アンジェリコの代表的壁画のひとつ『キリストの嘲笑』

サン・マルコ修道院の第七僧房に描かれた本作の主題は、

逮捕された受難者イエスがユダヤの長老や学者、

民衆達の前に晒され、大司祭カイアファに「お前は神の子か?」、

「神の子ならば奇蹟を起こしてみせよ」と問われた後、

偽証であるとし、民衆に磔刑を求められ嘲笑される場面

『キリストの嘲笑』を描いたものであるが、

本作において最も重要な点は、

受難者イエスの超現実主義的手法によって

象徴的に示される嘲笑表現にある。

「誰であるか当ててみせよ」と強制的に目隠しをされ問われた受難者イエスを中心に、

唾を吐きつける男の横顔や持っている木棒で殴りつける手など

本主題でおこなわれたイエスへの仕打ちが非現実的な描写によって象徴的に示されている。

このような信者(又は見る者)の瞑想性を感じさせる表現手法は

当時としても非常に稀であり、

敬虔で高潔な人物としても知られるフラ・アンジェリコの残した作品の中でも

特に異質的な作品として、どの時代でも常に注目を受け続けてきた。

なお画面下部には我が子イエスへの仕打ちを嘆く聖母マリアと、

聖ドミニクスの姿が描かれている。


『フラ・アンジェリコ 』の生涯・・・とは?

               ウィキペディアさまより

『聖者と聖母子』部分(1424年 - 1425年頃)

 聖ドミニコ教会(フィエーゾレ)

【1395年 - 1436年】

フラ・アンジェリコは14世紀末にトスカーナ州フィレンツェ北部の

フィエーゾレ近郊ヴィッキオのルペカニーニャで生まれた。

フラ・アンジェリコの両親については一切知られていない。

洗礼名はグイードかグイドリーノである。

フラ・アンジェリコに関する最初の記録は、

1417年10月17日にカルメル修道会が主催する信心会に入信したというもので、

その記録にはグイード・ディ・ピエトロという名前で記されている。

この記録にはフラ・アンジェリコがすでに画家として生計を立てていたことも書かれており、

このことは1418年の1月と2月にサン・ステファノ・デル・ポンテ教会の依頼で

絵画を描いて報酬を受け取ったという他の記録からも裏付けられる。

修道士としての記録が残っている最古の記録は1423年のもので、

フィエーゾレのドミニコ修道会に入信したときに新しく名乗ったと思われる

フラ・ジョヴァンニという名前が最初に記された記録となっている。

ヴァザーリの著作では、フラ・アンジェリコは当初装飾写本画家として修行を積み、

ドミニコ派修道士で装飾写本作家でもあった

兄ベネデットとともに働いていたのではないかとされている。

フィレンツェのサン・マルコには

フラ・アンジェリコが制作に関わったと思われる装飾写本が所蔵されている。

画家ロレンツォ・モナコがフラ・アンジェリコの絵画の師ではないかといわれ、

シエナ派の影響をフラ・アンジェリコの作品にみることができる。

存命中に修道会で何度も重要な役職に就いたが、創作活動にはまったく影響を及ぼすことはなく、

フラ・アンジェリコが描く絵画はたちまちのうちに有名になっていった。

ヴァザーリによるとフラ・アンジェリコが最初に描いた作品は祭壇画で、

フィレンツェのカルトゥジオ修道会のためのものとされるが現存はしていない 。

フラ・アンジェリコは1408年から1418年にかけて

コルトーナのドミニコ会修道院に滞在し、

ゲラルド・ステルニーナ (en:Gherardo Starnina) の助手、

あるいは部下として教会用のフレスコ画を制作しているが、この作品も現存していない。

1418年から1436年にはフィエーゾレの修道院で多くのフレスコ画、祭壇画を描いており、

どれも保存状態は悪かったものの後年になってから修復されている。

ロンドンのナショナル・ギャラリーには列福されたドミニコ派修道士ら250人以上の人物に囲まれる

キリストの栄光を描いた祭壇画が完品の状態で収蔵されており、

フラ・アンジェリコの才能を示す好例となっている。


【1436年 - 1445年 サン・マルコ、フィレンツェ】

『マエスタ』1437年 - 1446年頃

サン・マルコ美術館(フィレンツェ)

玉座の聖母子と周りを囲む聖コスマス、聖ダミアン、聖ヨハネら聖人が描かれている

フラ・アンジェリコは1436年にフィエーゾレの修道院から、

フィレンツェに新しく建設されたサン・マルコ修道院へと多くの修道士とともに移った。

この移住はフラ・アンジェリコの画家としてのキャリアに重要な出会いをもたらした。

当時のフィレンツェは芸術の最先端都市であり、さらにサン・マルコ修道院に

世俗の厄介ごとから逃れるための大きな個室を持っていた、

フィレンツェでもっとも裕福な権力者コジモ・デ・メディチの知遇を得て、

その後援を受けたのである。ヴァザーリによれば、コジモがフラ・アンジェリコに

修道院の壮大な教会参事会会議場などの内部装飾を要請し、

階段上部の『受胎告知』や各部屋の壁にキリストの生涯を描いた敬虔な小フレスコ画などを描かせたとなっている。

1439年にはもっとも有名な作品の一つである祭壇画『マエスタ』を

サン・マルコ修道院のために描いているが、

この作品は当時の絵画としては極めて異例なものだった。

多くの聖人に囲まれた聖母子という構図自体はありふれたもので、

明確に天界での光景として描かれ、聖人や天使は

俗人よりもはるかに神聖な存在であることを示すために宙に浮かんで表現されるのが通常だった。

しかしながらフラ・アンジェリコが描いたこの作品では聖人たちは普通に地上に立っており、

聖母の栄光を共に分かち合うことを喜び、まるで談笑しているかのような

ごく自然な姿で聖人たちを描き出している。このような構図は

聖会話と呼ばれる絵画形式として知られるようになり、

後にジョヴァンニ・ベリーニ、ペルジーノ、ラファエロ・サンティらも

数多くの聖会話を手がけることとなった。

【1445年 - 1455年 バチカン】

『聖ラウレンティウスを助祭に任ずる聖ペトロ』1447年 - 1449年

バチカン宮殿ニッコリーネ礼拝堂(バチカン)

1445年にローマ教皇エウゲニウス4世がサン・ピエトロ大聖堂の秘蹟の礼拝堂の

フレスコ画を描かせるために、フラ・アンジェリコをローマへと召致した。

ヴァザーリは、このときフラ・アンジェリコはローマ教皇ニコラウス5世から

フィレンツェ大司教の地位を提示されたが、これを断って別の修道士を推薦したと断言している。

このエピソードは現在伝わっているフラ・アンジェリコの人柄からすると

いかにももっともらしく思えるが、もしヴァザーリの著作に書かれた日付が正確であるとするならば、

当時のローマ教皇はニコラウス5世ではなくエウゲニウス4世である。

1447年にフラ・アンジェリコは弟子のベノッツォ・ゴッツォリとともに

バチカンを離れてオルヴィエートの聖堂で絵画制作を行っている。

このとき同じく弟子だったザノビ・ストロッツィも同行したと考えられている。

フラ・アンジェリコは1447年から1449年にかけてバチカンに戻り、

ローマ教皇ニコラウス5世の要請でバチカン宮殿の

ニッコリーネ礼拝堂 (Niccoline Chapel) のフレスコ画をデザインしている。

これは初期キリスト教会の殉教者聖ステファノと聖ラウレンティウスの生涯を描いたフレスコ画で、

制作に当たっては弟子がかなりの部分を描いているのではないかとも考えられている。

ニッコリーネ礼拝堂は小規模な建物だが、輝くようなフレスコ壁画と

金箔を用いた装飾とが宝石箱のような印象を与える礼拝堂である。

1449年から1452年までフラ・アンジェリコはフィエーゾレ修道院に戻り修道院長も務めている。

【死去と列福】

フラ・アンジェリコは1455年に、ローマのドミニコ会修道院で死去した。

おそらくローマ教皇ニコラウス5世の礼拝堂の絵画作成のために

この修道院に滞在していたと考えられており、

ローマのサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会に埋葬された。

キリストよ、我に栄誉を与え給え
アペレスでありしためより
すべてを差し出せしために。
我のなしとげし業
地上、天界、異なりし。
我、ジョヴァンニ
トスカーナの花にも似たる
フィレンツェに生を享く
— フラ・アンジェリコの墓碑銘 ー

ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が1982年11月3日にフラ・アンジェリコを列福し、

1984年にキリスト教芸術家の守護者として認定した。

アンジェリコは「キリストに関する絵画を描くのであれば、

常にキリストとともに過ごさなければならない」と何度も語ったという。

この考えが「福者アンジェリコ」という別称を彼にもたらしたといえる。

アンジェリコの生涯はこの上なく高潔で、その絵画は神聖な美しさにあふれている。

とくに聖母マリアを描いた作品は最上級のもので人々に大きな影響を与えている


フラ・アンジェリコに対するさまざまな評価から、

彼が福者と呼ばれた理由を知ることができるかも知れない。

ドミニコ会修道士として信心深く禁欲的な生活を送り、

神に仕える身分から逸脱することは決してなかった。

貧者を救済するという修道会の教えを守り、つねに愛想よくふるまう人物だった。

彼が描いた多くの絵画はすべて聖なるものを扱った作品で、

完成した作品に後から手を加えたり、修正したりすることは決してなかった。

これはおそらく彼自身の宗教的信念によるもので、

聖なる存在から霊感を受けて描いた絵画であるため、

完成当時そのままの状態に留め置かれたのだろう。

キリストの絵画を描く者は常にキリストとともにあらねばならないというのが彼の口癖だった。

絵筆をとるときには常に祈りの言葉を捧げ、

キリスト磔刑画を描いているときには涙を流していたに違いない。

『最後の審判』と『受胎告知』は彼が特に何度も描いたテーマだった。

— イギリス人著述家ウィリアム・マイケル・ロセッティ (William Michael Rossetti)


【当時の芸術とフラ・アンジェリコの評価】

・・・背景・・・

フラ・アンジェリコが活動した時期は、絵画に大きな変革が起きていた時代だった。

およそ100年前のイタリア人画家ジョット・ディ・ボンドーネの作品を源流とし、

ジュスト・デ・メナブオイ (Giusto de' Menabuoi) ら

フラ・アンジェリコとほぼ同時代の芸術家たちが加わって、この大きな変革を推し進めていった。

ジョットもデ・メナブオイも重要な作品をパドヴァで制作し、

ジョットはゴシック様式の修業を積んでいたにもかかわらず、

サンタ・クローチェ聖堂のバルディ礼拝堂に描いた

聖フランシスコのフレスコ画はそれまでのゴシック絵画とはまったく異なるものだった。

ジョットの作風には多くの熱狂的ともいえる追随者があらわれ、

ジョットのフレスコ画を真似た画家の中には

ピエトロ・ロレンツェッティのように大きな成功をおさめる者も出た。

【芸術家のパトロン】

『最後の審判』(1432年 - 1435年)
 
サン・マルコ美術館(フィレンツェ)

サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ教会の依頼で描かれた多翼祭壇画の上部パネル

修道士画家のパトロン(依頼主)は修道院などの宗教的施設か、

教会に多額な寄付ができる裕福な一族がほとんどだった。

このような修道士画家たちの信仰上の理由からパトロンも保守的な傾向が強く、

さらに裕福であればあるほどより保守的になることが多かった。

依頼で描かれた絵画には必ずパトロンの名前が書かれた明細書が付属しており、

多くの高価な金箔が使用された作品はそれを依頼したパトロンの名誉を表すものだった。

絵の具箱に入っている貴重で高価な顔料としてラピスラズリやバーミリオンがある。

これら貴重な顔料から作られた絵の具がふんだんに使用されている作品も、

金箔同様にパトロンがいかに裕福であるかを証明することにつながった。

【同時代の重要な画家】

フラ・アンジェリコはイタリア人画家ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノと

ほぼ同時代の画家である。ファブリアーノが描いた祭壇画

『東方三博士の礼拝』(1423年、ウフィツィ美術館)は、

国際ゴシック絵画の最高傑作の一つと評価されている。

フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂ブランカッチ礼拝堂では、

ジョットの新しい芸術性を正確に理解した若きイタリア人画家マサッチオがフレスコ画を描いている。

当時のフィレンツェには、マサッチオほど人物像を力強く、まるで生きているかのように

表現力豊かに描き出して他の芸術家に影響を与えた画家はほとんどいない。

マサッチオの年長の共同制作者マソリーノもフラ・アンジェリコと同年代の画家である。

マサッチオは1428年に27歳という若さで夭折し、

ブランカッチ礼拝堂のフレスコ画は未完のままに残されてしまった。

【フラ・アンジェリコの祭壇画】

『聖母戴冠』1434年 - 1435年 ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

フラ・アンジェリコの作品には、

それまでの保守的なゴシック様式と先進的なルネサンス様式とが混在している。

フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会からの依頼で描き、

現在フィレンツェのウフィツィ美術館が所蔵する『聖母戴冠』は、

金箔、ラピスラズリ、バーミリオンなど、

14世紀で望みうる最高の素材が大量に使用された非常に贅沢な祭壇画である。

金箔が使用されている背景や聖人たちの頭上の後光、

衣服の縁飾りは非常に精緻に細工されており、これらはすべてゴシック様式の手法である。

ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの祭壇画と違ってルネサンス様式を感じさせるのは、

現実的な立体感をもって三次元的に描かれた人物像と、

それらの人物が身にまとっている衣装が垂れ下がる表現やゆったりとしたひだの描写である。

描かれている人物は大地ではなく雲の上に立っているが、重量感のある表現で描かれている。

【フラ・アンジェリコのフレスコ画】

『キリストの変容』 1437年 - 1446年頃
 
サン・マルコ美術館(フィレンツェ)

フラ・アンジェリコがフィレンツェのサン・マルコ修道院のために描いた一連のフレスコ画は、

フラ・アンジェリコがマサッチオの描いた作品の先進性を理解し、

さらなる進展を絵画に与えたことを物語っている。

裕福なパトロンからの制約や板絵の限界を超越し、

神に対する深い敬意と人間への知見、愛を描き出すことに成功した。

修道士部屋の壁に描いた飾り気のない静謐なフレスコ画は、

それを見て祈る修道士たちに心の平穏をもたらした。

赤色よりも青みを帯びたピンク色が多用される一方で、

色鮮やかで高価な顔料である青系色はほとんど使用されていない。

ドミニコ会の修道服はくすんで艶のない緑色、黒色、白色で構成されている。

華美な印象はなく、描かれている静謐な人物像には心の平穏を乱す要素は何もない。

フレスコ画を見るものには、あたかもこの絵画が別の平行世界へ通じる窓であるかのように、

キリストの身に起こった様々な出来事を自分が実際に体験しているような心理的効果を与えている。

これらのフレスコ画を描いたフラ・アンジェリコが

いかに信心深い敬虔な男性であったかを証明している作品群である。

マサッチオはサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の壁に描いた

写実的な『聖三位一体』で絵画に遠近法を導入した。

後に続くフラ・アンジェリコも線遠近法の絵画手法を理解し、

イタリア人建築家ミケロッツォ・ディ・バルトロメオとフィリッポ・ブルネレスキが

サン・マルコ地区に建設した拱廊を『受胎告知』などの自身の作品に取り入れている。


【フラ・アンジェリコが聖人たちを描いた絵画 】

『教会の宝物を受け取る聖ラウレンティウス』1447年

バチカン宮殿ニッコリーネ礼拝堂(バチカン)

高価な顔料、金箔など貴重な素材を使用した細密なデザインは、

バチカンが依頼する絵画の典型である フラ・アンジェリコと弟子が

ローマ教皇ニコラウス5世からの召致で礼拝堂装飾絵画制作のためにバチカンを訪れたのは、

フラ・アンジェリコが再び教皇の機嫌をとる必要があったことが理由だった。

この小さな礼拝堂に足を踏み入れると、まるで宝石箱の中に迷い込んだような感覚すら覚える。

壁面は色鮮やかな彩色と金箔で飾り立てられ、この豪華な装飾に比肩するのは

これより100年ほど前にゴシック期のイタリア人画家シモーネ・マルティーニが

装飾を担当したサン・フランチェスコ大聖堂下堂くらいである。

しかしながらその作風にはそれまでの絵画と同様にフラ・アンジェリコが終生追い求めていた

慈悲心と信仰とが如実に現れており、人物像が身にまとう金箔が使用された

豪華な衣装は優しく穏やかに表現されている。

描かれている人物の様子や彼らから受ける印象からも、

フラ・アンジェリコほど聖人たちを本物の聖人らしく描ける画家は存在しない。

— ジョルジョ・ヴァザーリ

現存しているフラ・アンジェリコの絵画の中には、

フラ・アンジェリコの下絵を弟子たちが完成させた作品が存在している可能性はある。

ベノッツォ・ゴッツォリやジェンティーレ・ダ・ファブリアーノは

当時高く評価されていた画家だった。

ゴッツォリは表現豊かで現実的な人物像を描き、自身の作風をよりルネサンス風に昇華していった。

メディチ家からの依頼でフィレンツェのメディチ・リカルディ宮マギ礼拝堂に描いた

代表作『東方三博士の行列』が好例である。

【後世の画家たちへの影響】

フラ・アンジェリコの弟子ベノッツォ・ゴッツォリのフレスコ画に慎重に描かれた肖像画や

その絵画技法からドメニコ・ギルランダイオとの関連性を見ることが出来る。

ギルランダイオはフィレンツェの有力者をパトロンとし、大規模な構想の作品を次々に描いた。

ギルランダイオはミケランジェロの師でもあった人物であり、

これらの芸術家の系譜を通じてフラ・アンジェリコの影響は盛期ルネサンスへとつながっている。

1508年にミケランジェロは

システィーナ礼拝堂天井画制作を引き受けた。

このときのシスティーナ礼拝堂には、

ギルランダイオ、ラファエロの師ペルジーノ、ボッティチェッリらが手がけた

『キリストの生涯』『モーゼの生涯』をテーマにした壁画が描かれていた。

これらの作品はいつものバチカンの要望どおり大規模で豪奢なもので、

構成の複雑さ、人物像の多さ、細部にわたる細密な表現、

使用する金箔の量などを画家たちが競い合っているかのような豪華絢爛たる壁画である。

これらの壁画の上部にはきらめく衣装と黄金の冠を身につけた歴代ローマ教皇の肖像画が並び、

ミケランジェロもこのような壮麗な場所で絵画制作を行った経験はなかった。

そして、ローマ教皇ユリウス2世が十二使徒の衣装を壁画と同様に壮麗に飾り立てるよう求めたところ、

ミケランジェロは十二使徒はこの上なく清貧だったではないかと言い返したというエピソードがある。

フラ・アンジェリコはサン・マルコ修道院の小部屋に、

自身の絵画技術と独自の演出によって美しいフレスコ壁画を現出した。

高価な素材である青系の顔料や金箔などを使用しなくても

素晴らしい作品を描くことが出来るということを証明したのである。

そしてフラ・アンジェリコと同じくミケランジェロは、

飾り気のないフレスコ画技法、明瞭で鮮やかな柔らかな色彩、

重要な役割を果たす数人の人物像、動きや身振りの優れた表現手法などを

作品に取り入れることによって、ミケランジェロは

自身がフラ・アンジェリコの直系であることを宣言したのである。

イタリアルネサンス美術の専門家フレデリック・ハート (Frederick Hartt) は

フラ・アンジェリコのことをレンブラント・ファン・レイン、

エル・グレコ、フランシスコ・デ・スルバランのような

後世の画家たちのさきがけとなる「神秘的な預言者」と表現している。


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最終更新日  2017.08.31 11:46:05
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